目が覚めた時から、まあ、なんとなくそんな予感はしてたんだ。
いや、でも、言うほどショックではなかった。
だって、それこそ、もう、分かりきったことだったしな。
俺は、死んだ。
まあ、死の瞬間のことはよく覚えている。
心臓をナイフで刺された。
容赦なく。慈悲なく。、躊躇なく。完膚なきまでに。
だから、正直、自分が「ああ、終わったな」ってことは元々察していたわけで。
だから、こうして意識が存続しているのは……なんつうの……得した、という感覚に近いものがあった。
ただ、どうやら、生きているわけじゃなさそうだ。体はなんか半透明だし、物に触れない。……困った。
見ると、自分の死体が布団の上に寝かされている。体は綺麗にされていたが、なんだか、それが余計に生気を感じさせない。
「……びみょう」
恐らく自分はあの体から出てきたのだろうが、こうして、改めて自分の死体を見ると、中々に気持ち悪かった。自分の体なのに。さっきまであそこにいたのに。もう、あの中には帰りたくない。
嘆息する。
部屋の中を見回してみる。畳張りの、10畳ほどの和室だった。中央に、俺の死体が横たわる布団だけがぽつんとある。
さて……これは一体、どういう状況なのだろう? 葬式? いや……なんか違う気がする。
障子の方に向き直る。……仕方ない。少し散策してみよう。そう思い、障子を開けようと手をかけるが、見事にすりぬけた。
「……慣れねぇな、このカラダ」
ぽりぽりと頭をかく仕草をする。当然頭はかけない。
部屋から出るには障子をすりぬける……つまり、突っ込めばいいわけだが、いかんせん、「障子は頭からぶつかっていくもの」なんていう教育をされた覚えが無い。19年間しか生きなかった若輩者だが、正直、かなり抵抗あった。
そうはいっても、仕方ない。目をぎゅっとつぶって、前へ浮遊移動。いざいかん、すりぬけの境地。
――と、瞬間、ガラッと障子の開く音がした。「へ?」と目を開ける。
「っ!」「ひゃわ!?」
目の前に広がる少女のドアップ……どころか、いや、接近しすぎて……。
<ぶわ>
少女の中をすり抜けて、背後にまで出てしまう。目の前には、どこの料亭かと思う夜の庭園が広がっていたが、今は、そんなものに心を奪われている場合ではない。慌てて背後を振り返る。
そこには、ぺたんと、女の子座りで崩れ落ちている少女が居た。こちらに背を向けているため分かり辛いが……身長と、さっき見た顔の感じからして、中学生か、高校一年生ぐらいか。年齢は分からないが、小柄という印象を受ける。
しかもこの少女、白と赤の着物……世間的に巫女服と呼ばれるものを着ているらしかった。その巫女少女が、「ふぇぇ」と、こちらに背を向けたまま、ぺたんと座り込んで泣きそうになっている。
「……なんだこの状況」
自分が、なにか、凄い悪者に思えてくる。死んでから、凄い大罪を犯したみたいな気がする。……あ、俺、もしかして「悪霊?」。うわ、なんか、やだな、それ。悪いことしたかもしんないけどさぁ……や、悪気は無いんだよ。あれ? でも、悪気無くても迷惑かける霊って、テレビとかじゃ、よく、霊能力者に強制的に成仏させられたりしているよなぁ……。俺、もしかして、結構まずい存在?
色々頭の中はごちゃごちゃしているものの、仕方ないので、まずは、少女にフォロー入れることにする。
「あのぉ……」
「ふぇぇぇぇ」
「うっ」
涙流しながら、いや、鼻水まで流す少女がこちらを向いた。……なんか、彼女のことは全く知らないが、その鼻水はいけないと思う。顔立ちがいいし、巫女服という神秘的なキャラなのに、なんか、こう、全部台無しにする感じがある。
「ご、ごめん、驚かせて」
「う、ぅぅぅぅ……だから幽霊はキライなんだぁ」
「…………」
理不尽な。
「悪かったって。……じゃあな」
正直他人のことなんて構っていられる状況でもなかったので、さっと手を上げて去ろうとする。
しかし……。
「……泣かせた女を放置する男……」
「うぐ」
「しかも死人」
「や、それは不可抗力」
「しかも割と美青年」
「それ、マイナスポイントだったの?」
「しかも善人」
「ねえ、それ、誉めてない?」
「だから大ッキライ」
「……とりあえず、お前の性格が果てしなく捻くれているのだけは分かった」
嘆息する。少女は、ぐっと袖で涙と……そして鼻水を拭う(神聖な巫女服が……)。
……ん? そういえば、善人やらなんやらと……なんか、この少女は俺を知っている風だが……。改めて、彼女の顔を見てみる。……思い出せない。そもそもそれほどこの年代の知り合いなんて居ないから、知り合いなら、多少縁遠い人間でも思い出せるはずなのだが……。
「ええと、どこかでお会いしましたっけ?」
直接訊ねてみる。彼女は「ふんっ」と偉そうにしていたが、散々涙と鼻水を見せた後じゃ、その威厳も全く無い。
「私のことを覚えてないとはね……」
「あ、あのぉ……」
「まあ、私の顔を貴方は見たことないでしょうけど」
「じゃあ知らねぇよ! 怒られる謂れねぇよ!」
壊滅的に性格の悪い巫女だった。彼女はふたたび「ふんっ」と鼻を鳴らすが、偉そうな態度がそもそも何か「さまになってない」ので、むしろ、滑稽である。
彼女は俺の顔をちらちらと見て、それから、また視線を逸らして、ぶつぶつと呟いてきた。
「あ……あんたがかばったのが、私」
「?」
「だ、だから、その……」
もじもじする少女。……? …………!
