「っざけんな!」
そう叫んだ時には、既に転送は終わり、目の前にアイツの……馬鹿兄貴の姿は無かった。
塔の屋上。振動はまだやまないが、中枢部では既に初代があのオーブに触れてしまっているだろう。
「クッソ!」
もう一度中枢部へ行こうとするも、転送陣が起動しない。それもそのはず。塔は既に機能を停止しているし、そうじゃなかったところで、俺の体にはもう少しの霊力も残っていない。霊力を流し込まなければ動かない転送陣を扱うのは、最初から無理な相談だった。
それでも俺は、何もならないと分かっていながら、陣を殴りつける。何度も、何度も、何度も。既に歩くことも出来ない弱々しい体で、威力の無い拳を、幾度も、振り下ろす。
「どうせなら……最後まで悪役でいろよっ! 全然分かってねぇ! 全然分かってねぇよ!」
次第に拳を振り上げる体力も底を尽き、俺は、ただただ、うなだれる。
「酷ぇよ……。そういうのが……俺達みたいなのには、一番辛いんだよ……」
自分のために、誰かが犠牲になる。……あの馬鹿兄貴は、最後の最後で、俺に今までで一番深刻なダメージを与えていきやがった。
「…………」
がくんと、その場に倒れ伏す。最初から体にはもう力が残っていなかった。普通の霊体状態だったらとうに消えている。霊力なんて、あるのかないのかも分からない。それでもこの体を存続出来ているのは、偏に霊体物質化能力の賜物だった。それだって、いつまでもつかも分からない。
「?」
ふと、塔の振動が止まっていることに気がつく。どうやら、機能は完全停止したらしい。……ひとまず安心だ。
「…………」
ごろんと寝転び、空を眺める。
全て、終わった。
御倉了という一人の人間から始まった物語は、散々他人を巻き込んだが、ようやく、全部決着した。
まだまだ問題は山積みだ。山積みだが……とにもかくにも、ケリはついた。
これでようやく。
俺は、本当に、空っぽになれる。
ゼロから、ちゃんと、スタート出来る。
御倉了やそれに纏わる因縁に端を発した物語は、もう、終わった。
ここからは、やっと、俺自身の……神無空の人生を……始められる。
ゆっくりやっていけばいい。
少なくとも、これでもう、人類がどうこうという事態は終わったのだから――
…………。
…………!?
「え、ちょ」
ぐったりと横になっていると、信じられないものを目撃してしまった。
塔が……屋上の縁が、キラキラと光に変換されている。当然だ。そもそもここの材質は霊気。それが、役割を終えたんだ。幽霊とは違えど、目的からの解放という意味では、「成仏」と似た現象が起きるわけで。
つまりそれは、塔の消滅。ああ、願ったり叶ったりだ。人類の脅威が消えたんだ。大団円、大団円。
「……じゃ、ねぇえええええええええええ!?」
しゅわしゅわと、なんか塔の縁からどんどん消えていってますけど!
で、俺、今、満身創痍で全く動けないんですけど!
そして、ここ、屋上ですけど! 雲の上ですけど!
「落ちるよな!? え、これ、俺、落ちるよな!?」
オーブには自分が触る気だったのもあって、助かった後のことは全く考えてなかった。
いや、俺だってマテリアルゴーストのはしくれ。通常状態なら、高所から落ちたとて、なんとかなる。物質化能力で簡易パラシュートを作ってもいい。
だが、今は、話が違う。
放っておいても消えそうな俺。それが、こんな高所から垂直落下。
…………。
「全然、助かってないじゃん!」
拝啓、クソ兄貴野郎様。
あんたは人類と弟を救って満足に昇天なさったかもしれませんが、違いました。
弟は、今、アンタが急に人類救ったせいで、ピンチです。
「っつうか転送するなら、一階まで転送しとけよ! なんで屋上なんだよ!」
叫んでも何もならない。……初代が65億の死を体験していることに胸が痛んでいたが、それが若干緩和した。あの野郎、助けるならちゃんと助けろってんだ! なんなんだよ俺! どうせ死ぬのかよ! だったら、実質いいとこ奪われただけじゃないか! 俺、凄い無駄死にで、初代、カッコイイ死に方しただけじゃん!
「くそ、くそ、やべぇ」
屋上が端からどんどん消えて行く。背中が接している床も、心なしか、硬さをを失いつつあった。
いやだ。いやだ。落ちたくない。死にたくない。ああ、死にたくない。
だって。
空っぽだけど。俺は、何も持ってないけど。それでも。
兄貴が助けてくれた命を、可能性を、こんな簡単に無駄にしてしまいたくなんか、ない!
