「あれ?」
そうアタシが呟いた時、既に世界は閉ざされていた。
暗かった。静かだった。寒かった。
「タカシ? アキ?」
アタシは……アタシは今、何をしていたんだっけ? カレシのタカシと、親友のアキと一緒に……今日も……。
そうだ。
自殺したレイナのことで盛り上がっていたんだっけ。
馬鹿なレイナ。いくら遺書に「イジメられていた」なんて私達を名指しで書いても、死んだら負けよ。生きている私達には敵わない。
なんだか気分が高揚してきた。心臓がバクバクいっている。
「そうよ……アタシ達は、サイキョーなんだ!」
馬鹿な大人達。
髪も染めず、敬語を使い、成績を上げておくだけで、彼らは簡単にアタシ達を信用する。
(レイナのことは……何かの間違いです! アタシ達……本当にそんなこと……うぅ)
そう三人で泣きながら訴えたら、警察もレイナの親も、簡単に信じた。レイナは元々心が不安定で、頭のおかしいとこあったから、優等生なアタシ達の訴えを覆すほどの信用はなかった。
「馬鹿なレイナ」
おかしくて仕方ない。
命を賭して訴えたメッセージが……あっさり却下されたレイナ。
結局、世の中、生きているもん勝ちだ。死んだ人間にはもう、チャンスは無い。生きている人間は……なんだって出来る。
1と0じゃ、圧倒的に、1が強いんだ。
レイナは馬鹿だから、そこらがちゃんと分かっていなかった。
搾取される側の人間だった。
でも、そういう人間が撲滅されればいいとは思わない。
なぜなら、アタシ達は搾取する側の人間だから。
搾取される側の人間がそれなりに蔓延ってくれた方が、アタシ達は面白い。
そういう意味では、確かに、潮時だったのかもしれない。
レイナはもう、搾りカスだった。
あそこから搾取できるものは、殆どもう奪いきった。
「馬鹿なレイナ。キャハハ」
なんだかとても楽しい。
なんだろう、これ。
わけがわからない。
暗くて、静かで、寒いだけの空間なのに。
とても楽しい。とても愉しい。とても気持ちいい。
「あはは、あはは、アハハハハハハハ」
くるくるまわる。
世界が回る。
…………。
頬が温かい。
寒いのに。
手が温かい。
寒いのに。
「あはは、温かい、温かーい!」
もっと。
もっともっともっと。
この温もりが、欲しい。
*
「キャハハハハハハハハハハ!」
「な……ん、で……」
松本隆(まつもと たかし)は、目の前で嗤い狂う梶原真紀子(かじわらまきこ)を絶望しきった瞳で見つめていた。
ワケが分からなかった。
自分の腹部から既に致命的なほどにドクドクと流れでた血も、目の前で首の頚動脈を切られ既に動くことの無い田村亜季(たむらあき)も、もう、どうでもよかった。
さっきまでぎゃあぎゃあと「助けてぇぇ!」だの「死にたくないー!」だの騒いでいた自分が嘘のように、今は、頭の中が疑問だけで一杯だった。
それは、もう、自分が助からないと悟ったからこその、冷静さだったのか。
体から血が流れすぎて、頭に上る血さえなくなったためか。
それとも……。
「ギャハハハハハハ!」
目の前に、この場の全ての狂気と絶望を内包した存在が佇んでいるからか。
「なん……で……だ、よ。まき……こ!」
叫んでみるも、真紀子は……隆の彼女だった生物は、ただただ嗤い続けるだけだった。
(ちくしょう……)
気付くと、隆は泣いていた。
なにかが悔しかった。
(ボクは……ボクは、選ばれた人間なんだ! 搾取する側なんだ! だのになんでこんな……こんな、わけのわからない……)
隆の将来は約束されていた。
ゆくゆくは父のように医者になり、富も名誉も思いのままに生きるのだと確信していた。
人間の命なんていうものは、自分の手の上で躍らせるものでしかないと思っていた。
なのに。
なんで。
このボクが。
こんな……馬鹿げた……。
「キャハハハハハハハハハハハ!」
目の前で血濡れの爪を掲げながら嗤っている真紀子を、既に光を失い変えた瞳で見据える。
(なんなんだよ……ボク……なんかお前に、したかよ……)
さっきまで、三人で楽しく笑い合っていたのに。
あのレイナの自殺事件をうまくやり過ごしたボク達の、お互いの演技力を賞賛しあい、楽しく過ごしていたのに。
突然、真紀子が、亜季の首をその爪で裂いた。
まるで、世間話の延長のように「それが当然」とばかりの振る舞いで、シャッと、鮮やかに。
だから、亜季も、それが日常であるかのように、そのまま、死んだ。
亜季の最後の言葉は、「それでさー」だった。
目の前に横たわるその死に顔は、笑顔だ。ちょっと眉を潜めた、笑顔だ。違和感を感じている途中で、事切れたようだ。
隆は今、それを、羨ましく思った。
こんな風に、じわじわと死にたくはなかった。いっそのこと、疑問が浮かぶ前に死にたかった。
