チョコレートをバレンタインに贈る理由、分かる?
チョコレートには、魔法がかかっているのよ。甘~い甘~い恋の魔法がね。
その魔法は、人の手から人の手に渡る際に、かかるの。
想いを込めやすい媒体なのね、チョコって。だから、手作りチョコだと告白の成功率もあがるのよ。
だって、想いのこもったチョコは、媚薬だもの。強力な媚薬。
でも注意して。バレンタインが一年に一回しかないのは、なぜなのか、考えて。
媚薬は過剰に摂取してはならない。
人の「想い」の「重さ」を侮ってはならない。
もし、何個もそんなチョコを食べてしまったら――
*
モデルルームだらけの住宅街を抜け、落書きばかりの塀を右に曲がり、更に柿の木の立派な民家を左折すると、その屋敷はある。
――化け物屋敷――
そう呼ばれる家。俺、御倉了が……いや、御倉了と、幽子が居候する家だ。まあ、幽子は「居候じゃないですわっ! 私の家ですわっ!」と言うだろうけど。実際は家主、神無鞠亜に住まわせてもらっているにすぎない。
さて、なんだかんだで俺も二体の霊体を取り込んだ。コンクリ男と、青酸飲料のアレだ。後者のに関しては低級霊だったが、「噂」になっていただけに、「付随した霊力」が高く、中々の経験値を得られた。
都市伝説を取り込む理由は、ここにもある。つまり、噂になるということは、そのモノに「皆の関心が向かう」ということである。霊力というのは心のチカラだ。皆が注目するには、チカラが宿る。芸能人が「ここ一番に強い」のも、この恩恵だ。大勢の人間の注目、関心、期待は、そのものの霊力に繋がる。……まあ、時折その霊力いう名のプレッシャーに耐え切れない人も居るが。
青酸飲料は結構広範囲に広まっていた噂らしく、元凶の霊力自体は大したことなかったものの、付随した霊力が高かったため、結構成長出来た。
おかげで、一つ、俺もレベルアップした。これだけ霊力あればいいでしょうと、鞠亜に外出を許可してもらったのだ。勿論、そこは鞠亜、「出るなら噂の一つでも仕入れて来なさい」とのことだったが。
外出できるようにはなったものの、俺は、藍璃に会いにいくことはしなかった。……今の状態で彼女を様子を見たり、再会したりするのは、どちらにとっても悲しくなるだけだろうから。
気を紛らわせるように俺は噂を探し……そうして、いいネタを見つけて、鞠亜に相談した。
「チョコの副作用?」
彼女は新しいメカにドライバーを突きたてながら、こちらをキョトンと振り返った。俺は周囲に幽子が居ないことを確認し、「ふふふ……」と笑む。
「そう、チョコ。人の想いのこもったチョコってさ、大量摂取すると、大変なことになるんだとよ」
「ううん……まあ、そういうことはあってもおかしくないけど……。でも、具体的にはどういうことに?」
「それが、よく分からないんだ。話のラストがぼかされていてさ。……だから、さ」
アイコンタクト。すると、鞠亜の眼が暗く光った。
「成程、貴方も早速あの子の使い方が分かったみたいね」
「だから、チョコ作ってくれよ、鞠亜。好きな人への想いを込めたヤツ」
「おっけー」
そう言って、鞠亜はメカ作りを中断すると、早速チョコを買い込んできて、キッチンに向かった。エプロンを服の上に着て、張り切っている。
アイツは流石に手先が器用らしく、料理もそれなりにうまい。まあ、俺も幽子も基本はメシ食わないから、結局自分の分を用意するだけで、あんまりその手腕を見る機会はないが。
鞠亜は手際よくチョコを溶かすと、それをかき混ぜながら、「さて……」と呟いた。
「……大きな問題に気付いたわ、リョウ」
「どうした?」
「……私、好きな人、居ない。っていうか、出来たためしない」
「…………」
「…………」
「寂しい女だな……おまえ」
「がーん」
鞠亜は一人ショックを受け、ふらふらと壁に寄りかかった。……チョコ焦げるぞ、鞠亜よ。
「テキトーに感情込めるだけじゃだめなのか?」
「ううん……駄目だと思うわよ。恋っていう感情が、凄く重いからこその、都市伝説だし」
「……俺が作れれば楽なんだがな。藍璃への想いは誰にも負けないからなっ!」
「
アンタの恋の重さはただでさえ尋常じゃないわよね」
「体さえあればなぁ」
「……あ、その手があったか」
鞠亜はぽんと手を打つと、唐突に、俺に近付いてきた。幽霊状態なんだからいくら近付いても透けるだけなのだが、妙にドキドキしてしまう……って、なに藍璃以外の女にドキドキしてるんだ、俺!
