目の前にはベッドに横たわる少女、春沢明美。
傍らには、月夜さえ透過し、そぉっと忍び寄る最強最悪の悪霊予備軍。
「……この光景だけ端的に描写すると、俺、確実に悪役だな……」
「馬鹿なこと言ってないで、ちゃっちゃとやるわよ」
俺の呟きに、背後で俺の目も気にせずパジャマから巫女服に着替えた鞠亜が反応してきた。振り向くと、帯をきゅっと締めながら、彼女がこちらを呆れたように見ている。喋らない分には可愛い少女。喋ると途端にマッドサイエンティストであり、意外と根は子供でもあるというよく分からない俺のパートナー。……頼りがいがあるんだかないんだか。
ふと、俺は彼女の服装に違和感があるのに気付いて、首を傾げる。
「なんか、着崩れていて妙にエロいぞ、巫女服。ちゃんと着ろよ」
「しょ、しょうがないじゃない。……自分で着る機会なんてあんまりないんだから……」
「なんで?」
「いっつもお手伝いさんがやってくれてたし。それに……」
「それに?」
「自分で着られるような年齢になる前に、本家から隔離されたから……」
「……そっか」
まずいことを聞いたかと思い俺が俯くと、彼女は「さて」とあからさまに話題を逸らした。くたっとなっている巫女服を手で直しながら、俺の隣に来て、春沢明美を見下ろす。
……彼女の相談を受けた後、俺達は手っ取り早く、彼女が夢を見るその瞬間に立ち会うことにした。相手の霊がどういうものかよく分からないが、夢に干渉するその瞬間には、直接的であれ間接的であれ、姿を現すはずである。
鞠亜の予測としては、恐らく、問題の霊体は彼女の『中』に既に潜んでしまっているのだろうということだ。憑依している、といっていい。表立って動くのは、彼女の精神が曖昧になる就寝時なのだろう。
鞠亜は暇を持て余すように、彼女に変化が起こるのを待ちながら呟く。
「就寝時っていうのは、霊が干渉しやすいのよ。本人の魂が輝きを潜めるから。怪談が夜を舞台にしているものが多かったり、あと、『夢枕に立つ』という現象も、これに起因するわね」
「へぇ……。詳しいんだな、やっぱり。そこら辺は腐っても巫女か」
「ん? ああ、いえね。あんまりそういう歴史的雑学は私の得意分野じゃないのよ」
「じゃあ、なんで?」
俺が訊ねると、鞠亜は困ったように苦笑した。彼女には珍しい表情だった。
「昔ね……まだ私が本家から追い出される前、そんなことを延々と、そして嬉々として語る従妹(いとこ)が居たのよ」
「へぇ……そりゃまた。神無家っていうのは、変わり者揃いなんだな」
「否定したいけど……まあ、そうかもね。その子のお姉さんだって、天才と言われ――」
そこまで話した時だった。鞠亜の表情が急に凍りつき、俺は、即座に悟る。
――来た。
「う、うぅ、うぅぅぅぅ」
春沢明美が急に苦しみだす。どうやら、例の夢を見始めたらしい。そうして……
「っ!?」
彼女は、あろうことか、自分で自分の口と鼻を押さえ始めた。俺は慌ててそれをやめさせようとし、スカッと透過、舌打ちして鞠亜に声をかける。
「おい、これ、やばいだろ!」
「やばいわね」
「さっさとなんとかしろよ」
「無理ね」
「はあ!?」
淡々と告げる鞠亜に、不信感を抱く。……こいつ、やっぱり、他人のことなんてどうでもいいヤツなんだろうか。自分の目的以外は悉く無視する……マッドサイエンティスト。ただでさえ異常な神無家の、異端。
冷ややかな目で春沢明美を観察する鞠亜。俺は、堪えきれなくなった。
「冗談じゃない!」
「……なに興奮しているのよ、リョウ」
「目の前で人が死に掛けているのに、冷静でいられるかよ!」
「いられるわよ、私は」
「てめぇがおかしいんだ!」
「…………」
俺の言葉に、鞠亜は……。
「あ……」
「……そうね」
ただ、悲しそうに俯いた。……なんだよ。……俺が、悪いのかよ。
……「おかしい」、か。……それは、鞠亜が、言われ続けた言葉なのだろう。それを言ってしまった俺は……彼女を、傷つけたのだろう。でも……しかし、目の前の死に掛けた人間を救おうともしないで観察する鞠亜は、そう言われたって仕方な――
「……彼女。自殺志願者だわ」
「……え?」
何を言われたのか分からない。……なんだって?