「ああ、あれか。さっき……かどうか良くわからんけど、ナイフで男に襲われていたヤツ」
「……せ、正確には、悪霊にとりつかれた男に、だけど」
照れ隠しのためか、そう解説して、またぷいっと顔を逸らす彼女。……ふむ。そういうことか。
俺は、実は、人をかばって死んだ。コンビニに行って帰る途中、路地裏で、ナイフを持った男性が誰かに襲いかかっているのを見たのだ。条件反射的に俺は飛び出し、そして……。
「無様に散った、と」
少女がふっと馬鹿にするように笑む。
「助けて貰っといてなんだそれ!」
「や、私、勝算あったし。事実、あれから、私、普通にあの男捕まえて、除霊したわよ」
「……ほう。俺は、つまり」
「無駄死にね。どうしようもないほどに」
「ちくしょー! 滅ぼしてやる! いっそこんな世界、でっかい悪霊になって滅ぼしてやるぅぅぅぅ!」
俺は物騒な決意をかためて泣きながら飛び出した。巫女少女の制止も聞かず、庭を横切り、塀の上を飛び越えようと――
「っ!?」
〈どくん〉
瞬間、無いはずの心臓が脈打つ。そうして……
「う、うわぁぁ!?」
慌てて塀から離れ、庭に戻る。……ヤバイ。何か、ヤバイ。塀の外へ出てはいけない。いや、出ようとしてはいけない。俺の何かが警鐘を鳴らす。
「結界よ」
背後から庭に降りてきた少女が、淡々と告げた。
「け、結界?」
俺は腰を抜かしたままで訊ねる。少女は「そう」と答えた。そうして、邪悪に、ニヤリと笑む。
「貴方をこの家から逃がしはしない」
すぐに察した。巫女装束……。つまり、この、変な力を使っているのは、詳しいことは分からないけど……。
「てめぇ……」
ギロリと睨む。つまり、俺は、檻に入れられたってわけだ。……助けた女にそんなことされてニコニコしていられるほど、俺は紳士じゃなかった。
いや、こんなところに居る場合じゃない。藍璃(あいり)に会いに行きたい。行かなきゃいけないんだ。彼女に俺が見えるのかは甚だ疑問だが、それでも……それでも、「告白して、15年越しの恋が叶い、幼馴染から恋人になったその翌日に、胸を刺され死亡」では……あんまりだ。藍璃は泣き虫だし……ああ、もう、どうしたらいいんだっ! とりあえず分かることは、ここに居ては何も始まらないってことだ。
強い意志を持って、少女を睨む。しかし彼女は……先程のように、情けなく泣き出したりしては、くれなかった。ただひたすらに、冷たい目を俺に向けている。
そうして……意外な一言を、口走った。
『貴方……生き返ってみたいと、思わない?』
「……え?」
聞き間違いかと思った。少女はもう一度、不敵に微笑む。
「生き返るの。つまり……この世の法則を、覆すの」
「なん……だって? 出来るのか? 幽霊になってから生き返ることなんて……出来るもんなのか?」
正直、俺がまだ生きたいっていうのもあるが。それ以上に、藍璃のもとに生きて帰ってやりたかった。そうしないと、藍璃は、まず間違いなく不幸になる。傷が癒えるまで、何年もかかってしまうのが、目に見えている。
生き返りたい。そんなの、当然だ。
俺がどうやら「その気があるようだ」と判断したのか、巫女少女は一転して笑顔になった。
「普通は出来ないわね。生き返るなんて、無理。無理もいいとこ。馬鹿じゃないの」
「よし、まず俺の悪霊デビュー最初の犠牲者はてめぇだぁぁぁぁぁぁ!」
「落ち着いてよ、この野獣」
彼女はそう言って懐から一枚の札を取り出すと、何か呟いた。途端、彼女に近寄れなくなる。……さっきの「結界」とやらに似た感覚だった。
「くそっ……」
「まあ、聞きなさい。普通なら、無理よ。元来の手法、元来の法則、元来の教え。それじゃ、無理。だけどね……」
「なんだよ」
「普通じゃない方法なら、いけるかもしれないわよ」
「っ」
瞬間の、少女の顔は酷く狂気に満ちているように思えた。……なんだ、コイツ。おかしい……。普通の霊能力者じゃ……ない?
