「残り一体、ですわね」
丸い卓袱台を四人で囲む朝食の席で、幽子が軽い口調でそんなことを告げた。
瞬間、鞠亜と俺の間に緊張が走る。リエラはいつものように、必要も無いのに黙々とご飯を口に運んでいた。
「そ、そうね」
鞠亜がぎこちなく反応する。……確かに、鞠亜が最初に提示した「実体化に必要な悪霊数」まで、残り一体だった。
当初想定した予定より、あまりにも駆け足。あまりにも不自然なほどの、ことの進み方。
それもこれも、リエラの活躍のおかげだった。
リエラがこの家に加わって以降、我が家の戦力はあまりにも拡大しすぎた。ハッキリ言えば、リエラほどの能力があれば、苦労することなく、あっさりと、「都市伝説クラス」の霊体を集められるのだ。
単純な問題。
3と3と3が強力して8を倒すのと。
10が8を倒すのとでは。
あまりに、開きがあるということだ。
3と3と3とは、つまり、俺や鞠亜や幽子の比喩。
いくら数値上では9であっても、三人はやっぱり別個の3である。いくら力を合わせようと、単純な足し算では計れない。アニメやなんかじゃ「1+1は、絆の力で10にも20にもなるんだー!」とか言われているが……。これは俺と鞠亜と幽子の絆の問題なのか、オレ達の場合は、まず、1+1が2にも満たない。下手すれば、1+1が1以下になりかねない状況だ。
そこに来て、リエラ。リエラの場合、単騎にして10。
つまり。
9以下の都市伝説クラスなら、大した苦労もせずにあっさり捕まえてきてしまうということだ。
結果、俺は自分の実力に分不相応なほどにどんどん悪霊を吸収し、今日、遂に残り一体までと迫った。迫ったのだが……。
「…………」
「…………」
「?」
俺と鞠亜の間にある剣呑な雰囲気を察したのか、幽子が首を傾げる。
少し前から、俺は鞠亜に対して少しトゲがあったのだが……ことここに至って、遂に、俺の方が完全に鞠亜を疑い出した。
鞠亜もその空気を……いや、「理由」を理解しているようで、俺と鞠亜の間にはここ最近ハッキリと溝が出来ている。
しかし、この微妙な緊張状態をまるで理解していないらしいリエラが、無表情でシラッと訊ねてきた。
「マリアとリョウはどうかしたのか」
「…………」
沈黙したものの……いや、これはいい機会かもしれない。
俺は鞠亜に視線を定めた。鞠亜は、あからさまに俺から視線を逸らす。……それで、逆に決心がついた。
「鞠亜」
「っ」
鞠亜がびくんと反応する。……俺は自分の考えに確信を持ち……・。
「…………」
そして……。
結論から、切り出した。
「鞠亜。俺は……俺、御倉リョウは、
いくら霊体を取り込んでも実体は得られないんだな?」
「――――」
鞠亜が顔を蒼白にし。
同時に、リエラと幽子の表情が固まる。
鞠亜が完全に沈黙してしまっているのに代わるように、幽子が、慌てて「ちょ、ちょっとどういうことですの!」と俺につっかかってきた。リエラも、厳しい視線で俺を見つめている。
俺は一つ嘆息し、自分の考えを告げた。
「リエラが来てから……一気に何体もの悪霊を取り込んで……俺は、ずっと違和感を感じていたんだ」
「違和感?」
「ああ。……あまりにも実感が無さ過ぎる。成長している……実体に近付いているという実感が、欠如しすぎている」
「……でも、そんなの……」
「気にしすぎ。そう、俺も思っていた。鞠亜の言う通り、最後の悪霊を取り込んだら、途端に、一気に実体を得られるのかもしれない……。そう、自分を納得させていたさ」
「そうですわよ。あと一体なのですから、今更……」
幽子の言葉を、俺は、遮るように告げる。
「最近の捕獲ペースに鞠亜が危機感を抱いている素振りさえ見せなかったら、俺も、いつまでも信じていただろうさ」
「……え?」
幽子が、鞠亜を見る。鞠亜は俯いたままだった。
「明らかに……明らかに、リエラが加入してからの鞠亜はおかしかった。そう、まるで……本当は、そんなに悪霊をとってきて欲しくないような素振りだった。まるで、『リエラが台本外のイレギュラーだ』と言わんばかりの態度だった」
「……鞠亜?」
幽子が呼びかける。鞠亜は……ようやく、顔をあげた。血の気の引いた顔で、俺を見つめる。
そうして……ようやく、言葉を発した。
「……その通りよ、リョウ。貴方は……いくら悪霊を取り込もうと、実体化なんてできやしない」
「――――そんな」