「ちっく……しょう!」
俺は生かされた。生きるチャンスを貰った。
これはもう、俺だけの命じゃない。式見や初代が、必死で守ってくれたものの一つだ。
「こんなんしょーもないことで……失っていいはず……ないだろうがよっ!」
体を起こそうとする。が、途中までで崩れ落ちてしまう。もはや、気力でどうこうなる状況ではなかった。
それでも、塔の消滅は待ってくれない。
床に再び手をついて起き上がろうとするも――刹那
「!?」
ガクンと。
支えを失い。
バランスを崩す。
「――」
屋上が。
消えた。
「――――ぁ――」
声を出す余裕も無かった。
体中に吹き付ける、風、風、風。
落下している。
周囲を、塔の残像の中を、高速で突っ切っていく。
残像がまだ残っているせいで、地面は見えない。
そのせいで余計に恐怖感が高まる。いつ地面に衝突するとも分からない中を、俺は、落ちて、落ちて、落ちて――
<ボフゥッ!>
「!?!!??!?」
衝突した!
思ったより早かった!
顔から、思いっきり、衝突! 痛みも何も感じなかった。ただただ、衝撃だけがあった。
ああ、死ぬ時って、こんな感じか。あっけないもんだな。元々死人だけど。
ごめん、初代。俺、結局あんたに貰った命、ものの数分で失って――
「な、ちょ、大丈夫!? ねえ、ちょっと、起きなさいよ!」
「?」
誰かに声をかけられ、ぱちぱちと目を開く。……どうせ、周囲は俺の臓器とかが飛び散ったグロテスクな惨状に――。
「リョ……じゃなくて、空!」
なってなかった。
代わりに、見知った女の顔が、目の前にあった。
「……鞠亜?」
まるでそれは、あの出会いのようで。
「ちょっと空、大丈夫!? なんで素直に落ちてきてんのよ、アンタ!」
「??」
意味が分からず、むくっと起き上がる。と――ようやく、自分が置かれている状況を認識した。
「飛行機? つうか……なんだこれ」
自分は、なんか知らんが、乗り物の中にいた。飛行機……飛んでいるし、そう言うのが適当だとは思うのだけれど、妙にレトロだったり、コンパクトだったり、屋根がなかったり、おもちゃっぽかったりとイレギュラーなため、今ひとつ確信が持てない。
なんにせよ、俺が衝突したのは、座席のクッション部分だったようだ。どうりで、柔らかいはずだ。それに、思ったほど加速度もつく前だったらしい。つまり……。
「た、助かった?」
「助かってないわよ!」
鞠亜に怒鳴られ、びくんと肩を強ばらせる。気付けば、彼女は俺の前の座席に座っていた。っていうかこれ……飛行機っていうより、よく見りゃ車の座席みたいなんだが……。
目の前には、とてもご立腹の様子の霊能マッドサイエンティスト。
「あんた何猛烈な勢いで降ってきてんのよ! ただでさえ不安定な機体なのに、もう! 完全にバランス失ったじゃない!」
「ええ? なんか俺、怒られてる? え、人類救う戦いしてきたばかりだよ、俺」
「知らないわよ、そんなの! 落ちるなら、一人で落ちなさい! 様子見に来た私達まで巻き込まないでよ、もう!」
「ええっ」
なんか酷い扱いだった。が……よく考えれば、さっきまで俺の心配をしてくれていた気もする。……まあ、鞠亜は元々こういうヤツだしと、受けいれておくことにした。
とりあえず、どうも緊迫しているようなので、状況を尋ねることにする。
「で……どうした?」
「どうしたもこうしたもないわよ! 塔が不穏な形態変化しているから、これは二人がしくじったんじゃないかと慌てて、昔自作したボロ飛行機で様子を見に来てみれば……これよ!」
「なるほど、鞠亜の自作か。道理で」
全体から胡散臭さが滲み出ているなと思いました。
納得していると、今度は鞠亜の隣……操縦席と思われる場所から、キンキンした高い声が飛んでくる。
「冗談じゃないですわよ!」
「あ、幽子もいたのか。小さくて見えなかった」
「な、なんですの! 命の恩人に向かってその態度はぁ――」
「ちょっと幽子! 操縦に集中しなさい!」
隣の席の鞠亜に窘められ、ちびっこは飛行機の操縦に戻る。
「……っていうか、おい。なんで幽子が操縦なんだよ」
ここまで果てしなく不安な光景を、俺はかつて見たことがあったろうか。
幽子はハンドル(やっぱり車の流用だ)を握ったまま、ふふーんと偉そうにしていた。
「わたくしのスペックを持ってすれば、このようなこと、造作も無いのですわ」
「ああ、またカラダの機能頼りか」
どうせあらかじめ鞠亜に仕込まれていたのだろう。
「そ、そんなことありませんわ! 生前からわたくしは充分ハイスペックでしたわ!」
「ふーん。車の免許は?」
「そんなものは持ってませんわ。しかし、わたくし、三輪車業界ではその人ありと言われてましたのよ」
「なにそれ、名誉なの? ホントに名誉なの?」
よく分からんが、まあ、とりあえず不本意ながら、操縦が一番上手いのは間違いないようだった。幽子本人が凄いわけではないけれど。
俺は「それで」と鞠亜に話を戻す。
「なにを慌ててるんだ、お前は」
