そもそも私を殺した犯人の容疑者として、式見蛍を疑ったわけだけど。
とり憑いて数日で、正直、人を感情論であまり語らない私でも、「この子は違うな」と感じていた。
それこそ、普通の尾行だったら――学校や外での顔だけを見ているのだったら、すぐには結論を出せなかったろう。大人しい顔して、実は裏では凶悪な人間なんて、この世の中ごまんといるしね。
ただ、私の場合は事情が違う。幽霊の、そして霊能力者である神無鈴音にさえ見破られないこの透明すぎる体を利用して、彼の日常生活を、そのプライベートまで観察できるのだ。
つまり、彼の自宅、日常生活まで完全に捉えられるわけである。もし彼の中に通り魔的性質があるならば、日常生活のどこかでやっぱりその片鱗は見せるはずだし(例えば、ネットで陰惨な画像をを集めていたりとか)。ましてや私を殺した犯人ならば、警察の動向や、私の事件のニュース等を気にするはずだ。
しかし、彼にそういったことは一切なかった。一応きちんと彼の生活サイクルを調べるために一週間張り付いてみたが、どこまでいっても、彼は少々感情が希薄で淡白な、童顔の少年に他ならなかった。
ま、まあ、流石にあんまりにプライベートな時間、空間を覗きはしなかったけど、ほぼ二十四時間はりついても怪しいものが出てこないというのは、これはもう潔白と判断しても良さそうな気はしていた。
特に明確たる証拠があったわけではない。都合よく彼のアリバイを証明するような会話はなかったし。
それでも、私の心は既に彼を犯人じゃないと決め付けていた。
だから、普段の、全てを「事実」だけで判断でする冷淡な私からしたら、これは本当に驚くべきことなのだけれど……。どうしようもない。
そもそも、昔から他人に関わらなかった私は特になのだけれど、こんなにも一人の人間の全てを見たことはなかった。
流石に……私といえど、感情移入しないのは無理だった。
式見蛍という人間にどことなくシンパシーを感じてしまったのも大きかったかもしれない。どうも彼は私ほど人間関係を制限してはいないものの、本当は……裏で、一人の時に特に見せるその顔は、いつも、どこか「諦め」のようなものを浮かべていた。
それこそ、帰宅部部長とかいう真儀瑠紗鳥や、友人の神無鈴音と絡んでいる時は、控えめながらとてもいい少年なのに。
一人になると途端に、溜め息の回数が多くなり、そして、無表情でいることが多い……感情の希薄な、ロボットみたいな印象を抱かせる人間になった。
それでいて、しかし買い物の際などにはちゃんと店員さんに笑顔で語りかけたり、ご近所さんとにこやかに挨拶したりするため、鼻持ちなら無い類の「悲劇の主人公気取ってます」という感じでもなく……。
それは、どことなく、自分の生き方と似ている気がして。
口癖が「死にたい……」なことも、特異な点の一つだった。冗談で言っているようで、でも、本当は冗談じゃないような響き。悲しみにくれているようで、でも、ハッキリとした動機をもってないような、曖昧さ。いつも慢性的に「死にたい」割には、それほど真剣味を帯びない精神状態……。
自分のことを差し置いて、「複雑な子だな」と思った。そりゃ、他人の心の機微を察知しなければならない、恋愛なんていうものに鈍感にもなるはずだ。神無鈴音も、この子の心を把握しきれないはずだ。そう、あの飄々とした真儀瑠紗鳥だって、興味本位で覗いてみると、彼と別れた後は嘆息しているようだった。理由は、彼に真の意味で心を開かせることが出来ない自分への苛立ちとか……そういうものだったのだろう。
私はそんな彼の生活を見守りながら……こんなに一人の人間に深く入れ込んだのは初めてだったから、ちょっと、肩入れしたい気持ちになってしまった。
なんとなく、神無鈴音や真儀瑠紗鳥の気持ちに納得できた。彼は、儚いのだ。しかも、それでいて、実はいいヤツだったりするため、ほっとくことさえ出来ないのだ。
「ずるいなぁ……」
最近では、彼を見るとつい私も、そんなことを呟いてしまう。人を寄せ付けない嗜好をもちながら……自分勝手でありながら……でも、ホントに大事なことを間違えない。だから、周囲の人間も彼を見限れない。触れれば傷つくのは分かっていても、やっぱり、人の感情ってロジックじゃないから、惹かれることをやめられない。……私も含めて。
別に、真儀瑠紗鳥や神無鈴音のように、本気で彼に恋をしたわけではない……と、思う。そもそも恋や友情なんていうものから遠ざかってきたから、この感情がなんなのかは、自分でもよくわからない。
ただ、なんとなくだけど、この子は幸せになれるといいなぁと、単純に、そんなことを思った。
これは実際私、雪瀬空にとっては非常に驚くべきことだ。私が他人の幸せを願うなんて、「どうかしてる」としか思えない。
でも……この気持ちは、紛れも無く、本当だった。
これだから……私は、人に入れ込みすぎるのが嫌いなのだ。苦しくなる。そう、苦しくなるのだ。他人に好意を抱くって、苦しいことと同義だ。
それは、別に恋のせつなさとか、そんなものに限らない。
私は今……例えば、この式見蛍に不幸なことが降りかかったら、ちょっと……いや、かなりイヤな気分になる。苦しくなる。
本当は背負わなくていい他人の苦しみを、好意というのは、背負ってしまわせる。
