幼い頃、俺は病弱だった。この話をすると大概の人に驚かれるのだけど。今こういう俺になれているのは、過言でもなんでもなく、右坂藍璃のおかげだった。
俺の病気に関しては……ここでは割愛する。ただ一つ言えることは、実際、鞠亜に巻き込まれてナイフで刺されて死ななかったところで、俺の未来はあまり明るくはなかったってことだろうか。藍璃はそんな俺をも温かく受け容れてくれた、唯一の「他人」だった。
家族のお荷物である自分が嫌いだった。友人と対等で居られない自分が大嫌いだった。テレビと現実は、俺の周りでは少し違う。病気で体が弱い人間がいじめに合うテレビドラマがよくあったが、俺は、あれを見るたびに少し羨ましく思っていた。……俺の周りは、俺に皆同情していたから。明らかに俺が悪いことでも、結局、相手が譲ってしまう状態だったから。……それこそ、幼少の頃から。
そんな状態で性格が捻くれてしまったのは、自分のことを環境のせいにするのは気持ちのいいことじゃないが、でも、やっぱりそんな環境が深く関与はしいただろう。なにをしても同情された。だから、俺はそれが悔しくて……下に見られている気がして、どんどんワガママをエスカレートさせた。いじめでもなんでもいい。誰か、病気なんてお構いなしで接してほしかった。
そんな俺の前に現れたのが、藍璃だった。
結果から言えば、藍璃は優しさの塊みたいなヤツだから、存分に同情された。俺が求めるような「病気を気にしないヤツ」とは正反対のヤツで……最初は、凄く反発した。
でも……アイツの同情は、ハンパじゃなく深く、それはいっそ「同情」ではなく「慈愛」で……。そして、妙に「きっちり」しているヤツでもあった。俺を可哀想、可哀想という目で見るくせに、俺のワガママには「めっ」と怒ってくる。普段は優しいのに、しかし、病気を理由にした全く関係ないワガママには、「めっ」と怒る。……わけのわかんない女だった。
だけど……。
「だけど……いい女だったよ、うん。あれは、いい女だったな」
「は、はぁ。……あの、で、それを語られて、私はどうしたらいいのでしょう?」
目の前で俺の話に感動しまくっているであろう春沢明美が、額に汗を浮かべながら首をかしげていた。彼女の周囲は流動的なコンクリートで満たされ、俺は、それを上から眺めながら藍璃のことを惚気ている。俺の傍らには、ひしゃくでコンクリを流し込む謎の霊。……春沢明美はすっかり意味が分からなくなっているようだった。
――ここは彼女の精神内……つまり、夢の中である。鞠亜に無理矢理入れられてしまった俺は、しばし鞠亜への呪いの言葉を吐いた後、ふと、コンクリートを流し込んでいる霊を見つけて、ここに来たのだ。
しかし、論破しろとは言われたものの、問題の作業服来たコンクリ流しの霊は全く俺の話に耳を貸さないので、リアクションが寂しかった俺は、とりあえずコンクリで動けない春沢明美に藍璃との愛の軌跡を語っていたわけだ。
俺はキョトンとしている彼女の目を、上から見つめ直して嘆息した。
「お前、こう、感動の涙が止まらない状況にならないわけ?」
「え? いや、まあ、いい話ですけど……。あの、他人がどうこうより、私が今死にそうなわけで……」
「うわ、冷たいヤツだね。あー、やだやだ。これだから最近の若者は」
「……二つ三つぐらいしか違わないですよね」
「精神年齢の問題だ」
「……(余計にそちらが低い気がするんですが……)」
「おい、春沢明美。この夢の世界じゃ、思っていること割とダイレクトに伝わるぞ、おい」
「ひゃう!? す、すいません」
「
嘘だがな」
「
嘘ですか!?」
俺は彼女のとじめられている空間の「へり」に腰をかけると、ぷらぷらと足を揺らした。春沢明美がジトっとした目で見てくる。
「あの、貴方……リョウさん。私を助ける気、あります?」
「ん? ……実を言うと、あまり、ない」
「
なにしに来たんですか貴方!」
「俺はな、春沢明美。藍璃以外の女がどうなろうが、知ったこっちゃないんだよ。相手が死にたがりだってんなら、尚更だ」
「っ!」
俺の言葉に、彼女は顔面を蒼白にする。そうして、「は、はは」と渇いた笑みを漏らした。上に居る俺をキッと見返してくる。
「私が死にたがり? 冗談じゃないですよ。なんのために助けを求めたと……」
「怖いのがイヤってだけだろ? 苦しいのがイヤなだけだろう? 実際問題、死自体には魅力を感じているんだろ、お前」
「それは……な、なんで貴方がそんな――」