「なにを、じゃないわよ! さっきも言ったけど、この飛行機、ただでさえ飛ぶのがやっとなのよ! そこに、アンタが降ってきたりしたものだから……」
「だから?」
俺の問いに、なぜか、幽子が笑いながら答える。
「既にわたくし、ぜーんぜん操縦できてませんわ! ほぅら、手放し、手放しー」
『はしゃぐなーーーーーーーーーーーー!』
変なテンションになってしまっている幽子はさておき。
気付けば、確かに、飛行機はさっきから塔の残像の中をぐるんぐるん旋回していた。おまけに、少しずつ高度が落ちていっているようである。つまり……。
「おい、鞠亜。これ、落ちるんじゃ……」
「だから、そう言ってるでしょ! ヤバイのよ、凄く! もう、これ以上ショックがあったりしたら――」
と、鞠亜が言った瞬間だった。
《キシャァァァァァアアアアアアア!》
『な』
唐突に、機体を大きな影が覆う。異常な金切り声に、見上げると、そこには巨大な鷲の化物が、バッサバッサと機体に合わせて旋回しながら、こちらを睨み付けていた。
「マテリアルゴースト!?」
幽子が叫ぶ。確かにあれは、マテリアルゴーストだ。それ以外に考えられない。しかし、なんでよりによってこんなタイミングで!
「塔の中にいた……残党?」
鞠亜が呆然としながら呟く。恐らくそんなところだろう。もしくは、あの性格の悪い零音の置き土産か。
「ど、ど、ど、どうしますのよぉ!」
幽子はがちゃがちゃとハンドルを切っているが、全く機体の動きに繋がらない。ちゃんと動いたところで、常識外の運動能力を持つマテリアルゴーストから逃れられるとは、思わなかった。
「くそっ!」
俺は応戦しようとするも……当然ながら、全く体が起き上がってくれない。
《シャアアアアアアアアアア!》
鷲の化物は、明らかに俺達を殺そうとしていた。駄目だ。あれは、完全な悪霊だ。しかも、見境のない、天災タイプ。俺がまともな状態だったとしても、苦戦するレベルの相手。どうしようもない。
「! そ、そうだ!」
――と、鞠亜がなにを思ったか、身を乗り出し、後部座席にやってきた。俺もいるためとても狭いの中、鞠亜は更に後ろの方へと体をやり、何かをしようと――。
《シャッ!》
瞬間。
遂に鷲が、こちらに向かって急降下を初めてきた! 狙いは……。
「鞠亜!」
叫ぶも、もう、遅い。
鷲の鋭い嘴は、まさに鞠亜の背を貫こうと――
《――――ゴン!》
鈍い衝突音!
…………。
衝突音?
「へ……?」
気付けば、そこあった光景は、重傷を負った鞠亜などではなく……。
なにかに殴り飛ばされたかのように、首をだらりとしながら、機体からはじき飛ばされて落下していっている鷲だった。
状況が分からずぽかんとしていると、背後から、凛々しい声が聞こえてくる。
「勝手に命令を推測、実行したが、問題はなかったか、ご主人様」
慌てて振り向く。そこには……なぜか飛行機のくせに備え付けてあった「トランク」から堂々と立ち上がっている、無表情メイドさんがいらっしゃった。
「り、リエラ?」
「む、みくら――ではないな、神無空。あの程度の相手もあしらえないとは、失望したぞ」
「え? いや、まあ、ごめん」
トランクからひょこっと出ている妙なメイドさんには、言われたくない気もした。
鞠亜が「ふぅ」と息を吐いて自分の席に戻りながら、説明する。
「一応連れてきておいたのよ、こういうこともあろうかと」
「なんでトランクに……」
「初代にやられたきり、メンテも不十分だったからね……。出来るだけスリープモードにして温存させておきたかったのよ」
「そう……。っていうかリエラは、その扱いでいいんだ……」
そう振り返ると、リエラは既にトランクを閉め、シュタっと、俺の隣の座席に降り立っていた。
「何を今更。というか、私は怒っている、神無空」
「はい?」
「お前のせいで、今日は昼ドラを見られなかった」
「ええ-。こっちは世界の命運賭けて戦ってたんですけど……」
最終決戦している時って、現場にいない人はいない人で、無事を祈ってくれていたりするもんじゃないのだろうか。
「まったくたるんでいる。世界ぐらい、一人で救えないのかお前は」
「どんなレベルの会話ですか、それは」
「帰ったら、特訓の必要性がある」
「ええー、もう戦闘力とか、いいよ……」
「式見蛍と初代はどうなった。零音という存在は」
「…………」
「……力がなければ、何も、守れない」
リエラは珍しく、感情を含ませた表情を見せていた。……自分の過去のことを重ねているのだろうか。
俺は少し俯き、そして、返す。
「特訓、付き合ってくれるのか? 命令じゃなくても?」
「…………。……私の鍛錬のついでだ」
ぷいと顔を逸らしてしまう。その態度に、鞠亜も一緒になってニヤニヤしていると……幽子が急に「にゃー!」と叫び声を上げた。
「もう、全然、まったく、本格的に、操縦の余地がないですわー!」
『えー!』
ほんわか大団円っぽい雰囲気を出している場合ではなかった!