「リョウ、私の中に入りなさい」
「……へ? …………。……ぽっ」
「
えっちぃ意味でとるな、セクハラ男」
「冗談だって! だから、その『永久封印』と記された札を手に取るなっ! ……ええと、憑依しろってことだろ? でも……」
「大丈夫よ。今の貴方なら、能力的には充分可能だわ。まあ、そんなに長時間は無理だろうけどね。そこは、私のサポートもあるし、チョコをかき混ぜて型に流し込むぐらいはいけるでしょ」
「……俺、初めてなんだけど」
そう言って顔を赤らめる俺。
「
なんでいちいち勘違いを誘発しようとするの、貴方は」
「や、読者がニヤニヤするかなと……」
「読者って何。一人だけメタな視線を持つのはやめなさい。……とにかく、ほら、私の中にさっさと入りなさい」
彼女はそう言うと、ぶつぶつと何か唱え始める。すると、俺の体は彼女に引き寄せられ、そうして……。
『うわわ』
そう呟いた時には、既に、声が鞠亜のものだった。……随分あっさりしていたな……憑依。
(本職の私の中に入るんだから、そりゃすんなりいくわよ)
「わっ」
心の中から急に声が聴こえてきて、一人のけぞる。
(驚かないでよ。私の中に私が居るのは、当然でしょ)
「……こういうのって、普通、完全に俺に主導権が委譲されるんじゃないの?」
(
そんなことしたら、どんなセクハラされるか分かったもんじゃないじゃない)
「酷い……」
(とにかく、さっさとチョコをかき混ぜなさい。想いを込めて、ね)
「……へいへい」
俺はそう答えると、鍋に向き直ろうとした。が――
「っと」
転びそうになってしまう。……視界が低い。体の動かし方がなんか変だ。……うわ、俺、スカート履いてるっ! 股がすーすーする。っていうか、俺の体、柔らかっ! なにこれ。大丈夫なのか、これ。女の子って、こんな脆い感じなのか、おい。
(ちょっと、混乱してないで、さっさと混ぜなさいよ、チョコ)
「わ、悪い。他人の体……しかも女子のが、ここまでしっくり来ないとはな……」
俺はどうにか感覚を確かめなおすと、鍋に向かい、チョコをかき混ぜ始めた。
「しっかし、鞠亜の体って華奢で柔らかいのな」
(なっ! へ、変なことで実感してないで、さっさと作業する! 恋人のこと思いながらかき混ぜなさいよ!)
