さぞや学校生活はつまらなかったろうと同情されるのは非常に不快な私だが、しかし、その通り。学校生活は本当につまらなかった。
どれくらいつまらなかったかと言えば、ビジュアル系ロックバンドが覆面でエアギターをかきならすコンサート……の三倍くらいかな。
他人が嫌いな私を無理矢理人口比率の高い教室に押し込み、軟禁、小一時間拘束するなんて、これは新手の性癖を持つ人物用のプレイか何かなのだろうかと思わざるをえない。高校初日、思わず隠しカメラを探してしまった程だ。
まったく、人間と言うものの精神構造には驚かされる。普段明らかに私よりぎゃあぎゃあと騒ぎ、大人しいことなんて大嫌いといった風の茶髪の女子生徒が、授業中はすっかりおとなしくしているのだ。正気か、と思った。暴れるところじゃないのか、そこは、と感じた。
とはいえ、まあ、学ぶことまで嫌いではない。しかし、授業は嫌いだ。教科書を読むのは好きだが、教師が偉そうに語るのが不快だ。お前の考え方に興味は無いよ、と誰か言ってくれないものかとずっと思っていた。私が言うわけにはいかない。私は空気を目指しているのだから。問題を起こして呼び出されて面談、なんていうのは、私にとってどれほどの拷問かは言わずもがなだろう。「私」に「向かれる」のはこの上なく不快なのだ。
学校の一番嫌いなところは、とにかく「優劣」の顕著なところだ。空気を目指す私にとってこれは中々にままならないことだった。順位を定めるということは、私を定義されることと同義である。私にキャラクターを与えられてしまうことだ。頭がいい雪瀬、体育が不得意な空。そんな感じに。
自分を定義するものは自分だけでいい。私は常々そう思っている。相対的評価なんてクソくらえだ。客観なんて知ったことかだ。私は、私を、雪瀬空を定義する。しかしだからといって、表面上しか見ていない他人に私を定義されたくはない。
私は私という人格、アイデンティティをそれなりに好ましく思っているし、誇っているが、他人にそれを少しでも語られるの、認識されるのは不快だ。私は、私だけのものなのだ。そういう意味で、私は、私に対する独占欲が強いのだろう。私、雪瀬空は、誰よりも雪瀬空を愛しているのだ。そして、私以外の人間に雪瀬空を愛する資格は無いのだ。
だから、私は学校と言う監獄が嫌いだった。いや、そう言ったら、監獄に失礼だ。あそこは教室よりももう少し個人が優先されている。重罪を犯した場合は独居房だったりするようだし。学校よりも数段マシな場所だろう。
それぐらいに、私は学校というのが苦痛だった。
なので、将来は内職、SOHOで暮らそうなんて決意していたほどだ。ただ、そういう他人に関わらない生き方が相当難しいこともしっている。だから、仕方なく、私は問題もおこさずに、学歴を手にいれ自分を自立させるためにも高校に在籍し好成績をおさめているのだ。
苦痛から逃れるためには苦痛を耐えなければいけないなんて、ほんと、この世界はままならない。
さて、流石の私といえど、学校で完全に誰とも接せずに過ごせるわけではない。出来るだけ接したくはないわけだが、あまりに拒絶を激しくしすぎると逆に目だって「空気」なんて言えないものになってしまうので、そつがなくこなす必要はあり。具体的に言えば、私のポジションは常に「いじめられているわけじゃないけど一人、親しい友達はいないけど愛想は悪くない」というものに保っていた。保つためには、人ともある程度接しなければならない。最低限。
「好きな者同士で班を組んでください」なんていう言葉は最悪。それを言った教師はサクッと殺してやりたくなるね。人間、割とそんなことで殺意をいだけるものだ。これで私が殺人事件を起こしていた場合、世間は私を理解できないと叩きまくり、更には「そんなことで……」とかいうのだろうけど。そういう言葉の残酷さを知らない、理解できない人間になんて、そもそも私が同情してほしくない。
学校に在籍していると、どうしても、更に細かい濃密なコミュニティに属さなければいけない場面が多々ある。クラスというのがまずそれだし、他には、委員会、部活、細かく言ったら「班」とか「当番」とかだろうか。まーとにかく集団行動の好きな施設だこと。
ん、記憶がかなりハッキリしてきた、
そう、地味に困るのは弁当だった。うちの学校は弁当とか購買が主な昼食手段で、学食というものはなかったし、給食も勿論ない。
そうなると、昼食を摂る場所は自然と教室が大半になるわけだが、これが困ったことに、全員が全員仲のいいもの同士で食べるため、私みたいなのは孤立することになり、教室で一人で御飯を食べていると意外と目立った。空気を目指す私にとってこれはいけない。しかしかといって他の集団に属すのもいやだった。
困った末に出した結論が、とあるはずれの階段の中腹での食事だった。
