青酸飲料って知っている?
そう、青酸。青酸飲料。炭酸飲料じゃないよ。
たまに自動販売機に入っているんだって。
一つだけ見慣れない缶があったら、それ。それは、買っちゃいけないよ。
青酸飲料だから。
そう。青酸カリの入ったジュースなの。
間違って飲んだら、一巻の終わり。いや、一缶の終わり、かな?
事件にはならないよ。
だって。
死体は、犯人に回収されて解剖されちゃうんだから。
*
モデルルームだらけの住宅街を抜け、落書きばかりの塀を右に曲がり、更に柿の木の立派な民家を左折すると、その屋敷はある。
――化け物屋敷――
そう呼ばれる家。俺、御倉了の現在住んでいる家だ。この家に住んでいる「人間」は一人。神無鞠亜という名の少女のみ。俺は……自分でも自分を一人と数えていいのか迷うので、放っておいてほしい。
鞠亜は高校一年生の可愛らしい女の子だ。……喋りさえ、しなければ。喋るとすぐにボロが出る。そのマッドサイエンティストぶりがバレる上、人に対する礼儀の欠如が如実に顕れる。そのため、学校では無口キャラで通しているらしい。それでも人は遠ざかるが、喋れば、遠ざかるどころか敵を作りまくりそうだからである。
最近ではとある一件で鞠亜のことを少し理解している春沢明美というクラスメイトと幾分喋るようだが、それも、友達というよりは、彼女に気を遣ってもらっているだけだろう。
今日も今日とて鞠亜は帰ってくると、早速、学校で溜まった「喋りたい衝動」を発散させた。今日はぎゃあぎゃあと、こっそり盗み聞いた「青酸飲料」という、出来のかなり悪い都市伝説を披露していた。
俺は呆れて嘆息する。
「それ、マジで検証するのかよ」
俺の言葉に、彼女は「当然っ!」と胸を張り、テーブルにバンッと手を置く。
「悪霊の気配がぷんぷんするわよっ!」
「根も葉もない噂の匂いの方がぷんぷんするがな」
「ふふん! 実はもう買ってきたのよ、例のブツ! 霊視能力で探索してねっ!」
そう言うと彼女は真っ黒な缶をテーブルの上に置く。……こんなの誰が買うんだよ……被害にあった方がアホなんじゃないか……。
「で、どうするすんだよ……」
「検証するっ!」
「どうやって」
「
飲む」
「
待て」
俺はげんなりしたが、鞠亜の眼はマジだった。……なんなんだ、コイツは。
俺は頭に手をやりながら、「いいか」と彼女を説得する。
「あのな……本当であるのを祈っているのに、実際本当だったら即死亡だぜ……それ。一体何がしたいんだ、お前は」
「ふふん……甘いわね、リョウ。誰が、私が飲むと言った? ちゃんと代わりは用意しているわよっ!」
「
待て。余計に駄目だろうがっ。他の人巻き込むなよ」
「違う違う。人じゃないもん。ロボットだもん」
「なに?」
俺が首を傾げると、彼女は不敵に微笑んだ後、「ちょっと待ってて!」とトテトテっと自分の部屋に戻ったかと思うと、少しして、背後に何かひきつれて帰って来た。それを指差して、彼女が自信満々に紹介する。
「見て驚きなさいっ! これが……私の自信作っ! 幽子(ゆうこ)よ!」
彼女が「じゃーん」とそれを紹介する。鞠亜の腰下あたりまでの身長の……一メートル弱の、ちびっこい女の子だった。赤いツインテールに、不敵な笑み。普通の子供というよりは、デフォルメされた漫画キャラのような等身の、変なヤツ。人っぽい柔らか味が見えるものの、しかし、この容姿からして、恐らく鞠亜の製作したロボなのだろう。
彼女……幽子は、俺を見て不敵に笑んだ。お、こいつ、ロボのクセに俺が見えるのか。
「ふふふ……貴方がリョウですわね。ふっ、新参者のくせに自分からワタクシに挨拶しに来ないとは、親の顔が見てみたいものですわ。どうせ貧乏臭い顔をしているのでしょうけどねっ! おほほほほほほほほ!」
「…………」
ちびっこい漫画キャラみたいなナリして、やたらムカツク表情で俺を見下して笑う幽子。…………。俺は鞠亜に顔を向けた。
「色々理解出来た。適任だ」
俺の言葉に、鞠亜が頷く。
「でしょ。危ない役割は、彼女に押し付けるに限るのよ。ボディはいくらでも代替があるからね。中身の霊体を移し変えれば、また再利用できるの。その際に、前回あった惨劇はメモリーから削除する機能がついているけどね……ふふふ……」
鞠亜が目をキュピーンと黒く光らせていた。な、なんて恐ろしいことを……。しかし……。
