皮一枚で繋がった左腕を、自ら引きちぎる。
既に壊死した右足を引き摺り。銃弾で風穴の二つ開いた左足に全体重をかける。
血が滴り落ちる。まだ自らの体に血液が通っていたことに、安堵する。
まだ、大丈夫。
前へと進む。体と心を引き摺り、前へと進む。目の前に存在するのは、この戦乱の発端……もう名前も思い出せない。ただ、その憎き顔だけを頼りに、ヤツに、迫る。
人差し指と中指が無い右手で、剣を握る。
もう耳は聞こえない。両の鼓膜は、とうに破れている。
視界は朦朧とする。散弾銃の一片が右目を貫通し、機能しているのは既に左目のみだ。
長く自慢だったブロンドは、炎をかいくぐる際に邪魔だったため、自ら斬った。
豊満だと姉様にうらやましがられた乳房は、既に焼け爛れている。
それでも、前へ。アイツを、殺すんだ。アイツを殺せば、この戦乱は終わるんだ。
また、皆、笑顔で暮らせるんだ。
そこに私は居ないけれど。
また、皆、笑顔で。
破裂した内臓が、歩くたびに、体の内側でこすれる。
破れた肺を、ひゅーひゅーと、空気が、通り抜ける。最後にまともに呼吸したのは、さて、何分前だっただろう。
そてでも私は進む。
もう、この戦いに勝利しても、私は、生きられないけれど。
それでも、私は、進む。
そうして……。
「ひっ」
目の前の恐怖で歪む顔に、剣を、振り下ろした。
……戦乱は、終わった。
・
・
・
しかし、そうして終わった戦乱の後に、私に与えられた称号は。
英雄と言う名の名誉ではなく。
戦犯という烙印、それのみ、だった。
*
モデルルームだらけの住宅街を抜け、落書きばかりの塀を右に曲がり、更に柿の木の立派な民家を左折すると、その屋敷はある。
――化け物屋敷――
そう呼ばれる家。神無鞠亜の住む屋敷だ。本日はそこに、朝から、珍しく来客があった。
「リョウ、貴方は下がってなさい」
鞠亜の様子もこれまた珍しく真剣で、久々に鞠亜に追い出された俺は、なんとなくつまらない気持ちでクサクサしていた。不思議なもんで、当初は鞠亜の手下みたいな状況がイヤだったのにも関わらず、しかしいざ鞠亜の傍に控えていられなくなると、途端に俺はどこか落ち着かない気持ちになるのだった。
仕方ないので、幽子をいつものように下手に出てしばらくからかってみたりしている。幽子は相変わらず俺の出鱈目話を鵜呑みにし、本当に純粋培養されたお嬢様っぷりを、今日も惜しげもなく晒していた。……実に平和である。
「あーあ、こうも平和だと、さすがに軽くアクシデントの一つも欲しくなりますわね」
幽子が短い足を伸ばして、だらけながらそんなことを言う。俺は「そうだな……」と返しつつ、見るとはなしにカレンダーを眺めた。確かにここ数日、これといった心霊相談も都市伝説もなく、実に暇している。それこそ、幽子いじりぐらいしか、することがないのだ。いじられていることを分かっていない幽子本人に至っては、相当暇なのだろう。
「幽子。仮にも女の子なら、お前も、一つや二つ、都市伝説知らんのか」
「まー失礼な。仮にもとはなんですの、仮にもとは。わたくし、これでも享年19歳ですわよ」
「意外とピチピチだったんだな。……今じゃ見る影も無いが」
「失礼なっ! まったく……いつか、私の本当の姿を見せてあげたものですわ。リョウ程度でしたら、一発で惚れさせてみせますわよ」
「幽子は俺に惚れてほしいのか?」
「た、例えですわっ、例え!」
幽子は焦ったようにそう言うと、小さい口に、ゼリービーンズをぽいと放り込んで咀嚼していた。……あーあ、また勝手にオヤツ食って。後で鞠亜にしかられるぞ。
最近、幽子は駄菓子系統にはまっているらしい。元がお嬢様だけに、駄菓子は未知の食べ物だそうな。今日は、見ていて胸焼けするぐらい、ゼリービーンズを食べていた。