一切何も解決していなかったことを、俺達は思い出す。
なんかエンジンもぷすぷす音ならしてらっしゃいますけど!?
「私は、普通に飛び降りて、着地出来る」
「リエラ!? なんで今胸張ってそんなこと言うの!? 一人で生き残る気満々!?」
「いざとなれば」
「裏切り者ー!」
ここに来て、友情とかも台無しだった。そうだ。俺達の間には、式見の帰宅部みたいなああいう温かい関係性は、全然無い。
「ふふ……ふふふ。わたくしも、この体に搭載された機能、『ぼよーん幽子ちゃん』モードを使えば、これぐらいの高度から落下しても……ふふふ」
「幽子!? てめ、そんな算段してないで、もっとガチャガチャやれよ! 努力しろよ!」
「……実は私も、こんなこともあろうかと懐に忍ばせておいた『ポケットパラシュート君』で、一人だけなら……」
「鞠亜!? え!? 何!? この集団、仲間意識ゼロですか!?」
拝啓、式見蛍様。帰宅部が、凄く、凄く羨ましいです。
ふと気付けば……全員が、俺をなんか温かい目で見ている。……おい。
「空。貴方と過ごした時間……楽しかったわ!」
「鞠亜さん!? ちょ、なに涙を目に浮かべてやがるんですか!? どういうエンディングに持ち込もうとしてらっしゃいます!?」
「わたくし……わたくし、世界を救った英雄と暮らせたこと、誇りに思って生きていきますわ!」
「っつうかなんで操縦すっかり諦めてんだよ、お前は! お前はとりあえず努力しろよ!」
「ここで死ぬぐらいの器では、大切なものなど守れるはずもない。そう思わないか、神無空」
「大切なものどころか、自分の体も守れそうにないんですけど!? 助けようよ! そういう人は、助けてあげようよ!」
『…………』
「お、お前ら……」
全員が憐憫の視線で俺を見ている。なんだ。これが、一つ屋根の下で一緒に暮らしたヤツらの態度か?
ぐれてやる……。
『じゃ』
全員が、あっさり、飛行機から脱出していく。鞠亜も、幽子も、リエラも……一斉に、それぞれの打算を持って、飛行機から飛び降りていった。…………。
マジだった。マジでヤツら、俺を見捨てやがった!
「う、うおおおおおおおおおおおお! 死んでたまるかぁああああああああああああ!」
いや、死んでるけどさ。
俺は最後の力を振り絞り、操縦席へと身をすべりこませる。
「い、生きてやる……! 生きて……生きて、ヤツらを地獄に送ってやるぅーーー!」
完全に悪霊のスタンスだった。それが良かったのか、ドス黒い性質ながらも、ちょっとだけ力が湧いてくる! 操縦ハンドルを握り、周囲の機器をとにかくガチャガチャやり、諦めず、なにがなんでも諦めず、俺は、力の限り生きるために動く!
そう! 人は諦めなければ、奇跡を起こせるんだ!
俺はこの戦いで、そう学んだ気がする!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そうして――。
《ちゅどーん》
普通に、墜落した。
世の中、根性論じゃありませんでした。
*
「おーい、生きてるー?」
そう言って鞠亜に救出されたのは、それから十分後のことだった。
「言い忘れてたけど、あの飛行機は墜落時、乗員が一人だけなら、、特製の《カプセルシェルター機能》によって守られるようになってるのよ。だから、三人脱出出来れば、あとは残りもなんの問題もなく生還できるんだけど……言うの忘れてたわ。いや、なんかアンタ凄い焦ってるから、おかしいなーとは思ったのよねー」
「…………」
かくして。
俺、空っぽの神無空の、人生最初の目標は。
「ふ……」
「ふ?」
「人類に復讐してやるぅうううううううううううううううう!」
兄の思想を引き継ぐことに、めでたく決定いたしました。
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