「まあ、幽子ならいいか」
俺はすぐに納得する。うむ。この性格のヤツなら、使い捨ててもまったく良心の呵責がない。幽子は俺に怒りを向けてきた。
「な、なんですのっ! このわたくしに理解出来ない話を頭越しにしないでっ!」
「まあ、精々役に立てよ、幽子」
「なんで貴方が私より上の立場っぽくふるまってますの! 先輩はわたくしっ、わたくしなのですよっ!」
「ああー。尊敬してるよー、幽子」
「ムキィィィィ! そこになおりなさいっ! わたくしめがたっぷりと説教を――」
そう言ったところで、鞠亜が幽子の背中のボタンをポチッと押す。すると、彼女の眼から色が消え、活動が止まった。俺は嘆息して、鞠亜に声をかける。
「これは……なんだ?」
「ああ、中身は、旧家のお嬢様の霊でね。生前はワガママの限りを尽くして周囲を散々困らせていたヤツで……しかし本人はそんな人生に満足しきって死んじゃったものだから、執事だった方が依頼しにきてね。『こ、こんな何の報いも受けずに幸せに成仏だなんて、とんでもないっ!』と。で、私が出張って、成仏直前の彼女を捕獲、私に従うように精神いじって、今はロボに入れている……と」」
「な、なんかかなり非人道的な背景だな……幽子」
不憫な目で彼女を見るが、鞠亜は肩をすくめる。
「とんでもない。彼女がやってきた使用人に対するワガママの数々、見る? 広辞苑10冊分ぐらいあるわよ。しかも、マリーアントワネットもびっくりのワガママ具合。精神病んだ人の名前の羅列だけで、一巻目の半分いくからね」
「そ、それはそれは……地獄でも償えない勢いだな……」
「そう。まあ、単純に性格もムカツクしね。ハズレくじは進んで彼女に回してしまおうということよ。体の代えはいくらでもあるんだし」
鞠亜はそう言うと、もう一度幽子の起動ボタンを押す。彼女は意識を取り戻すと、また俺につっかかってきた。
「この平民めっ! 胡坐かいてボケっとしてないで、わたくしにさっさと跪いたらどうなのっ! さあ、さあ! さっさとひれ伏しなさい! わたくしを敬いなさいっ! わたくしを――」
「これは失礼しました、幽子様」
俺は態度を改めると、彼女に跪いた。キョトンとする幽子。鞠亜にはどうやら俺の意思が伝わったらしく、背後でニヤニヤしていた。……サディストめ。
俺はうやうやしく彼女を促すと、テーブルの上の缶を指差した。
「お詫びに、この缶ジュースを差し上げます」
「な、なんですのっ、貴方っ! 私を馬鹿にしてますのっ!? こ、この私に、か、缶ジュースなどという平民の飲み物を勧めるとは――」
わなわなと震える、ちびっちゃいツインテールの幽子。……これ、多分生前は相応に綺麗な容姿だったんだろうな……。しかし、この漫画キャラみたいな容姿でその態度だと、ミスマッチすぎて、まったく威厳なんてない。俺は笑いを堪えながら、「いえいえ」と真面目な表情で返した。
「とんでもない、お嬢様。これは、かの有名なフランスのジュース職人、レオビッチ様が製作なされた、世界に三缶しかないジュースでございますよ。知っておられますよね、レオビッチ様。あんなに有名なジュース職人、お嬢様とあろうものが知らないはず、ないですよね?」
俺の言葉に、幽子は「うっ」とひきつる。直後、「ふ、ふんっ」とぷいっと顔を逸らした。
「も、勿論、知ってますわ、その程度! 馬鹿になさらないで」
勿論、レオビッチは俺の創作である。
「そうですよね。でしたら、このジュースの価値も分かるはずです。おっと……お嬢様、もしかして、缶ジュースの開け方も分からないのですか? そうですか。だから飲まないと頑なに……」
「ば、馬鹿にしないでくださるっ! 缶ジュースの飲み方ぐらい、わたくしも知ってますわよっ! ……いいわ。飲んでやろうじゃないっ! 不味かったら、貴方の首が飛ぶわよ!」
幽子はそう威勢良く告げると、そのあからさまに怪しい黒い缶を掴んだ。そうして、おぼつかない手つきで、なんとか、ぷしゅっと缶を開ける。それから、やけくそというように、ぐびっと一気にそれをあおった。そうして……。
「……うっ!」
カランと、ジュースを落とす幽子。彼女は俺を見ると、倒れながら、呟いた。
「は……謀ったわね、貴様っ!」
「お嬢様、ご感想は?」