俺は嘆息しながら、暇潰しに話題を振る。
「で、その深窓の美少女だった幽子様は、都市伝説の一つぐらい、知らないのか?」
「し、知ってますわよ、もちろん」
「…………」
「……なんですの、その眼は」
「いや……ごめん。お前、友達いなさそうだもんな……悪いこと聞いたな……」
「
そういう同情はやめてくださいましっ!」
幽子はムキになると、「いいですわっ。では、お話しましょう!」と、明らかに無理した様子で、都市伝説を語りだした。
「これは、ええと……我が家に代々伝わる都市伝説です……」
「代々伝わるようなものを、都市伝説と呼ぶか?」
「うぐっ。ち、違いましたわ。そう、私の屋敷の中で流行していた話でして……」
「意外と規模が小さくないか? 『都市』伝説だぞ?」
「う、うぅ……。……や、屋敷が世界の全てだったわたくしからしてみれば、いっそ『世界』伝説ですわっ!」
なんか凄く強引に進められた。まあ、らちがあかないので、このままやらせてみるか。
「こほん。とある屋敷に、それは大層な、美少女がおったそうな」
「ツッコミどころが満載で非常に本能が疼くが、黙って聴こう」
「その少女は、屋敷から出られない退屈な毎日に飽き飽き。使用人をいじめ、いじめ、いじめぬくという、ささやかな楽しみだけで日々を過ごしていたそうな……」
「悪の権化の登場に聴こえたのは俺だけか?」
「しかし、ある日、その少女は、屋敷から忽然と姿を消したそうな。厳重体勢の屋敷……いわば広い密室とも言える屋敷から消えた少女。屋敷内にその姿はありません。さて……少女はどこに行ったのでしょう。屋敷は騒然となりました」
「皆、歓喜に酔いしれたのだろうな。そういう意味で騒然だったんだろうな」
「屋敷のどこを探しても、少女は見つかりません」
「探していたのかどうかが、まず怪しいな」
「そんなこんなで、三日が過ぎました……」
「一気に時間進んだな……。というか、捜索のやる気のなさがうかがえるな」
「少女が消えて三日目の朝。少女は……どういうわけか中庭で死体で発見されましたとさ。おしまし」
「
ちょっと待てい」
あまりに唐突な展開に、今、全米が震撼した気がする。
「? なにかしら? ああ、この少女の死因については、全く不明ですわよ。なにせ、少女自身も分からないぐらいですから」
「……ちょっと待て。ごめん、色々整理させてもらっていいか?」
「どうぞ」
「まずこれ……お前の、話だよな? この話に出てくる美少女って……お前という解釈で、いいんだよな?」
「あら、鋭いですわね、リョウ。やはり美少女というあたりが最大のヒントでしたでしょうか」
「や、そういうことではないが……まあいい。それで……その、そういえば、確かにお前の死因はまだ聞いてなかったが、それでも、放っといたら成仏するような死に方だったということだったから……俺はてっきり安静に死んだのだと……。それが……なんだ今の話」
「どこかおかしかったでしょうか?」
「何がおかしいって、お前の頭が一番おかしい。……いや、そんなことより……お前、だって……え? 結局、なんで死んだんだよ。そんな猟奇的な状況で」
「ええと……実は、それが、自分でも分かりませんで」
幽子は気まずそうに頬を掻く。俺は呆れて肩を落とした。
「はあ? お前……自分の死んだ状況が分からないって……」
「本当なんですわよ。気付いたら……わたくし、死んでましたの。まあ別に苦しくありませんでしたし、人生的には満足でしたので、すんなり成仏する勢いでしたけどね。死に顔も、変死の割には、やたら安らかだったとのことですし」
そう言いながら、いつの間に入れたのか、お茶をずずずとすする幽子。
「いや……それにしたって……その空白の3日間、お前、どこで何してたんだよ……」