春沢明美を見る。自分で自分の口と鼻を塞いで、苦しがっている。
でもそれは……悪霊のせいじゃないのか? いくら自殺志願ったって、こんな異常な行動……。
「……彼女が悪霊に取り憑かれているのは、本当よ」
「ならっ!」
「でも……それほど強い悪霊じゃない。少なくとも……完全憑依型には程遠い。つまり、人の精神を、死に簡単に無理矢理運ぶほどの力は……ない」
「え? でも、だって、現に……」
「だから……。彼女自身が、そもそも、自殺志願者なんだわ。いえ……潜在的、自殺志願かもしれない。とにかく、彼女自身がそもそも死を望んでいる。だから、力の無い悪霊にもつけいる隙を与えてしまう。……前の被害者の子、知っている? 彼女、いじめを受けていたみたいよ……」
淡々と語り、溜め息を吐く鞠亜。……その姿を見て、俺は、なんとなく、想像していた。……神無家から追い出されたのも……案外、こんなことだったんじゃないか。彼女には彼女なりの見解があったのに、それを理解されず……さっきの俺のように、頭ごなしに「おかしいヤツ」と決め付けた人間が居たんじゃないか。
俺はそんなことを考えながらも、しかしすぐに頭を振って、「でも」ともう一度意見した。
「例えそうだとしても……救おうぜ、鞠亜」
「リョウ? でも、これは、この子が望んだ……」
「冗談じゃない。春沢明美の事情なんて知ったことか。俺達は慈善団体じゃなんだぜ、鞠亜。俺は最強の悪霊になる。お前は世界を見返す。そんな、結構あくどい目的の二人だぜ? どうして、そんな俺達が彼女の死にたがりなんて尊重しなきゃいけない?」
「…………」
目をぱちくりし、ぽかんとこちらを見る鞠亜。俺は、彼女に笑いかけた。
「目の前で死なれるのは後味悪いだろう。とりあえず、助けようぜ、鞠亜。そしれ悪霊を食っちまおう。春沢明美が死にたいなら、その後で、他のところで死んでくれればいい。そこまでケアしようって言うほど、俺も、善人じゃないぜ?」
「……は。……あははっ! オーケー、リョウ。貴方、最高のパートナーよ」
鞠亜は可笑しそうに笑い出した。ベッドでは春沢明美が一人苦しんでいたが、俺達は完全にそれを無視していた。
鞠亜はひとしきり笑い終わると、「……じゃ、始めますか」と、スッキリした顔で俺に語りかけてきた。「了解」と、軽くそれに返す。
俺と鞠亜は再びベッドで眠る春沢明美の傍らに立った。
「さっきも言った通り、今回の霊体は彼女の中に居るわ。……とはいえ、完全支配できるような霊体じゃない。でも……それだけに、厄介」
「というと?」
「私独自の区分で言うなれば……『寄生霊』とでも言うのでしょうかね」
「寄生霊……」
「そう。表立った行動はしないけれど、元々ネガティブな人間の心を徐々に追い詰めて、そうして、死へと背中を押すような、そういう、陰湿な霊」
「そりゃまた……。でも、寄生するんだったら、宿主が死ぬのは通常よしとしないんじゃないか?」
「そこは、やっぱり死人よね。そうやって心を弱らせて死んだ人間は、力の弱い幽霊になるわ。そこを寄生霊は……」
「そうか、取り込むのか。結局、悪霊は悪霊ってことだな」
「そういうこと」
説明を終えると、鞠亜は自分のバッグをごそごそとあさり始めた。後ろから中身をそっと覗き込むと、なんか、中には変な道具がごっそり入れられていた。……見なかったことにする。少なくとも、ドラえもんの四次元ポケットほど、夢のある映像ではなかったからだ。
鞠亜はしばらくバッグをごそごそやると、「あった!」と元気良くそれを取り出した。
彼女は、「てんてけてーん」と自分でBGMをつけつつ、ハイテンションにそれを掲げる。
「霊体ガチンコタイマン結界発生機~」
「…………」
確定。コイツに対する神無家の判断は正しかった。……マッドサイエンティストだ。追い出されて当然だ。
「今なら100万円のところ980000円~」
「売るのかよ」
「うん。後で春沢に請求しようっと」
「……詐欺だ……」
俺が呆れていると、彼女はその怪しげな……なんか触手みたいな配線がうにょうにょしている物体を、彼女の頭やら体やらに装着し始めた。……ああ、なんか、怖ぇ。この光景、悪霊云々より、ずっと怖ぇ。鼻歌混じりに上機嫌の鞠亜もかなり怖い。
「失敗したら、ご愛嬌~」