「へいへい」
そんなに照れなくてもいいだろうに。……変な感じだけど、こう、鞠亜の体なのだけれど、自分で動かしていると、感触を感じてもあんまり興奮とか出来ないし……。……ホント、変な感じだなぁ、憑依って。やっぱり自分の体が一番いいや。
俺は一つ嘆息して、ようやく体をまともに、意識せずとも動かせるようになってくると、藍璃のことを想いながら鍋をかき混ぜ始めた。
「…………」
藍璃のことを頭に思い描く。邪なものじゃなくて……純粋に、彼女に美味しいものを食べさせたいという気持ち……そして、彼女に思いを伝えることを考えて、ゆっくりと、鍋をかきまわす。
(…………)
しばらくそうしうて中身をかきまぜてから、俺は、鞠亜に声をかけた。
「ええと、これでいいか? これ以降の行程、俺はよくわからんから、やってもらいんたが……」
(…………)
「鞠亜?」
(え? あ、ああ、ごめん。こ、交替するわね)
瞬間、ぶわっと、俺の意識は鞠亜から乖離する。彼女の背中側に、俺の魂が出る。俺は一息つくと、まだボンヤリしている鞠亜に声をかけた。
「おい、鞠亜。どうした?」
「え? あ、うん、なんでもないの、なんでも」
鞠亜はそう答えると、てきぱきとチョコ作りを再開する。ボンヤリと手持ち無沙汰に俺もそれを見ていると……彼女は、「ねえ……」と、小声で、こちらを見ないまま訊ねてきた。
「ん?」
「……リョウってさ……。ホントに好きなのね……藍璃さんのこと」
「なんだよ、嘘だと思ってたのかよ。ひでぇなぁ」
俺はカラカラと笑う。しかし、鞠亜はどこか真剣なままだった。
「ううん……そうじゃないけど……でも、びっくりした」
「びっくり?」
「うん……なんか、凄いね、恋って。いや……リョウの、藍璃さんへの気持ちが特別なのかな」
「おう、俺は、藍璃を愛しているからな」
「……そうだね。今まではそういう言葉、くさいなって思ってたけど……。それ、本気だったんだね……リョウの場合。うん……凄いよ」
「なんだよ、鞠亜らしくない」
「そうだね。でも……ホント、凄いって思った。今まで悪霊とかを降ろしたことあったけどさ……あんな温かい気持ち、初めて感じた」
「よせよ、照れる」
俺は顔を逸らす。鞠亜はくすくすと笑っていた。そうして、ドキッとすることを言う。
「藍璃さんが羨ましいかも」
「……ホント、らしくないぞ、お前」
「チョコ作りながらリョウの気持ち感じたから、あてられちゃったのかもね」
「……鞠亜は、恋とかしようと思わないのか?」
「しようと思ってするものじゃないでしょ、そういうのって」
「……まあ、そうだけど」
「逆に……しちゃいけない人にすることも、あるかもしれないけどね」
「なんだそれ」
「可能性の話」
彼女はいつもの鞠亜に戻って、ニヤリと笑う。俺はなんとなく彼女の視線を直視できなくて、「不倫とかすんなよ」と、ただおちゃらけた。
*
「お嬢様。これが、かの有名なお菓子職人、レオビッチ様の新作チョコレートでございます。心ゆくまで堪能なさって下さい」
テーブルに並べられた、鞠亜作のチョコレートを眺める幽子に向かって、俺はうやうやしく頭を下げる。幽子は「レオビッチ……」と、なにか悩む素振りをしていた。
「どこかで聞いた覚えがあるのですが……」
「そ、それは、有名なお菓子職人ですからね!」
前回の記憶が完全には消えていないらしい。彼女は「う~ん、う~ん」としばらく悩んでいたが、しかし、「ま、いいですわ」と開き直った。……やっぱり扱いやすいロボである。背後でまた鞠亜がキュピーンと星型に目を光らせていた。
「たーんと召し上がってください、お嬢様」
俺が頭を下げると、幽子は「うむっ!」と張り切る。……実は既に鞠亜によって「甘いものを体が欲する」ようにボディがいじられているのは内緒である。
幽子は「いただきます」と告げると、お嬢様らしくなく、凄い勢いでチョコを貪り始めた。
「むぐっ!」
「!!」
幽子に異変が起こる! こ、これは……。
俺と鞠亜の眼に期待が宿る!
「……お、美味しいっ! なんですの、これは! こんなチョコ……生前も食べたことありませんわ!」
「……あ、そう」
……そりゃそうか。こんなすぐに異常はでるはずもないか。沢山摂取したら、異常がでるんだもんな。
幽子が美味しそうにチョコを貪る様をただ見守る。……本当に美味そうに食うなぁ……。
俺は鞠亜に耳打ちした。
(あれ……そんなに特別な食材使ったっけ?)
(いえ……市販の、安物ばかりだけど……)
「こんなに美味しいチョコを作るとはっ! レオビッチ、おそるべしっ! ですわ!」
(…………)
なんか知らんが、幽子は本気で美味そうにチョコを貪っている。……しばらく呆然と見ていると、鞠亜が、「あ」と呟いた。小声で聞き返す。
(どうした?)
