【1】
「じゃあ、最終確認するよ」
「ああ」
初代と零音が待つであろう部屋の扉の前で、俺と式見は最後の作戦確認をしていた。
式見が、表情を引き締める。こう見ると、なるほど、確かにこいつは水月鏡花なのだなと実感出来た。
「こう言っちゃなんだけど、僕・初代・零音の戦闘能力は、この世界において確実にトップクラスだ。というか、『他とは格が違う』と捉えた方がいいと思う」
「おうおう、随分と自信満々だな、式見」
「客観的に見て、だよ」
式見はくすりとも笑わなかった。……俺だって分かっている。それは、事実だ。こいつや初代が、俺や神無家の遠く及ばない次元の戦闘能力を有していることは、誰だって見りゃ分かる。
俺は嘆息しながら返した。
「つまり、こんな緊迫した事態なのに最終決戦に臨もうというのが俺や式見しかいないのは、仕方ないってことだな」
「そう。むしろ下手な増援はかえって足手まといになると言っていい。空でさえ……ちょっとした銃器持った一般人程度なら、何人いたところで余裕で切り抜けられるだろう?」
「ああ、それぐらいだったら負ける気はしないな、この体なら」
もっとも、初代の持つもののような反則的な速度や威力の銃器なら話は別だが。
「その身体能力の上、『物質化能力』っていうなんでもありな能力までありだ。下手するとうまく立ち回れば単体で国と戦争出来るぐらいには、僕達はヤバめのレベルに来ている。……これは、怖いことだ。つまり……」
「頼れる味方なんていやしない。自分がやらなきゃ、誰もやれない。全ては自己責任」
「そういうこと」
そこで、式見は嘆息する。
「本来苦手なんだけどなぁ、こういうの」
「ああ、式見はそんな感じだな。家で本でも読んでいる方がよっぽど似合っている」
「……僕、この戦いが終わったら、家で本読むんだ……」
「随分と安い死亡フラグだな」
こほんと、仕切り直し。
「結局、僕が言いたいのは……」
そう彼が言ったところで、俺はその言葉を引き取り、自ら告げる。
「俺は、お前らの戦いに手出し出来るレベルにないってことだろ」
こくりと頷く式見。
「そう。……確かに空は強いよ。うん、強い。だけどね……」
「初代や零音が桁外れすぎるって話だろ」
「うん。……特に、零音。厳密には、あれは僕らとは更にもう一次元違う。構図としては『神無家<空<僕≦初代<<<<<<<<零音』という感じかな」
「勝てる要素一切ねぇな!」
最終決戦前にテンションガタ落ちだった。式見は厳しい表情のままだ。
「例えば僕と空が二人で完璧なコンビネーションをもって戦えば、初代一人には勝てるとは思う」
「でもそれを温かく見守ってくれる零音ってやつじゃあないんだろ?」
「うん。だから普通なら零音が参戦した時点でチェックメイトだ。だけどこの戦いは……そして彼女の目的は……」
「分かってる。『この戦い』は、初代の起こした『気に食わない世界との戦い』だ。つまり、今回の事件の全ての元は、初代。初代さえ討てば、『この戦い』は終わる。零音をどうするかは別問題として、だがな」
「そして更に、零音の目的は僕だ。僕を弄ぶためだけに、この戦いに……初代に肩入れしてきた。となれば……」
そこで、二人、お互いの目を真剣に見つめる。
そして……結論。
「僕が零音を足止めしている間に」
「俺が、初代を倒す」
作戦なんて言えたもんじゃない。勝率1パーセント以下の想定だった。
あまりの無謀さに、最早笑うしかない。式見も俺も、ニヤニヤと笑ってしまっていた。
「世界、大ピンチだね」
「だな。でも、仕方ない。無謀だろうがなんだろうが、やらないで引き下がるよりはマシだ」
「空。全てはキミにかかっていると言っていい」
「なに言ってるんだ。お前はお前でやることあるだろうが」
