最近微妙にプロットじみたものを書いてから小説書いているんですが、驚く程その通りにいかないですね。
生徒会のギャグ話は基本プロット無し(着地点だけ考えているケースはあり)で、シリアス部分に関しても、頭の中で流れはあっても、わざわざアウトプットするほどのプロットでは無いのでそのまま書くのですが。
例えば二年B組最終回みたいな割と入り組んだ話だと、ちょこちょこっと、メモ書き程度に先の展開を書いておいたりするんですね。これをプロットと言うのか微妙ですが。
でも、大概その通りにならないです。エピソードの順番入れ代わったり、併合されたり、プロットじゃたった一行のことが何ページにも及んだり(心情的な部分はどうしてもそうなります)。
で、最近もそんな感じでプロットを書いてみては、そこにまったく書かれてないキャラが登場してきたりします。
プロット通り話書ける人って、実は結構少ないんじゃ……。
いやまあ流石に全く別の話になるこたぁないんですけどね。基本骨子なんで。
ただ私の言うプロットって他の作家さんより大分ざっくりしすぎているんで、そこに幅が出ちゃうのかもしれませんけどね。
勝手なイメージですが、浦島太郎の作者さんも、もしかしたらそんな感じだったのかも! と思ったりします。
いやプロット書いた段階では、
・いじめられている動物助ける
・凄くいいお返しがある。めでたしめでたし。
だったのに、実際書いてみたら、なんかしまいにゃあ主人公が鶴になってたと。
……いや、多分違いますけどね。最初からあのテーマ性で書かれてたものだとは思いますけどね。
こう書くとプロットの意味が無さそうなんですが、筋道あってこその脱線だったりもするんで、やっぱり必要っちゃ必要なんですよね。
いつまで経っても付き合い方分からんです、プロット。
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