幸せも分けて貰える、なんて言う人もいるけど……そうは思わない。確かに式見蛍が幸せになったら、気分は少しいいけど……でも、大したことではない。苦しみを背負うに見合うものには、どうしても思えないのだ。
だから……。
だから、変に名残惜しくはあるけど、式見蛍の観察はいい加減やめようと思った。むしろ、犯人じゃないと分かっているのに、未だに彼の観察をやめない自分に呆れていた。
まったく……どうしたというんだ、雪瀬空。変だ。
変と言えば、最近、神無鈴音にかなり怪しまれている。まだ私の存在を確信するには至ってないようだけど、日に日に私の居る場所の見当が正確になり始めているのだ。
なんとなくだけど……理由は、分かった。
式見蛍のせいだ。私は……彼のこをと想う時、空気ではなかった。確かに、雪瀬空という一つの人格だった。空気は人に好意を抱かない。空気は人の幸せを願ったり、同情したりしない。
つまりは、ここ最近の私の感情の揺れは、私の透明性、希薄性を崩れさせているらしかった。
色んな意味で、そろそろ潮時だった。
私は式見蛍の密着をやめることにした。
……正直、かなり残念だった。なんとなく……気の迷いとしかいいようがないけど、このまま、彼につきまとっているのも、それはそれでいいなと、思っている自分も居たのだ。
そして、自惚れとかじゃないのだけれど、彼の心を本当に開けるのに必要なのは、私みたいな存在なんじゃないかとも、思った。つまり、四六時中彼の傍に居られる存在。強引でも、無理矢理でも、土足でも、彼に踏み込む存在。それこそ……とり憑く幽霊のような。彼に寂しい顔をさせる暇を与えないような、存在。
そういうのが、式見蛍という人間には必要なんじゃないかなと……私は思っていた。
……本当……私は、変だ。
自分は人に察知されないことを、今まで至上の幸せと思っていたのに。彼の幸せに必要なのは、全く逆のものだと、客観的に見て、思ってしまっている。
その前に、彼が私に似ていることを確認しているのに……だ。
「…………」
……自分の生き方を、考え方を、そんなに簡単に否定はできない。
だから、私は、頭をぶるぶると振った。自分の人生が間違っていたなんて……思いたくなかったし。
私は意識的に式見蛍のことを忘れるために、再度、自分の事件に集中することにした。
式見蛍についている間に、一つ、得た情報があった。
ある意味では、式見蛍だからこそ、得られた情報とも言える。
発端は、真儀瑠紗鳥という、得体のしれないあの帰宅部女子の噂話からの情報だ。彼女によれば、私の事件が起こる少し前から……高校の近隣で動物の変死事件が数件あったというのだ。それはしかし、人のペットなどではなかったし、死体もあからさまに虐殺されて晒されていたりしたわけではなかったから、それこそただの「気味の悪いこと」として、高校内の人間数人の間でだけちょこっと話題に上っていたこと。だから、通り魔事件の可能性を考えている警察には非常に重要そうな情報なのに、警察に伝わっていないのも、無理はなかった。
真儀瑠紗鳥はそこから、更には私の事件まで繋げる大胆な推理をしていて、かなりドキっとした。けど、こういうのはいつものことなのか、式見蛍はかなり適当に聞き流していた。
そして、ここからが、この情報を私が重要視するきっかけとなったことなのだけれど。
真儀瑠紗鳥から聞かされた動物変死の事件を、何気なく神無鈴音に式見蛍が話した際のことだ。
「……確かに、ここ最近、憎悪に満ちた動物霊が多かったわね……。特に人間に対する憎悪。まあ、悲しいことだけど、このご時世、こういうのは割とよくいるから改めては気にしていなかったけど……」
神無鈴音はそんなことを言っていた。その後は、彼女特有の「最終的には全く関係ない話題に発展する語り」をしていたので、私は式見蛍に「ご愁傷様」と声をかけ、自分はしばらく退避したけど。
神無鈴音の霊能力がかなり信用に足るのは証明済みだ。彼女の真面目さも。だから、彼女が動物霊が多かった気がするなら、実際その通りなのだろう。
そうなると……噂は、真実味を帯びてくる。
真儀瑠紗鳥は、もう一つ、気になる推理もしていた。高校周辺での動物変死事件が、春休み以降ぴったりと止まっていることだ。
これに関して、真儀瑠紗鳥は、かなり大胆な推理を……ほぼ決め付けのような、警察では絶対にとりあってもらえないようなことを……でも、私には聞き捨てならないことを言っていた。
「犯人は卒業生だ。それも、更に絞り込める。……高校周辺に犯行が集中しているというのは、これ、実はかなり重要な情報だぞ、後輩。
まずだな、高校周辺での事件というと、漫然と生徒全員に可能性があるように思えるが、それは違う。繰り返しの犯行となれば、どうしたって、移動は手間になる。……というかだな。動物殺し系の犯罪は、とりあえず、手間を優先すると思うんだ、私は。人を殺すのとは違うからな。警察が本格的な捜査をするわけではないならば、アリバイ作り云々なんていうのは、殆ど気にしない。となれば……どうなる? 後輩。お前なら、わざわざ電車を使って移動して動物を探しに行くか? 放課後、制服に血がついたりするかもしれない危険や人に見られる危険をおかしながら、高校から制服のままで動物を殺しに行くか?