「そうだけど。……この戦いはやっぱり、キミと初代の戦いなんだ。僕と零音は、『たまたまこの物語に立ち寄った部外者』でしかない。その迷惑は、出来るだけキミ達にかからないようにする。だから……」
「……実際のところ。俺が、初代に勝てると思うか?」
そう訊ねると、式見は表情を暗くした。
「……神無鞠亜によって人工的に作られた霊体には、どうやら、なにかしらの『能力』が備わるようだね。初代の能力は……恐らく『完全なる自己』と言えるもの」
「完全なる……自己」
俺や初代にとって、それがどれほど意味のある言葉か。
「初代は自分の出生を知り、空のように絶望するのではなくて、とにかく自分のアイデンティティーを渇望した。その結果……あんな風に、自分だけを愛する、自分の存在だけで自己完結する心を手に入れた。それはつまり――」
「自分の確立。なるほど、誰よりも、何よりも、自分という存在の確立を常に意識しているからこそ……強くこの世に顕現する。それこそ、自分の物質化範囲を超えた銃弾で敵を貫けるほどには、強くこの世にあろうとしている」
「そういうこと。厳密には、物質化能力を漫然とした範囲じゃなくて『そういう方向に』使っているんだろうけど……どちらにせよ、ある意味において僕より能力を使いこなしていると見ていい。それに比べ空は……」
「俺の能力なんて、自分より小さいものを食べるだけの悪霊の基本的能力『取り込み』。つまり……『受け容れる』ってだけ。空。空っぽの、空」
「……そういうこと。正直、勝算を問われれば……」
「あー、いいわ、言わないで。ちょっとぐらい希望持って決戦に臨みたい」
「そう。……うん、僕も、信じているよ。空。根拠なんて全然ないけど、キミなら、なんとか出来るよ。空。奇跡ってのは、起こらないから奇跡なんじゃない。起こるべき時にちゃんと起こってくれるからこそ、奇跡なんだ」
「そりゃいいことを聞いた。んじゃ、ま、1パーセント以下の勝率に賭けてみますか」
そうして、二人、前を向く。
扉に、二人で、手をかける。
…………ごちゃごちゃ言ってても始まらない。
「行こう」
「ああ」
扉を、押し開ける。
刹那、眩い光が、俺達の体を包んだ。
【2】
――式見蛍――
僕が零音の存在を知ったのは、鈴音と正式に交際を始めた直後のことだった。
最初彼女は、僕の前に「ユウ」として現れた。ユウの姿、声、記憶。全部をトレースした状態で僕らの前に現れ、そして、僕らのコミュニティを……帰宅部を、内面からかき回し始めた。
しかし、死にたがりに悩んだあの頃ならまだしも、その頃の僕らの間にはもうしっかりとした絆があって。そんな紛い物の……ニセモノのユウに翻弄されっぱなしの僕らじゃなかった。
結果から言えば、一度は撃退したんだ。鈴音を始め、先輩や陽慈、傘にサリーに深螺に……周囲の人に支えられて。ニセモノのユウからの干渉を、弾いた。
零音は正体を現し、そして……今度は暴力による干渉……いや、遊戯を開始した。
僕らは見誤っていた。零音のことを、ただの「ニセモノ」「精神的に追い詰めてくる悪霊」としか捉えてなかった。
全然違った。
全然。
彼女にとっては、結局全部「遊び」「暇潰し」。それだけでしかなかった。
そして僕らは不幸にも、彼女に「すごく遊び甲斐のあるコマ」として認識された。それだけだ。
だから、まだ仲間が誰も殺されていないのは、僕らが彼女にとって「いいコマ」だからだ。
世界を巻き込むくせに、僕らを本気で潰しにかからないのは、「遊び道具」だからだ。
そして、ユウの姿をしているのは――
彼女が、ユウと鏡写しの存在だったからだ。
全ての元凶。
物質化能力の祖。
神よりも万能の存在。
……《世界の管理者》の《敵》。
この世界に《物質化能力》なんて致命的なバグをもたらした、そもそもの異分子。
つまり。