「昔の俺がそうだったからだ。藍璃と逢う前の、世間を冷めた目で見ていた俺がな」
「あ……」
彼女が一瞬言葉に詰まる。……俺は嘆息して、そうして――
「よっ」
「な――」
彼女の居る部屋の中……つまり、コンクリで満たされた空間にダイブした。足からずぶずぶと泥にめり込んでいく。
「うを、意外と気持ちいいな、これ。場合によってはクセになるぞ」
うねうねと肌を這う生ぬるいコンクリは意外と気持ちよかった。
「クセにならないで下さいっ! っていうか、何してんの!? 貴方まではまってどうするんですかっ!」
「ん、どうするんだろうな、これ」
「考えてないの!?」
「
行き当たりばったりのリョウとは、俺様のことだっ!」
「
決め台詞っぽく言ってますけど、全くカッコよくないですからねっ!」
春沢明美はぎゃあぎゃあと五月蝿い。俺は彼女の頭をぐわっと押さえつけると、その顔を、ぐいっと無理矢理コンクリに近づけた。瞬間。彼女が暴れる。
「ちょ、な、なにするんですか――」
「死にたいなら死ねばいい」
「っ!?」
「俺は結構自殺容認派だ。世の中死より辛いことなんてごまんとあることを知っているからな。むしろ自殺をただ否定するヤツなんざ、ホントの不幸を、苦しみを知らないオメデタ野郎だと思っている。それでも生きるっていうヤツも好きだが、それに負けて死を選ぶヤツも、決して嫌いじゃない。それはそれで勇気ある決断だからな」
「貴方、何を言って――ちょ、手、放して! このままじゃ本当に顔が埋まっちゃう!」
「でもな、俺の嫌いな死にたがりが一つある」
「なによ!」
「中途半端なヤツだ」
「っ!」
「いや、半端なだけならいい。嫌いなのは……その自分の半端さで、周囲に迷惑をかけ、果ては、その責任もとろうとしない、意気地なしだ」
「…………」
彼女は暴れるのをやめた。俺も、彼女の頭から手を放す。しかし……彼女は、頭をあげなかった。
「お前が中途半端な死にたがりなのは別にいい。でも……お前は俺と鞠亜を巻き込んだろう。でもって、今度は、自分では何もしないで『助けろ』だ。……助けろというなら、お前が、まず、必死にもがけよ。同じ死にたがりでも、俺は、自分で全責任とろうって気概のヤツは大好きだからな。お前がどうにかしようってもがいているなら、俺は、あの上の作業服野郎を撲殺してでも助けてやろうと思っていた。でも……肝心のお前がこれじゃな。俺の惚気話で延々と時間が無駄に経過している間も、何一つ、自分からアクションを起こそうとしなかったのが、いい証拠だ」
「っ……。わ、私は……」
「言ってみろよ。なんで死にたい?」
俺の言葉に……彼女はようやく顔を上げたが、しかし、視線は俺から逸らしたままだった。コンクリートが俺達の体を侵食していくのを感じながら、彼女の話をただ聞く。
「死にたい……なんて、ハッキリとした感情じゃなかった。ただ……生きていくことに希望は、見出せなかった。……私の夢ね、ナースだったの。優しい、ナースさん。でもね……姉がそれ、とっちゃった。姉はあれで優秀な人だから……。だからね、進路を考えなきゃいけないこの時期になると……余計にそれを、感じちゃって。私……たとえナースになろうともがいても、結局、姉の通った道を後ろから歩むだけなんだなって。……そう思ったら……未来が、少し、暗くなって……」
「……なるほどな」
「どうしたら……いいのかな?」
すがるように彼女は俺を見てくる。俺は彼女の顔を見つめ返し、そして、言ってやった。
「
知らん」
「
ええー!? 身の上話聞いておいてその結論!?」
「
すまん、50パーセントが興味本位で、残り50パーセントが暇潰しだ」
「
100パーセントやる気なしじゃないですか!」
彼女が叫んでぜぇぜぇと息をする。おれは彼女に向かって、笑った。
「だって、それは、お前の問題だろう?」
「え……」
「じゃあなにか。俺が答えをあげたら、お前はそれで納得して、死にたがりじゃなくなるのか? ありえないだろう。お前の中に根をはる感情を、こんな俺の一言二言で壊せるはずがないだろう」
「…………」
「逆に、俺の苦しみや俺の藍璃への愛情は、さっきのあんな惚気話だけで分かってもらいたくない。あれでお前が分かったようなことを言っていたら、俺は気を悪くしてここを出て行っていた」
「…………」
「結局、自分の一番の理解者は自分なんだ。自分に関する相談は、自分にしろ。お前は……自分には本当にナースしかないのか、もう一度、自分と相談してみろよ。他にも、本当に姉さんを越えられないのかとか……色々議題はあるだろうよ」