そこの階段は校舎のはずれにある、屋上にも続く階段。うちの高校は屋上は解放されていないから、つまり、中々そこに来る人間なんていな上、そもそも移動手段としても微妙な位置にある階段で、そこよりは他の階段で階を移動した方が便利だったため、そこは、いよいよもって誰も来なかった。しかも、楽しい昼食の時間だ。わざわざそんなところに来る変わり者はいまい。
階段の中腹にはボコンと壁が凹む形で、その奥に窓があるという部分があり、その窓までの凹んだ空間は丁度いい塩梅に一人で食事するためのテーブルのようになっていたので、私はそこに弁同箱を広げ、微妙にいい景色を専用席で眺めながら、ボンヤリと毎日昼食はそこで立ち食いしていた。空気を目指す割には実に特異な人間に見えてしまう行動だったが、幸いそこには前述したように誰も来なかったため、人の目を気にする必要はなかった。それに、一人用に区切られたその窓の前での食事は、私にとって学校での唯一の楽しみだった。親と食べなければいけない夕食よりも好きだった。
だから、クラスメイトは勘違いしていたと思う。昼休みになるたびに、私が少し珍しく笑顔になりながら弁当箱を持って教室を出て行くので、他のクラスの友達とか、もしくは彼氏と一緒に食べているのだろうと思われていたと思う。それはそれでいい効果だった。
だが……私がそうであるように、どんな場所にもイレギュラーというのは居るらしくて。
いつものように一人用窓で昼食をとって、プラスチックの端を唇に当てポケーっと窓の外の景色を見て黄昏ていた時のことだった。
「わ、びっくりした」
その言葉で私を逆にびっくりさせて、彼は登場した。階段下から見ても分かってしまう低身長と、そして幼さの残る顔。不思議なことだが、一年や二年しか年が違わないのに、下級生というのは雰囲気で分かってしまう。彼は間違いなく下級生だったが、しかしそもそもの素材からして童顔でもあるようだから、よくは分からない。
彼は本当に唐突に現れた。……普段立ち入り禁止で鍵もかかっていたはずの屋上から。
「…………」
そして、私はミスってしまった。あまりに気を抜きすぎていたため、空気キャラとして取り繕うセリフがぱっと出てこず、戸惑ってキョロキョロとしてしまったのだ、弁当を隠すことさえせず。当然彼はすぐに私の昼食に気付いたらしく、弁当を一瞥した。……私は恥ずかしくなった。久々に頬を赤くしてしまった。なんとなく、完全に自分を見られてしまった気分だったのだ。普段空気として過ごしている自分の、気を抜いた、核の部分を、見られてしまったと思ったのだ。私にとってこの窓辺の空間というのは、つまりそういう場所だった。自分のテリトリーだったのだ。しかもそこで食事をしているシーン、気を抜いた表情をしているシーンをばっちり見られるなんて、流石の私でも一瞬で感情を希薄にすることはできなかった。
結果、アホな言い訳をしてしまう。なにを言われたわけでもないのに。
「あ、えと、た、たまたま、ね」
今思い返しても嘆息してしまう。雪瀬空、一生の不覚だ。全く意味が分からない言い訳だった。
その時の自分も、すぐにそれに気付いていた。そうして……私は自分があまりに情けなく、恥ずかしくて、思わず俯いてしまった。
それは、彼の眼にはどう写ったのだろうか。死んだ今だから、あの時のことを少し冷静に考えられる。今なら少しだけ分かった。彼は、気を遣ってくれたんだということが。なんとなくだけど、彼だって、あんまり社交的な人間には思えない。その彼がああいうことを言ってくれたというのは、恐らく、やっぱり気を遣ってくれた結果だったのだろう。
「あ、なんかいい穴場ですね、そこ」
「え?」
「へえ。面白いですね。最近流行の隠れ家的っていうやつでしょうか? 羨ましいなぁ」
そんなこと言ってニッコリとする彼。私はぽかんとしてしまった。自分のことを棚にあげて、変わったヤツだなと思っていたのだ。
私は出来るだけ自然に切り替えした。
「え、と。き、キミはなんで屋上から? 確かカギかかって……」
「へ? ああ、いえ、なんていうか……。その……(飛び降り自殺を考慮していたとも言えないしな……)」
「ん?」
なんか彼が顎に手を当ててごにょごにょ考え込み始めてしまったので、私は首を傾げる。彼は「ああ、や!」と慌てて何か取り繕いながら、一旦屋上の鍵を閉めて、それから階段を下りて来る。そうして、私の前まで来ると、「ちょっと野暮用で」とだけ告げた。私は私で気まずいところを見られた直後だったので、糾弾はしなかった。……今考えると、中々にやっぱりあの青年は怪しいかもしれない。行動が不可解だ。しかし……それでも私を殺すような人間とは思えないのだけど。
そういえば、私はあの時、別の質問も続けた。彼が私のところまで来て、立ち止まったため、仕方なく私から話を振ったのだ。これも珍しい行動だったかもしれない。
「ところで、どうやって鍵を? 生徒には普通貸し出しとかされてないんじゃ……」
「え? ああ、だって、帰宅部ですから」
「は?」