「やっとここまで来たぞ……零音……いや、《ウィルス》」
目の前には、赤色の球形の部屋の真ん中で優雅に椅子に座っている零音が居た。
彼女は、一度ニィッと口の端を釣り上げたかと思うと、しかし次の瞬間にはいつものように「ユウ」をトレースした口調、表情に変化する。
「私、その呼ばれ方イヤだなぁ、ケイ。ユウって呼んでよ」
「誰が……」
彼女を睨みつけながら、状況を確認する。
空が居ない。
開いたはずの扉がない。
…………。
どうやら、空と僕、二人別々の空間へと転移させられたらしい。こっちにとっては好都合の組み合わせだが……。
「舞台はちゃんと整えてあげるよ、ケイ。そうじゃなきゃ、ゲームは面白くないからね」
「……そりゃ、ありがたいね」
臨戦態勢を崩さぬまま、数歩、彼女の方へと近寄る。……あまりの威圧感に、首筋がチリチリとする。彼女がその気になれば、僕は一瞬で消される。アイテムを物質化させる必要もない。だって彼女は、世界そのものを《変質》させることが出来るのだから。
零音が指をぱちんと弾く。僕は慌ててガード体制をとったが、しかし、起きた現象は想像とは違った。
「あはは、ケイ、おっかしいー。大丈夫、椅子を出しただけだよ」
「…………」
見れば、彼女の目の前にもう一対、椅子が生成されていた。
「座りなよ」
「…………」
意味が分からない。なぜこの状況で零音と面と向かって座ったりしなければ――
「《座ってよ》」
「!?」
気付いた時には、僕は椅子に座っていた。目の前に、零音の顔がある。
慌ててその場から立ち退こうとするも、首から下、体が一切動かない。
零音は……ユウに似ながらも、しかし彼女なら絶対しない氷点下の瞳を僕に向け、ニコッと笑う。
「ワガママはメッ、だよ、ケイ♪」
「…………」
無邪気。悪気などカケラも無い。しかし、だからこそ……誰よりも、邪悪。
世の中本当に悪いヤツなんかいない。それが、僕の考え方だった。どこかで性善説を信じていた。
だけど……それは、「この世の中」のルールだ。こいつは……この世界の「外」から送り込まれたこいつは、違う。
これは、いちゃいけないものだ。あっちゃいけない存在だ。説得とか交渉とか、そういうことを考える余地の無い……倒すべき、異分子。……物質化能力が、そうであるように。
「ねぇ、ケイ。私は暇なんだ。暇で暇で仕方ないんだよ」
「…………」
零音は物憂げな表情で語りだす。と同時に、球形の部屋に変化が顕れた。壁面が消え、周囲が全て青に満たされる。青。……空。空の中に、自分達が浮いている。……いや、違う。壁に映像が投影されているのか。全方位がどうやらこの塔の外の映像、上空の様子に満たされているため、自分達が浮いているように錯覚するようだ。
いちいちやることがユウと似ていて、それが余計に腹立たしい。
「私と管理者……ユウはその点で全く共通の理念を持っていると言っていいんじゃないかな。退屈をしたくない。こんな特別な役割を担う存在だからこそ、誰よりも退屈を嫌う」
「ユウとお前を一緒にするな」
「あはは、一緒だよぉ。ケイこそ、彼女が正義で、私が悪者みたいな認識やめたら?」
「間違っていないじゃないか」
「違うよ。ユウだって、私と同等の力があったら、同じようなことをしていると思うけどな」
「ユウは人間を弄んだりしない」
「するよ。だって私達は、存在自体が《そう出来ている》のだから。コマを扱う立場の存在。どういう方向にせよ、私達は、コマを動かす。チェス盤しかない部屋で何万年、何億年も一つのコマも動かさずいられることが出来る?」
「…………」
「だから私は、コマを動かして遊ぶ。私を送り込んだ主は、本当はこの世界をボロボロに変質させて《崩壊》させたかったようだけど。私としては、そんなことをしても暇になるだけ。チェックメイトをかけるのはもっと後でいい。だから、私は最低限、面白い範囲で世界を好きなように弄って遊ぶ。それの、どこが悪いってケイは言うの?」