「あ……」
彼女はしばらく俯く。そうして……頼りなく、しかし笑顔で、俺に微笑み返してきた。
「そうですね……。……そうです……よね。……うん……じゃあ、まだ、こんなところで死んでいる場合じゃ……ないですよね」
「よく言った。なら、俺とここを抜け出そう」
「はいっ!」
彼女が笑顔で答える。俺は満足げに笑んだ。
「…………」
そのまま、数秒の時間が流れる。そうして……春沢明美は、恐る恐る、口を開いてきた。
「で、あの……どうやって出るんですか?」
「全く分からん」
「アンタホントなにしにきたんですかっ!」
「……論破」
「論破って……私を?」
「や、あの作業服男」
「
じゃあ今までの会話はなんだったんですか!」
「や、流れ?」
「……はぁ」
呆れられてしまった。そうは言っても、だって、仕方ないじゃんか。あの男、なにも反応しないんだもん。
……まあ、しかし、動かないことにはどうにもならない。俺は上を見上げて、柄杓でコンクリを流し込んでいる彼にもう一度話しかけた。
「お前、なんでコンクリなんて流しているんだ?」
俺の問いに、何も反応しない男。駄目かと諦めかけていると、しかし、唐突に頭の中に声が響いた。
〈オレノ……シゴト……〉
「仕事?」
生前はそういう業者かなんかだったんだろうか。
〈カタメル……カタメル……〉
「……なんとなく分からないでもないが、それは、別に人対象じゃなくてもいいだろう?」
〈オレ……サミシイ……。ヒトリハ……サミシイ〉
「寂しい?」
〈オレ……イシニ、オボレタ……。ジコ……オレ……オボレタ。オレ……クライ……イシノナカ」
「……溺れた?」
俺の言葉に、春沢明美が「どうやら彼もコンクリート関係の事故で死んだようですね」と呟いてくる。俺は「なるほど」と理解した。
ホントわかりやすい。つまり、鞠亜の言う通り舟幽霊と同じだったのだ。自分が水で死んだら誰かを水にひきずりこむ。自分がコンクリで死んだら、誰かをコンクリで殺す。
俺はしばし頭をかいたあと……「ええと……」と返した。
「それは……ご愁傷様で」
「同情してどうするんですかっ! 論破するんじゃないんですかっ!」
怒られてしまった。……仕方ない。俺の口八丁の才能を見せてやるか。
「あのな、作業服。女子高生ばかり狙うのは、お前の趣味か?」
〈……オレ……ジョシコーセー……モエ〉
なんと彼は「女子高生萌え」だった! 春沢が「なにその理由!」とショックを受けてあやうくコンクリの中に顔から突っ込みそうになっていた。
対して……俺の眼は爛々と輝く!
「いい! いいぞお前! そう、それでこそ男だ! あのスカートから覗く太ももに劣情を抱かなくなったら、それはもう男じゃない! 悪霊になってもその精神を忘れないとはっ! ……気に入った! お前は、最高の男だ!」
〈オオ……ドウシ……ヨ〉
俺と作業服男の熱いやりとり! しかし、春沢は一人「もっとシリアスな展開がいいよぉ」となぜか泣いていた。ワガママなヤツだ。このロマンが分からんとは、全く、けしからん。しかし……。
「しかし作業服男よ! お前は一つ、間違っている!」
〈ナ、ナニ……?〉
「お前の今のチカラでは結局、『死にたがり』を引き込むことしか出来ない! お前は……お前はそんな偏ったキャラ収集で満足するのか!? 死にたがりキャラに可愛い女の子が多いと思うかっ! 見ろっ! 現に春沢は『中の上』! 決して『美少女』ランクではないぞ! 脇役、サブキャラどまりのヒロインの風格だぞ!」
〈シ、シマッタァァァァァァッ!〉
作業服男、ひしゃくをカランと落とし、頭を抱えていた。隣では春沢が「余計なお世話だぁぁぁぁ!」と俺の頭をガシガシ涙目で叩いていたが、無視する。更に畳み込む!
「そこにつけても、神無鞠亜! 霊能力者である彼女の神秘オーラと容姿はSランク! このことから推し量れる事実はなんだ!」
〈レ、レイリョクノタカイオンナハ、ヨウシノレベルモヒレイスル!?〉
「そうだ! これは俺の独自の理論だがな! つまり……死にたがり以外のキャラ収集、それも高レベルのものを求めるならば……『最強』になるしかない!」
〈ナ、ナンダッテェェェェエ!?〉
俺達のやりとりに、春沢が「……だんだん馬鹿らしくなってきたんですけど……私、夢から醒めていいですか?」とすっかり呆れた様子だったが、もう、俺には春沢のことなんて関係ないっ!