隆は真紀子に腹を貫かれた。人間とは思えないスピードで、真紀子の右手が、隆の腹を貫通した。
隆はその瞬間、「あ、なんかエロイ」と思ったことだけは覚えている。理由はわからない。なんとなくそう思ったのだ。痛いとかそれ以前に。
その後数十秒ほど叫んで叫んで叫んでのたうち回ったが……今はもう、全てが、遠い。
「キャハハハハハハハハハ」
目の前で真紀子が、嗤いながら、くるくると回っている。
くるくる。
くるくる。
くるくる。
くるくる。
そして。
「……え」
「キャハハハハハ!」
真紀子は、自分の首に爪を突き立てながら、回っていた。
首に、円形の傷が……いや、溝が、ほられていく。
それも彼女は回転を続ける。
鮮血を撒き散らしながら。
くるくる。
くるくる。
くるくる。
くるくる。
「……はは、は」
隆は笑った。薄れ行く意識の中で、笑った。
なんだこれは。
ボトリと、何かが落ちた。
随分重そうな音だったため、なにかと思ったら、真紀子の首だった。
「ははは」
なにやってんの、お前。
面白ぇー。
自分で首切ってやんの。
ウケる。
超ウケる。
体、まだくるくるまわってんぜ、おい。
ばっかじゃねえ。
ばっかじゃ――
その日。
松本隆は、絶望と微笑みの中で死んだ。
【1】
「たまねぎっ、たまねぎっ、たっまねぎー!」
「…………」
商店街を楽しそうにてくてく歩く藍璃を眺めながら、俺は、何度目になるか分からない嘆息を漏らしていた。
藍璃の背後、ふわふわと空中に浮きながら、肩を落とす。
(ショックだ……。色んな意味で、ショックだ……)
今日の朝から、俺のテンションは下がる一方だった。
*
事の発端は、我が家の無表情メイドだ。
朝っぱらから、リエラが、俺をいつものように毛虫でも見るかのような目で見つめながら、こんなことを言ってきた。
「たまには外に出ろ御倉了。お前はアレか。ニートとかひきこもりとかいうものの類か」
と、早朝から急にジャブ。直後、とどめとばかりに、
「そろそろ自分で悪霊の捕獲ぐらいしたらどうだ。女にエサを貰ってばかりとは……。うむ。そうか。こういうのは、ニートやひきこもりではなく、ヒモというのだったな!」
などと笑顔で言われ、俺は「うわーん! 俺だって、行くところの一つや二つ、あるもん! 化物屋敷にひきこもっているニートやヒモじゃないもん!」と、泣きながら神無家を脱出したのだ。
しかし、啖呵切って出てきたはいいものの、正直、今の俺に行くところなんてありゃあしない。
仕方ないので。
「体戻ってからと思っていたけど……」
少々躊躇しながらも、我が恋人、右坂藍璃のところへと飛んでみたのだが……
*
「むねにくっ、むねにくっ、むっねにくー!」
「…………」
我が恋人。
俺という恋人が死んで、さぞ、悲しみに暮れているだろうと思い、俺を散々悩ませていた、我が恋人。
右坂藍璃。
黒髪長髪ながら幼顔の美少女で、無垢な性格が皆に愛される、俺の自慢の彼女。
現在。
「カレーッ、カレーッ、甘口だけど、カレー!」
非常に楽しそうに、商店街を、買い物袋をぶらんぶらんさせながら闊歩なさっていた。
それはもう、楽しそうだ。そんじょそこらのガキよりテンション高い。とても恋人が死んで数週間の未亡人(ちょっと違うが)とは思えない。
いや、まあ、その、藍璃が元気なのは、望むところなんだけどね。
「じゃがいもっ、じゃがいもっ、さっつまいもー」
「いや、最後さつまいもに変わってるから。どんだけ甘口好きなんだお前」
相手に聴こえないツッコミを入れつつ、鼻歌を口ずさむ藍璃の後をふわふわとついていく。
元気なのは確かに望んでいたんだけど……。こう、なんていうの? 非常に、納得いかないものが……。
や、げっそりされているよりは全然いいんだけどね? こう、それにしても、もうちょっと……。
「…………」
藍璃が変わらず幸せそうに歩いているとこ見ていると、リアルに、ちょっと、凹んできた。
(そっか……そうだよな……藍璃は強い子だもんな……。必要以上に落ち込んで、周囲に心配かけたりしねぇか……)
元々俺は体が弱かった。だから、俺の死という現実は、多少イレギュラーがあったものの、俺と出会った時から覚悟していたのかもしれない。
そういう藍璃だからこそ、俺は、好きになったのだし。
でも。
それなら……。
「俺……なにしてんだ?」
悪霊集めて、実体化してやろうっていうのは……藍璃に触れてやりたかったから。
だけどもう。
その藍璃自身が、俺を必要としてないなら……。
そう思った瞬間。一瞬、体が薄くなった気がした。慌ててぶるぶると頭を振る。次の瞬間には、既に体が元に戻っていた。
(やべぇやべぇ。俺……今、死にかけた?)