「僕達はお前の遊び道具じゃない」
「ふふふ。にわとり」
「は?」
「人間が食肉用として養鶏場で飼っている鶏。その鶏は、自分が最後には食べられるための存在だと思って生きているのかな?」
「…………」
「そういうことだよ。ケイや人間達の気持ちがどうであれ、この絶対的構図は変わらない。私やユウは、人間で――世界で遊んでいい立場にある。それだけのこと。その遊びに、ケイを参加させてあげようって、私は言っているんだよ? こんなに光栄なこと、他にある?」
「……生憎、もっと面白い遊びを知っちゃったんでね」
「ん? なに、それ」
僕は精一杯の強がりを、彼女へとぶつけた。
「鶏が養鶏場から脱出するゲーム」
零音は、呆れたように笑った。
「そのゲーム、難易度高すぎて成り立ってないんじゃない?」
「でもバグは無いらしい。いつか必ずクリア出来るって話だ」
「私の存在そのものが《バグ》の化身だということ、忘れてるんじゃない?」
「…………」
「…………」
視線を彼女にぶつける。零音は、どこかつまらなさげに嘆息すると、「まあいいよ」と話を変えた。
瞬間、周囲の映像が動く。
「下を見て、ケイ」
彼女に言われて下を見る。と、そこには……。
「空! それに……初代」
塔の屋上と思わしき場所。雲から突き出したそのフィールド。そこに、空と初代が対峙していた。
零音が、楽しそうに声をあげる。
「じゃあ、ゲームだよ、ケイ♪」
「なにを……」
零音は、戸惑う僕に対し、いい遊びを見つけた子供のように無邪気な笑顔で告げた。
「この勝負、どっちが勝つか、賭けようよ。私が勝ったら、ケイは私の忠実なコマになる。ケイが勝ったら、私はこの世界の崩壊から手を引く」
「…………」
普段なら「ふざけるな」で済む。しかし……今は、違う。この賭けを受けておけば、少なくとも、彼らの勝負を邪魔されることはない。つまり、充分に「足止め」の役割を果たすことが出来る。
僕は、こくりと頷いた。
「分かった。乗ったよ」
「流石ケイ! 話が分かるぅ!」
零音は心底楽しそうだった。……くそ、こういう顔を見ると、どうしても、違うって分かっているのに、ユウを連想してしまう。
零音は唐突に、「じゃあーんけーん……」と手を振る。ハッとして、僕も右手を出す。いつの間にか、体が動くようになっていた。
「ぽん!」
急に始まり急に終わったじゃんけん。結果は、僕がグーで、零音がパー。彼女の勝ちだった。
彼女は「やったー!」とはしゃぐ。僕は、意味が分からず嘆息した。
「なんなんだよ、一体……」
「じゃ、私から賭ける方選ぶよ?」
「ああ、そういうことか。いいよ、さっさとしろ」
どうせ初代に賭けたいから唐突なじゃんけんでだまし討ちしたのだろう。いいさ。どっちにしろ、僕は最初から空に賭けるつもり――
「二代目。……いえ、空ね。神無空が勝つに、私は《世界》を賭けるわ」
「!?」
零音がニィッと、邪悪な笑みを浮かべる。
コイツ……ッ!
「さあ、ケイ、祈りなさい。リョウが……初代が勝つことをね! あははっ!」
「お前……っ!」
「約束の反故は認めないよ。ゲームは、ルールを守らないと成り立たないもん。ルールを破ることに関してだけは、私はケイでも許さない」
「くそっ!」
憤慨するも、再び体が動かなくなっている。椅子に張り付き、ただただ空と初代の様子を見せ付けられる。
そして……しばらく何か話していた彼らが、遂に動いた。と同時に、零音が大きな笑い声を上げる!
「あははっ! ケイ、ほら、始まったよ! 面白い……最高に面白いゲームの始まりだよ!」
そうして。
空と初代の、世界の命運を賭けた勝負が始まった。