「そこで悩める貴方に俺、『最強の霊になる予定』のリョウからご提案! 俺の一部となることで、貴方もこの企画に一枚噛んでみませんか!? 今なら無料サービス中! 入会量三万霊力のところ、今ならタダ! この機会を逃すてはありませんぜ、お父さん! 明日から貴方もウハウハ最強悪霊生活っ!」
〈ノ……〉
「の?」
〈
ノッタァァァァアァァアァァァァァァ!!!!!!!!!!!〉
「よし来たぁぁぁぁぁぁぁあ! 今だ、鞠亜! やれ!」
俺は上空に向かって声をあげる。その瞬間、鞠亜の〈いくわよ!〉との声と共に、俺にチカラが注入されてくる! 鞠亜の霊力。無意識にその霊力の使い方が理解できる。
俺はチカラでコンクリを吹き飛ばすと、そのまま作業服男のところまで昇っていった。そうして……彼の頭に、ガッと、手を置く。そうして――
「
――吸!」
〈ウォォォォォォォ!〉
作業服男が足から分解されていく! そうして、俺の手から黒い意識体が流れ込んでくる!
(な……やべ、これ――!)
頭の中に「人生」が……作業服男の全てが丸々流れ込んでくる。
(真面目に勉強、真面目に進学、真面目に就職。それで幸せになれると信じ、青春時代に女性と接することもなく、ただただ、真面目に、働き続けた。その先に幸せがあると信じて。しかし自分に待っていたのは、どこまで働いても尽きぬ作業と、そして、絶望の暗闇――石に溺れる死だった。苦しい、苦しい、苦しい、悲しい、悲しい、悲しい)
頭の中に次々と情報が流れ込んでくる。……ヤバイ……もう、自分が誰なのか分からなくなりつつある。オレは……コイツ? オレは――
そう、オレが自我をなくしかけた時だった。唐突に藍璃の顔が思い出され、次の瞬間――
「リョウ!」
鞠亜の声に引き寄せられる。
気付いた時には、オレは、鞠亜の隣に……現実世界に居た。げほげほと、霊体のはずなのに胸が気持ち悪く、咳き込む。鞠亜が「大丈夫?」と俺の顔に手を伸ばし、何をしたのか、その手から温かいものが流れ込んできて、ほんわりと、気分が少しよくなる。
俺は落ち着くと、「もう、大丈夫」と鞠亜を制して、立ち上がった。見ると、いつの間にか春沢も起きて、俺の方を見ていた。……どうやら、今の一件で俺の姿が見えるようになったようだ。
俺は二人に声をかけた。
「えっと……どうなった?」
「どうなったって……アンタが一番よく分かっているんじゃない?」
鞠亜が俺を見つめ返してくる。俺は言われたことを理解して……自分の中を調べるように心を落ち着けてみた。……アイツの生前の記憶が呼び出せる。更に……自分が少し「強大」になったのを感じる。自分の存在感が、少しアップしたのを感じる。
俺は目を開くと、鞠亜に頷き返した。
「うまくいったみたいだ」
「そう。それは良かった。レベル、1アップね」
俺と鞠亜のやりとりの横で、春沢が「変態が合体しただけだから、全く解決した気がしないわ……」と頭を抱えていたが、最終的には、色々諦めて、笑顔で俺を見てきた。俺はそれにウッと引く。
「俺に惚れるなよ、春沢明美。俺には藍璃っていう、お前の3.4倍いい女がもう居るんだからな。まあ、どうしてもって言うなら、最終的に『いい思い出をありがとう。……さよならっ』って感じになるキャラポジションを――」
「うわー。
こんなにお礼言いたくない命の恩人は初めてだよ」
ジト目の彼女に、鞠亜が「全くコイツに例を言う必要はないわ」と返し、俺に「苦痛専用」と書かれた札を投げつけてきた。……一瞬でその場に倒れる俺。
鞠亜は勝手に話を進めていた。
「じゃあ、お邪魔しましたぁー。おほほほほー」
そう言いながら、「吸引札」と書かれた札で俺を吸っ引きずりながら運んでその場を後にする。春沢の「あ、ありがとう、神無さん」という言葉に鞠亜が少し照れているのを見て、俺がそれを指摘すると、今度は「吐き気札」というものを俺にぶつけてきた。……うぷ。
そんなわけで、こうして、俺は最強の悪霊への第一歩を踏み出したのだった。
成長したはずなのに……どういうわけか来た時より俺は元気がなかったが、まあ、その辺はあまり気にしないことにした。
最強の悪霊になるまで、残り48体。