昼頃寝てさっき起きました。
起きて数分は布団の中でまどろんでいたのですが、その間、すっきりした頭で考えると全く持って意味不明の思考をしていたり。
多分私だけではないと思うのですが、寝起き、それも布団の中にいる間(外出ると多少なりとも覚醒するんで)は、「夢の中のルール」をまだ脳内で適用している感があって。
その「ルール」もまた、小説や漫画のように確固とした、それはそれで成り立っているようなものじゃなく。支離滅裂で、全く理解不能なはずなのに、自分はなぜか確信を持っている、そういう、ルール。
今日の私でいうと、なぜか布団でまどろんでいる最中、
「
ああ、これは丁度『4』だな。『4』だから、この気持ち良さなんだ。『3』だと全然駄目なんだよ。『4』、『4』、ああいいなぁ、『4』」
と思ってました。今となっては、全く意味不明です。何? どういうこと? 何が4だったの? セルフツッコミですが、今の自分にはホント理解出来ないのだから仕方ない。
でも不思議なことに、まどろみの最中はホント、なんか理解しているのです。それが世界の真理のように思い込んでいるのです。寝ぼけている私に「なんで『4』?」って質問したら、恐らく、「なんでもなにも、それ以外に何があるっていうんだ」みたいな答えを返すと思います。全然説明出来ないのに、芯から、その世界観を前提にしているというか。「時間は過去から未来へと進むもの」みたいなのと同じレベルで、「『4』だから気持ちいい」を信じていたり。
……うん、ここまで書いておいてなんですが、大丈夫か、今回のブログ。自分で読み返しても、「やだ、なに言っているの、この人……。怖い……」という感じです。
以前ドラマガで書いた寝台列車の話で、深夏の理解不能な夢の話を書きましたが、ああいうの書いている時とか妙に楽しいしなぁ……私は、大丈夫なのだろうか。
しかしそれにしても、なんで私は『4』に拘っていたのだろう。
最終的には、布団の気持ち良さを腕や足で感じているからなのか、「『四肢』であることが重要なんだな。うんうん、『4』だなぁ」とか考えてました。なにそれ。こじつけじゃん。世界は全て『4』で説明がつくという、まどろみ葵せきなの新説。
でも今回は全くもって意味不明ですが、こういうのが、たまに小説の元になるから侮れません。『4』は流石にアレですが、寝起きに信じていた世界観が、後から思い返してみると、あれ、以外と面白そうな設定だな、ということがあったり。そこまでいかなくて、依然として意味不明なものでも、少し冷静な頭で手を加えると面白くなりそうな素材とか、ホントたまーにあったりするんで。
こういうこと考えてると、よく連想するのが、「超能力の使い方」。
いや、なんかよく言うじゃないですか。ああいうのは、「信じるのが大事。心から『それ』が起こる事を確信すれば、『それ』は自ずと起こる」みたいな理論。
あの話でいけば、まどろみ中の自分は、本気で「その世界」の中に住んでいるのかもなぁと思ったりします。
信じることは力。うん、いいこと言った。こんなブログ内容なのに。結論だけ、いいこと言ったった。
まあ、『4』の世界はどうでもいいですが。
……皆さん、『4』は気持ちいいんですよ(まだ一応寝起き)。
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