「謎ですね。迷宮入りです。……だから、都市伝説なのですわ」
えへんと偉そうに胸を張る幽子。なんで偉そうなんだ……。
しかし、確かに……。オチが無いから都市伝説として成り立ってないが……。いつかこの物語に決着がつくときは、これもまた、一つの都市伝説として成立しそうな話だった。超常現象の匂いがぷんぷんする。それも、人一人死んでいるんだから、相当なものの。
そういや、鞠亜は一度幽子の屋敷に赴いているはずだよな。幽子を捕獲した時、実際なにか変なこととかなかったか、後で訊いてみるか。
俺と幽子がそんなやりとりをしていると、ようやく客が帰ったのか、鞠亜が茶の間にやってきた。しかし彼女はやはり珍しく神妙な面持ちで……俺は、恐る恐る、彼女に声をかける。
「ええと……誰だったんだよ、来客」
「……ん? ええ……ちょっと従姉がね……」
「従姉? 神無家か?」
「ええ。まあ。第一線で活躍している、有名な天才巫女よ。貴方に言ってもわからないでしょうけど。結構無感情で容赦ない人だから、アンタみたいなの飼っていると知れたらどうなるかわかったもんじゃなかったわ」
「だから、俺、待機だったのか……。で、その人、用事はなんだったんだ?」
「うん……それがね。ちょっと厄介な仕事頼まれちゃって……。この辺に出没する悪霊退治なんだけど……」
「どうした?」
さっきから、ホントに珍しく元気の無い鞠亜の様子に、さすがの幽子も真剣に目を向けていた。俺と幽子が見守る中、鞠亜は、ぽつりと呟く。
「この案件、《オールド・ゴースト》の類っぽいのよね……」
「《オールド・ゴースト》?」
「そう。その名の通りよ。古くから在る霊。……単純に考えていいわ。こちらへの滞在時間が長い霊っていうのは……そもそも相当大きな未練を残している上、更には、長い時間でとんでもなく成長することもあって……ちょっと、そんじょそこらの悪霊退治するのとは、わけが違うのよ。それをあの人ときたら……。自分じゃ楽勝だからって、私の実力まで過信するなっていうの」
鞠亜は従姉に向かってぶつくさ言っている。俺は「まぁまぁ」と微笑む。
「それ、取り込めば、俺の成長にだって繋がるわけだし。いいじゃないか」
「アホじゃないの。アンタはオールド・ゴーストの恐ろしさを知らないから、そんなこと言えるのよ。下手すると、時にそれは、都市伝説クラスのモノの比じゃないのよ。しかも、長い年月過ごしているだけに、変に威厳あったりするのも多いし……そういうのは、もう、悪霊云々というよりは、精霊みたいな域なのよ。人の手でどうにかしようとするものじゃないの、本来」
「へぇ……そりゃまた。でも、どっちにせよ、依頼、されたんだろう? だったら、やっぱりやるしかないんじゃんか」
「そうなのよねぇ……。はぁ……憂鬱。私は、弱い雑魚を一杯狩って、安全にレベルアップしたい性質なのに……」
「あー……なるほど」
俺は苦笑する。確かに、今まで、俺はあんまり強力な悪霊にあたってない。それは、鞠亜のそういう配慮からなのだろう。
鞠亜はしばらく机にうなだれると、バンっと、唐突にテーブルに手をついて立ち上がった。そうして、大声で告げる。
「よし、見るだけ見にってみるか! 危なそうだったら、逃げる!」
「結局いつもの展開だな……」
「いよいよ危なくなったら、幽子を身代わりにすればいいんだし!」
「ええええええ!?」
鞠亜の発言に、幽子がお茶をこぼして震えていた。……頑張れ、幽子。
かくして、俺達は鞠亜の従姉が持ち込んだオールド・ゴーストの案件に関わることとなるのだが……。
まさかこの一件が、あんなにも大きな……それこそ、都市伝説どころか、れっきとした『事件』になるとは、その時はまだ、想像さえしていなかった。