彼女は続けてくる。
「密度」
「は?」
「凝縮していくの。どこまでも、濃く、濃く、濃く、濃く」
「お前……なに言って……」
狂気じみていた。巫女の眼が、暗いものに変わっている。
「幽霊っていうのはね、他の霊力を取り込むことが出来るの。まあ、そういうことするのは普通悪霊だけどね。だから、貴方には、悪霊になってもらう」
「は? お前、何言って……」
「こう言っているのよ……御倉了(みくら りょう)」
「あ……」
こいつ、なんで俺の名前を……。
『貴方には、これから、史上最強の悪霊になって貰う』
「……はい?」
もう、わけが分からなかった。今は、生き返る話をしていたんじゃなかったか?
「おいおい、生き返るっていうのはどこに……」
「分からない?」
「分かるかよ」
「生きているものと、幽霊の違いって、何かしら。厳密には色々あるけれど、最終的には、『見えない・触れない』。この点に集約されるわよね。で、ここで、過去の事例。あまりに強大になった霊は、なんと、霊能力者じゃない一般人にさえ、視認されてしまうらしいわよ」
「あ……」
「分かった? つまり……強大になれば、一般人にも見える存在になることは出来る」
「でも、結局、触ることは……」
「ここからが、私の仮説。もし。もしよ? 見えるほど強大になっても、そこで満足しないで……そして、霊能力者から排除されないで、ひっそりと、でも、着実に、成長を進めたら? もっともっと……更に、霊力を詰め込んだら? ……出来上がると思わない? 『他人に見えて、しかも、物質に触ることも出来る霊体』」
「な……」
狂気じみていた。発想が。巫女の発想じゃない。というか、生者の発想じゃない。普通は、そんなもの、排除する側のはずだろう。
「お前……何考えているんだよ。お前の仕事って……巫女の仕事って、対極じゃねえのかよ」
「私は……」
そこで、彼女は目を伏せる。
「私は……異端だから」
「異端?」
「ん、そう。こういう研究欲が度を過ぎちゃっていてね。本家から隔離され……こんな家に閉じ込められた、異端。存在を抹消された、居るはずの無い……生きているはずのない、人間」
そう言って、彼女は屋敷を見渡す。……そうか……。ここが「檻」なのは……俺だけじゃ、なかったってことか。
俺はそのまましばらく逡巡した後……最後に藍璃の顔を思い浮かべた。
「それは……その、史上最強の悪霊になる手法はさ……」
「なに?」
「俺は……俺のままで、いられるのか?」
「……分からない。いえ、意思をなくす可能性の方が高い」
「ハッキリ言うね」
「嘘をついた勧誘は、イヤだから」
「そっか……」
「でも、出来る限りのことはする。私も、暴走されたら困るから」
「……そう」
それで、決心がついた。俺は立ち上がると、触れないのは承知しているが、彼女に向かって手を差し出した。キョトンと俺を見る少女。
「よろしくな、これからも」
「あ……」
彼女はぱぁっと笑顔になると……しかし、「こ、こほん」と、その笑顔を隠すようにして、表情を真面目に取り繕いながら、手を、俺の手に重なるように差し出してきた。
「よ、よろしく。ええと、私の目算だと、触れるようになるまでには、噂になるレベルの悪霊49体ぐらいは取り込まないと無理っぽいけど……」
「長い道のりだな……」
49匹も、都市伝説レベルの魔物を自分の中に飼いならすのかと思うと、今からげんなりした。まあ、史上最強というからには、それぐらいでなくちゃいけないだろうが……それでも……。こっくりさんとか、口割け女とか、人面なんたらとか、そういうものを自分の中に取り込むってことだ。……かなりくじけそうだ。
俺はしかし、ニッコリと笑う。……そんなのは、でも、藍璃の悲しみに比べたら、なんてことはない。
「俺は、御倉了。って、もう知っているか」
「ええ。……私は……」
彼女はそこで言葉を区切った。どうも、自分の名前があまり好きではないらしい。いや……自分の、苗字が好きじゃないのか。
それでも、彼女は精一杯の顔で、俺に、向き直った。
「私は、神無鞠亜(かんな まりあ)。異端だけど、まあ、正直本家の霊能力者なんかより3000倍強いんだから。安心して、私のパートナーになりなさい、了」
「おっけー。俺も、史上最強になる予定だから、よろしく。そのうち、二人で世界征服でも出来るよう、頑張るか」
「世界征服? なに生ぬるいこと言ってんのよ。最終目標はでっかく、新世界創造200連発ぐらいにしときなさい」
「りょーかい。じゃ、まあ……よろしくな」
「ええ。……あ、基本的には私を『ご主人様』もしくは『我が主』と呼んでいいわよ」
「言うかっ!」
そんなわけで、俺達の、非常にゆるい……しかし二人とも奥底には焦りを抱えた、世界の法則を覆すための戦いは、こうして始まったのだった。
……史上最強の悪霊になるまで必要な都市伝説の数、残り49体。