「ご愛嬌じゃすまねぇよ!」
「大丈夫。彼女のお姉さん、ナースらしいから。……どうせ死んでも死にたがりだしね~」
「姉さんナースでも関係ないだろ、おい!」
「そんなことないって。聞けば、そのお姉さん、最近『死にたがりの青年を看病して厚生させた』と院内で威張っているらしいわ。それなら、死にたがりの妹ぐらい、ちょちょいのちょいよ。ついでにナースなら、この装置レンタル料金もちょちょいのちょいよ」
「悪徳霊能力者じゃねえか、やってること!」
「本物だとなおタチ悪いわよね、霊能力者って」
「自分で言うな!」
「よし、出来た」
俺と会話しながら装置のセッティングを終えると、鞠亜はふうと額の汗をぬぐった。そうして、「むん」と何か念を入れるような動作をすると、途端に、装置が光りだして活動を始める。
俺がぼんやりそれを見ていると、「さて」と、彼女はこちらを振り向いた。
「じゃ、リョウ」
「なに?」
「彼女の中に入って」
「……え、なにその、えっちぃワード」
俺はポッと頬を赤らめる。鞠亜は「違うわよ!」と憤怒していた。
「彼女の体の中に入れって言っているのよっ! ……ってこれはこれでまた勘違いを誘う……」
鞠亜は「うーん」と腕を組んで悩んでいる。俺はふざけるのをやめて、助け舟を出した。
「つまり、彼女の精神の中に入れって言うんだろ?」
「そう、それよ! って、分かっているならへんなこと言わない!」
「へいへい」
「こほん。……まあ、想像つくと思うけど、それで、彼女の中で悪霊を食っちゃいなさい」
「……理論は分かるけどさ」
「なに?」
「俺、人の中に入ったりする方法とか、相手を飲み込む方法とか、全然わかんないんだけど……」
「そこで、この装置なのよ」
鞠亜はむんと胸を張る。そうして、気持ちの悪い装置を愛おしそうに撫でた。……マッドめ。
「この装置は貴方を全面的にサポートするためのものよ。中に入っている悪霊を逃さない結界張りつつ、貴方がこの子の中に入りやすくしつつ、更には貴方と悪霊の対峙をスムーズに行わせる。私の霊力を貴方のバックアップに回す、画期的マシンなのよ」
「……はぁ。そりゃ凄い。だけど……」
凄いけど……。チラリとグロテスクな機械を見る。……信用ならない。激しく、信用ならない。
うっとりと機械を眺める鞠亜を見る。……信用ならない。物凄く信用ならない。
つまり……。
「やめない?」
「やめない」
却下された。……仕方ない。腹をくくるか。
俺は春沢明美に近付くと、鞠亜のアドバイスにしたがって、まるでキスでもするかのように、顔を彼女に近づけた。すると……
〈シュゥゥゥ〉
「わ」
彼女の額に吸い込まれそうになる。……なるほど。こうやって入るわけか。普通は、これを、機械なしでやれなきゃいけないわけだな。
「今回の悪霊を取り込めば、『悪霊スキルその1、寄生憑依』を習得よ、リョウ!」
「ごめん、なんかレベルアップのノリで言っているけど、なんか、素直に喜べないぞ、それ」
「とにかく、行きなさいよ、リョウ」
「……行くには行くけどさ。最後に、訊いていいか?」
「なによ?」
「悪霊を取り込むって……具体的には、どうしたらいいんだ? 彼女の中で対峙したとして、俺は、今回何をしたら……」
「論破しなさい」
「は?」
「論破しなさい」
「……あの?」
俺がぽかんとしていると、彼女はニコッと不敵に微笑む。
「今の貴方はレベル1。相手も弱いけど、それでも、貴方よりは強い。貴方が勝つには、私の霊力によるバックアップが必要よ。でもね……それだけでも、まだ、ちょっと怪しい。私の霊力全部そっちに回せるわけじゃないからね。だから……論破しなさい」
「論破って……」
「貴方なら出来るわ。口先で丸め込みなさい。相手の、やる気を削ぎなさい。大丈夫。ナンパな貴方ならやれる。だから……行って来い!」
「ちょ、うわっ!?」
瞬間、鞠亜が霊力を機械に強く込める。すると先程の額に顕れた渦が力を増し、俺を、強制的に吸い込んでいく。
「な、てめ、覚えていろよぉ~!」
俺は吸い込まれていきながら、鞠亜に告げる。彼女は笑顔だった。
「あらリョウ! 悪霊らしいわ! 悪霊らしいよ! その調子!」
「~~!」
そうして、俺は人生初めてのVS悪霊戦に向かうのだった。
……これ、まだ48回あるのかよ……。