「く……。お、覚えてなさいよぉぉぉぉぉぉぉぉお!」
彼女は断末魔にそう叫ぶと、実にかわいく、コテリと息をひきとった。俺と鞠亜は合掌する。
「ま、痛覚や苦しみに関しては殆ど伝わらないようにボディ作ってあるんだけどね」
鞠亜はそう付け足すと、「さて」と、幽子と缶の検証を始めた。……苦しみや痛みが伝わらないのに……大袈裟なやつだな、幽子。確かにこれは、実にイジラレキャラとして秀逸だ。この家にまた楽しみが出来た。今後は、暇な時は幽子いじりでもして暇潰そう。
鞠亜は幽子の遺体(その表現もどうかと思うが)を調べると、「やっぱり」と呟いた。
「どうした?」
「これ、青酸でもなんでもないわ。液体に、霊体がまざっているだけよ。対象に幻覚見せるだけの、低級な霊体」
「どういうことだ?」
「つまり、体内から飲んだ人の精神に干渉して、自分が毒を飲んでしまったように錯覚させるだけなのよ。だから、この話が噂として広まったのも、自分を被害者と思い込んだ人間達が語りまくったせいね」
「ふぅん……。なんだ、大した事件じゃなかったな」
俺は呆れて、嘆息した。しかし、鞠亜は一人「でも、一体誰がこんなイタズラを……。イタズラの割には高度な霊能技術だし……」と、ぶつぶつ悩んでいた。
俺は、彼女に缶を指差しながら話しかける。
「で、どうすんだ、その霊」
「うん? ああ、こんなこともあろうかと、幽子には霊を体内に閉じ込める機能がついているのよ。幽子が出て行けないのもこのおかげね。だから、幽子から貴方にこの霊をダウンロードすれば、今回の事件はそれで解決。今回程度の霊だったら、貴方とセメント男の霊力があれば、すんなり吸収できるでしょ」
そう呟くと彼女は、幽子に対して念仏を唱え始める。しばしすると、白いモヤのようなものが出てきたので、俺は手をそれにかざした。すると、モヤモヤはすっと俺の中に融和してくる。今回は本当にただの低級霊らしく、苦しくもなく、あっさりと吸収でできた。自分の霊力がアップしたのを確認しながら、倒れたままの幽子を見て、呟く。
「……使えるな、幽子」
「でしょう」
鞠亜は不敵に笑んでいた。……凄い人に捕まってしまったものである、幽子。数秒すると、幽子が「ううん……」と唸って起きた。俺がキョトンとしていると、鞠亜が「結局幻覚だしね。元凶取り除いたら、体は問題ないのよ」と説明してくれる。俺と鞠亜が見守る中、幽子は起き上がると、ぽけっと俺を見てきた。
「あら? わたくし……」
余計なことを思い出される前に、先回りする。
「お嬢様。よく見ればお疲れのご様子。今日のところは早めにオヤスミになられることをオススメいたします」
「え? ……ああ、そうね。あら? なんかこう……酷く胸が気持ち悪いわ。どうしたのかしら」
「そ、それは、ええと……お嬢様はデリケートな方ですから」
「……そうね。貴方みたいな庶民の顔を長時間見ていたから、胸が気持ち悪くなったのでしょうね」
カチンと来たものの、笑顔を保ったまま応対する。
「ええ、そうだと思いますよ」
「じゃあ、眠ることにしようかしら。……鞠亜、わたくしの部屋の掃除は出来ているかしら?」
背後の鞠亜が、ニコリと作り笑いを浮かべる。
「ええ、大丈夫よ、幽子」
絶対コイツ、掃除なんかしてないだろうな。そして、上辺だけ女の幽子も、それに気付かないんだろな。
「そう。じゃあ、わたくしは今日は休ませてもらいますわ。ごきげんよう、鞠亜。そこの愚民は、せいぜい鞠亜にこきつかわれるがいいわ」
彼女はそう捨てゼリフを残すと、「ぴこぴこぴこぴこ」と、実に可愛らしい足音を鳴らしながら去っていった。鞠亜がそれを見てニンマリする。
「足に『ぴこぴこ機能』も前回つけてみたんだけど……いいわね、アレ」
「ああ。まぬけな感じが実にいい」
「本人には聴こえないようになっているのよ、実は」
「お前は天才だな、鞠亜。実にいい発明だ……幽子は。あれほど暇潰しに最適なロボは、恐らく今後出来ないぞ」
「私の最高傑作の一つね」
俺と鞠亜は性格の悪い笑みで笑いあうと、黙って幽子を見送った。何も言わなかったが、俺も鞠亜も、頭のなかでは同じことを考えていたのだろう。
……さて、次はどうイジってやろうか。
俺の生活に、新たな楽しみが出来た日だった。
最強の悪霊になるまで、残り47体。