厳密には語弊があるのだが。それでも……俺は今、消えかけた。成仏、しかけた。
(俺の未練って……そういや、藍璃が全てなんだな)
そうだった。
死にたがり、なんてわけじゃないけど、俺自身も、周囲と同様、昔から死の覚悟はして生きてきてた。
だからこそ、いつ死んでも悔いがないように生きてきたつもりだし。そういう意味では、死ぬ直前と言えど藍璃と恋人同士にもなれたし、よく考えてみれば、俺自身の欲望という意味では、あんまり強く生への執着はなかったのかもしれない。
しかし今は……。
(でもそれじゃあ……鞠亜に顔向けできないし……)
藍璃を失った自分に何が残るのだろうと考えた際、すぐにアイツが出てきてしまった。自分がさっき成仏しなかったのは、アイツの……そして、幽子やリエラの顔が浮かんだからだ。
(そっか。あいつらは……俺の『死』を覚悟しては……いないんだったな)
幽霊といえど、今、俺が急に消えたら、彼女らは悲しむだろう。なら……自分の勝手でまだ消えるわけにはいかない。
(仕方ない。……なんかモチベーションは下がったけど、まあ、とりあえず約束だし、最強の悪霊は目指すか……)
嘆息しつつ、藍璃の後ろをついていく。ええと……あと何体ぐらい取り込めって言ってたっけ? リエラが捕獲したのをかなり、それこそヒモ的に……雛鳥のようにピーチクパーチク貰ったからな……。あと、十体くらい? 自分の力じゃねーけど、案外、ゴールが見えてきたな。
しっかし、その割には、あんまり成長の実感ねえよな……。相変わらず俺に出来ることなんて、多少の精神干渉ぐらいだし……。よく考えると、悪霊って言うだけあって、悪霊の能力って、どれも、他人に害を及ぼそうとしないと、使えねー能力が多いし……。なんか微妙。戦士なのに、MPがどんどん成長している、みたいな感覚だな、これ。
「あ、銀行寄ってかないとっ!」
唐突に、目の前の藍璃がくるりと反転した。目が合う。いきなりだったのでびっくりしてしまったが、しかし、藍璃に俺が見えるはずがない。彼女は特に俺に反応することもなく、そのまま、俺の体を透けて、通り過ぎていってしまった。
(……はぁ)
なんとなく嘆息し……もう尾行の意味もないのだけど、腐っても恋人は恋人、藍璃の姿を眺めているだけで幸せになれてしまう俺なので、今日は一日後をつけることにした。
【2】
くるくる。
くるくる。
くるくる。
「あの、お、お客様? 当銀行に何か御用……で?」
禿頭の支店長らしき人物が汗をかきながら訊ねる中、彼女は、ただただ、笑いながら回り続ける。
さっきまで、いたって普通のOLだった彼女は。
今は、とても楽しい気分で、閉じた世界にいた。
くるくる。
くるくる。
くるくる。
銀行に、新たな客が入ってくる。
「にんじんっ、にんじんっ、にっんじんー!」
綺麗な少女。
『その背後に憑く者』も彼女には見えていたが、そんなことは問題ではなかった。
くるくる。
くるくる。
くるくる。
「お、お客様、あの、大変失礼ですが――て、え?」
「キャハハハハハ!」
店長の腕が、ごとりと、床に落ちる。
銀行内の時が止まる。
楽しい。
愉しい。
もっと楽しくしよう。
沢山いる。
一杯いる。
邪魔はしてほしくない。
自分の首を爪で軽く切ってから、『移る』
受付の女性の中へと。
『移る』
脳にアクセス。
ボタン。
緊急。
シャッター。
「キャハハハハ!」
「う、うわぁぁあああああああああ!?」
「きゃあl?」
店内に、絶叫、悲鳴、歓喜の声。
愉しい。
だから。
シャットアウト。
銀行のシャッターを閉じる。
出られない。
もう、誰も出られない。
愉しい。
愉しい。
「キャハハハハハハハ!」
さあ。
もっと。
もっと。
もっと。
愉しい宴を始めよう。