(いえ……憶測だけど。彼女……「愛情」なんてスパイスの入ったもの、生まれてから一度だって食べたことなかったんじゃないかしら……)
(…………)
(…………)
幽子を見る。満面の笑みでチョコを頬張っていた。……うっ。
(な、なんか、こう、非常に罪悪感がし始めたのだが……)
(わ、私も、今回はなんか……ちょっと悪い気がしてきたわ……)
二人、顔を見合わせ、そろそろ止めようかと考え始める。
(そういえば……これを実証したからって、俺の成長には繋がらないしな……)
(そ、そうよね……誰にもメリットないのよね……。……と、止めようか)
(そうだな。なんかこう……良心がやたらズキズキして、精神衛生上非常に――)
と、そこまで鞠亜と相談した時だった。
「うっ!?」
幽子が唐突にうめき声を漏らし、バタッと、テーブルに突っ伏す。慌てて鞠亜が駆け寄り、「ゆ、幽子?」と彼女を揺り起こす。
幽子は「うぅぅぅん……」と妙に艶かしい声をあげて起きると……鞠亜を見つめて……止まった。
「幽子?」
そうして……次の瞬間、鞠亜に抱きつく幽子。
「鞠亜~♪」
「きゃああ!?」
幽子は鞠亜の胸にかおをうずめ、ごろごろと、子猫のように甘える。……なんだこれ。幽子……キャラが違う。
「鞠亜っ、鞠亜っ、鞠亜っ! 好き~。大好き~。どうにでもしてぇぇぇぇぇ♪」
「え、えええええええ!?」
……なんか非常にあれな光景になっている。……俺はそれをしばらくシラーっと見つめた後……鞠亜に声をかけた。
「鞠亜と幽子……なるほど。幽子は、そもそも、恋をしたこともない鞠亜の慰み物として開発されたんだな……」
「違うわよっ! って、うわ、ちょ、幽子、変なとこさわ……あ……」
「……俺、出て行った方がいい?」
嘆息混じりに俺が呟くと、鞠亜は「違うって!」と叫んで、うがぁっと幽子を弾く。瞬間、幽子の顔がこちらを向いた。そうして……。
「リョウーーーーーー!!」
「え?」
彼女は俺に目をハートにして飛び掛ってくると……当然、そのまま透けて、背後の壁にゴチンと突っ込んだ。
呆然として見守るも……しかし、幽子、また凝りもせず、「リョウーーーー♪」と、俺に抱きつこうと飛び掛り……
〈どんがらがっしゃん〉
テーブルに突っ込む幽子。……な、なんなんだ、コイツは。
俺が目をぱちくりさせていると、鞠亜がこちらに退避しながら、呟いてきた。
「つまり、こういうことだったのよ……想いのこもったものの大量摂取による副作用」
「どういうことだ?」
「……内に取り込みすぎた溢れる好意を、今度は、発散したくなるのよ……。誰彼かまわず」
「つまり……見境なしの惚れ薬?」
「そういうこと。今回は貴方の気持ちが強すぎたのと……幽子が影響受けやすい存在だったから、こんな極端なことになったのでしょうけどね」
「……で、解決方法は?」
「……とりつかれているわけでもないし……これは……待つしかないわね……治まるの」
「おいおい、こんな、頭から色んな場所につっこんでいかれるの……俺、やだぞ」
「私だって抱きつかれたくないわよ!」
鞠亜と言い争っていると……幽子が、ぎぎぎと、倒れたテーブルの下から、髪を振り乱しながら起き上がってくる。
『ひ、ひぃぃぃぃぃ!?』
ホラーだった。めっちゃホラーだった。俺と鞠亜は二人、恐怖に震え上がる。
幽子はふらふらとこちらを向くと……目を……怪しく光らせるのだった。
「二人とも……私のものですわぁぁぁぁぁあ!」
『ぎゃあああああああああ!!』
――その日、化け物屋敷からは夜中になっても「なんでそんなとこに潜んで待ち伏せしているのよ!」やら、「お、俺の精神に干渉してくるなぁぁぁ!」やら、「は、ボディの結界に亀裂が……きゃあ、私の中に入ってこないでよぉぉぉ!」などなどの悲鳴が聞こえ、近隣住民は震え上がったという。
後にこの噂は巡り巡って「中に居る」という都市伝説と合流、融合、発展したりするのだが、それはまた、全く別の話。