「あ、いえ。ええと……その、まあ、不思議が不思議じゃなくなる、不可能が不可能じゃなくなる、常識が常識じゃなっくなる先輩がいるといいますか…」
ぽりぽりと頭をかきながらそんなことを言う彼。私は曖昧に微笑んで、その時は返したが、正直、今でも全く言葉の意味が分かってない。なんだったんだろう、あの不思議ワードは。
「えと……いつもここで食べているんですか?」
自分の話題はイヤだったのだろう。お互いになのだけれど。彼はやっぱりすぐにこっちに話題を振ってきた。地味に相手への話題振りの応酬である。どうやら彼も気まずい状況にあるらしかった。
「ええと、ああ、た、たまたま、かな。気分転換?」
なぜか嘘をついてしまった。まあ、これは判断ミスとも言えない。ここで毎日食べている生徒なんていうのは、それは、かなり濃い人間と認識されてしまいかねないし。彼はニコッと意外と無邪気な笑顔を返し、「そうですね。いいスポットですもんね。いいなぁ」と、これまた意外すぎる答えを返してきた。この子には、友達が居なくて寂しそうだとか、そういう発想がないのだろうかと、その時はまた戸惑ってしまったものだ。そして、同じクラスとかにいなかったことを安堵した。彼には、なんとなくだが「一般向けの対応」が通用しないような感触があり。空気としてやっていく上で問題になりそうな感がひしひしと、その一瞬の邂逅でも伝わってきた。
「…………」
「…………」
そもそもどちらも望まない会話である。弾むわけもなく、気まずく沈黙。私の箸が止まってしまっているのを見て彼は「悪いな」と思ったのか、「ええと、じゃあ」と帰る意志を見せた。私も「ええ」と返す。
数段そこからまた下がっていって、しかし、彼はすぐに振り返る。
「あ、ええと、出来れば屋上のことは……」
「ああ、はい。告げ口なんてしませんよ」
それは本気だった。なんで私がわざわざ、教師に告げ口なんてしなければいけないのか。空気になりたい私には全くメリットが無い。
彼はやっぱり素直な笑顔を返してきた。なんとなくクールそうな雰囲気の割に、とっさの反応が正直で、子供みたいな子である。
「ありがとうございます。まあ、なんとなく言わないでくれそうだとは思ってましたけど」
「ん? それは、どうして?」
「え? あ、その、ごめんなさい、勝手な印象です」
「……参考までに、どういう印象なのか聞いていいかしら?」
素の私の「印象」はどういうものだったのかかなり気になったので聞いてみた。彼はちょっと難しそうに悩む素振りを見せたが、私の「ああ、ホントに素直な感想でいいですよ。世辞とかは逆にちょっと……」と声をかけると、安心したように返してきた。
「えと……なんとなく、その、自分とか先輩とかに近いかなー、なんて思ったっていうか」
「あなたと先輩?」
「ええ。なんていうんだろう……『自分の大事なもの以外バッサリ斬る!』みたいな」
「! ど、どうして、そう?」
「あ、いえ、ホント、なんとなくですから。すいません、なんか。あ、でも、僕はそういの、いいと思いますよ。いえ、自分を肯定しているんじゃなくて。なんとなく、そこで一人で弁当食べて景色みている貴女、すごくカッコ良かったから」
「……かっこ……いい?」
人生で初めて言われた単語だった。かわいい、というのは幼い頃とか何回か言われたことあるけど。カッコイイとはまた。
私が呆然としていると、彼は「あ、鈴音と昼飯食べるっていってたの忘れてた!」と、今までの雰囲気ぶち壊しの、何か凄く慌てた様子を見せ、
「す、すいません あ、あの、じゃあ、ええと、屋上のこととかでなんかトラブルあったら、一年B組の式見蛍まで連絡下さい! ほら、もしかしたら今回の件ばれた時に、そこで御飯食べていた貴女にもとばっちりいくかもしれませんし!」
と、慌てているくせに妙に聡い気遣いをし、そのままドタバタと駆け出していってしまった。……あのクールそうな彼がそんなに慌てるほど、その「リンネ」とかいう人は怖いのだろうかと思いつつ、変なヤツだったと、息を吐く。
そう……思い出した。これが、彼……「シキミ ケイ」との会話だ。多分、「シキミ」は「式見」だろう。ケイは……ちょっと色々ありすぎて分からない。
うん、とにかく、苗字さえ分かっていればあとは割と簡単だ。当時一年……これから二年の「式見」。
あの学校で特にこれといった接点があった、イレギュラーな接点があったのは彼ぐらいのものだ。
とりあえず学校でなんとか彼のことを調べて、見つけたら、後は、彼にしばらく密着してやろう。とはいえ、今は春休み……都合よく住所名簿が開いていたりもしないだろうし……。ここは、やっぱり始業式を待つべきかもしれない。
そういうわけで、私は、高校内の捜査は始業式まで待つことにした。
式見をマークしていれば、犯人が分からなくても、何か、「面白いことになる」。そんな予感がなぜか、ガラにもなく、私の中を満たしていた。
――式見蛍に物質化能力が顕現するまで、あと二ヶ月弱――