そう、これは漫然とした「生徒」の犯罪に見せかけて、その実、「周辺に住んでいる生徒」の犯罪だ。つまり、そもそも高校周辺に在住しており、リスクが少ない者。放課後の危険な時間帯に犯罪を犯すなんていうのも考え辛いしな。そうなると、深夜等、人の居ない時間に殺していることになる。深夜にこの周辺をさくっと出歩けるなんていうのは……近隣に住んでいる証拠だ。当然、こんな賢しいことを思いつき、なおかつ春休みからなくなっていることを考慮すれば、この学校の生徒であることも想像に難くないだろう。
更に絞り込めば。この人間は、卒業と同時に、とりあえず住所は変わっている。この地域から離れている。動物殺しが止まっていることからの単純な連想だが……実は、それ以上の推理も出来る。
この人物は、かなり「遠方」に進学ないしは就職しているはずだ。動物変死が話題になったのは2~3月ぐらいの僅かな期間。そう……受験が終わって、一段落したんだろうな。それも、多分、遠方への転居が決定した。だからこそ、大胆な行動にうつった。ここで、この土地で多少問題を起こしても、さっさと逃げられてしまう未来が確約された。あ、つまり、犯人は受験ないし就職に失敗していない人間ともいえる。
ふふふ……大分絞れてきたんじゃないか、これで。卒業生で、受験に成功しており、高校近隣に住み、更には遠方に転居した学生。ここまでの条件に当てはまる人間なんていうのは、それこそ数人だぞ。そもそもこの学校に電車等を使わず通える距離の人間というのが、そもそもそれほどいないかったからな。
で、最近起きた例の殺人事件へ関連付ける理由は……まあ、実はちょっと弱い。ただ、この手の犯人なら、遠方に行く直前に「もっとでかいことをしたい」と疼いても不思議じゃないということと……後は、その矛先が、元々気になっている同級生だった、とかかなと推理したわけだな。
……っておい。後輩。お前、今、寝てただろう。……いい度胸だ。ふん……事件の捜査なんてしったことか! 話を逸らすな! もう事件なんてどうでもいい! こーうーはーいぃぃぃ……。今日は……『帰宅』できると思うなよぉぉぉぉぉ!」
……おっと、余計なことまで思い出してしまった。
とにかく、真儀瑠紗鳥の推理は、まー憶測が多いながらも、何の指針もない私にとっては名探偵と賞賛したくなるくらいにありがたいものだった。
私はこの推理を聞いてから、職員室や、私の事件の捜査をしているらしい刑事、更には自分の記憶にあるクラスメイトのところを訪れて、どうにかこうにか、自分のクラスで、彼女の挙げた条件に当てはまる人間をさぐった。
とはいえ……私の出来ることと言えばただ見守るのみ。質問とかは出来ないし……それは、本当に、地道な……というか、無謀な作業だった。
かなりの時間を費やしてしまった。
四週間ほどかけて、私は、ようやく、一人、真儀瑠紗鳥の挙げた条件に合う人物の行き先を知った。……まあ、私の努力というよりは、偶然の賜物みたいなものなのだけれど。しかしその偶然の瞬間にだって、根気良く私が刑事や職員室に張り付いた結果に得たものなのだから、ある意味では努力の結果とも……多分いえる。
かくして、私は、時折ちらちらと覗いていた式見蛍や周囲の面々に別れを告げ、半ば賭け気味に、南の地方の大学に進学したそのクラスメイトを追って、殆ど期待もせずに、新天地へと向かったのだった。
…………。
……そこで、私は、悟ることになる。
真儀瑠紗鳥には間違いなく、名探偵の才能があったことを。
そして、その推理力と行動力は時として、周囲の人間に多大な被害を及ぼしてしまうことを。
――式見蛍に物質化能力が顕現するまで、あと二週間――