ショックを受けたのは……幽子だけだった。俺はもう覚悟出来ていたし……リエラも察していたのか、無反応だ。
鞠亜は自嘲気味に笑い、続ける。
「あははっ。そうよ、そんなの無理に決まっているじゃない。沢山悪霊取り込んだら実体化? なにその理論。そんなんで実体になれるんだったら……とっくに、前例があるわよ」
「……鞠亜?」
鞠亜の豹変振りに幽子が信じられないものを見る目で見つめる。
俺は……動揺せずに、鞠亜の瞳をジッと見返した。
訊ねる。
「鞠亜。キミの狙いは……なんだった? 最強の悪霊をしもべにでもしたかったのか?」
「冗談。そんなことして、なんになるのよ」
「じゃあ……なんだ」
「…………」
鞠亜は一瞬押し黙るも……しかし、もう偽ることを諦めたのか、サッパリとした表情で告げる。
「リョウを強くするため。それだけよ」
「意味が分からない」
「本当に?」
「…………」
「まあいいわ。でもリョウ……安心しなさい。貴方は実体化できる」
「……何を言っている?」
「貴方は、実体化出来るのよ。やがて来る……世界の終末でね。その時に貴方が弱くては、話にならない。貴方は……強くなければいけない。最強の悪霊でなければいけない。そうしなければ……やがて来る可能性がある《審判者》を退けることは出来ないわ」
「鞠亜。お前は一体、何を……。いや、回りくどい言い方はよそう」
「…………」
「お前とタナトスは、何を企んでいる」
俺の言葉に、幽子がごくりと息を飲む。リエラは、無表情で食事を再開していた。
鞠亜は……なぜか、心底嬉しそうに微笑んでいた。
「まさか貴方がそこまで成長しているとはね。精神防壁はあるのに、私やタナトスの心を読んだのかしら?」
「さあな。そこまで器用なことはできないが、最近……霊体を大量に取り込んでから、無意識に物事の真相を掴むことが出来るようになってきた気がする」
「そう。……そうね。まあいいわ。これで分かったでしょう、御倉リョウ。私は貴方を騙していた。そして、私は悪巧みをしている。まあ、もう大体の目的は達したわ。あとはもう、どこに行くなり好きにしたら……」
自暴自棄にそんなことをヘラヘラ告げる鞠亜に……俺は、微笑んでやった。
「いいや。俺はまだここから出て行かないよ、鞠亜」
「……へ?」
今までの雰囲気を掻き消し……すっかり、いつもの少しマヌケな表情に戻る鞠亜。
慌ててまた悪役ぶろうとするも、今度は全くうまくいってなかった。
「な、なに言っているのよ。私はね、リョウ。すんごく大変なことを企んで……」
「質問。リエラが予定ペースを大きく上回り悪霊を捕獲したのに慌てた……蒼白な顔をしたのは、なぜだ?」
「そ、それは……そんなの、49体取り込んだ時に嘘がばれちゃうから……」
「嘘がばれることを恐れたわけだな?」
「そ、そうよ」
「なぜ?」
「なぜって……。そ、そんなの当然――」
「いいや。さっき鞠亜が言った通り、俺を強化することだけが目的だったのなら……。ペースが速まっても、いいことこそあれ、焦る必要はどこにもなかったはずだ。嘘がバレたら、今みたいにすればいいだけの話なんだからな」
「あ……」
鞠亜が「しまった」という顔をする。幽子がキョトンとする中、俺は、ニヤリと微笑んだ。
「鞠亜……。お前、俺のいる生活、気に入ってたんだろう?」
「う……」
カァーっと顔を赤くする鞠亜。……やっぱり。何を悪巧みしていたかは知らないが、こいつは、心底性悪な人間ではない。そんなのは、俺に幽子にも分かりきったことだ。
俺は続ける。
「それに、手法こそ嘘だったかもしれないが、結果的に実体化は保証されているんだろう? だとしたら、全部知らされた今、俺が鞠亜を恨んだりする謂れはないな」
「そ、それは……そうだけど」
「というわけで、これからもよろしく、鞠亜」
「え、あ、う」
鞠亜はすっかり困り果て……最終的に、大きな溜息を一つ吐き、「まったく……」うなだれる。
「オーケー。分かったわ。実体化するまでは……ここに居ていいわよ、リョウ」
「どうも」
「なんなのよ……もう」
なんか色々、彼女にとっては想定外だったらしい。ぶつぶつと、「なんか私、馬鹿みたいじゃない」だのなんだの、不貞腐れてしまっている。
幽子は未だに「へ? へ?」と混乱していが、説明も面倒なので、「仲直りしたってことだよ」とだけ伝えておいた。アホな幽子はすぐに、「仲良きことは美しきことですわ」と上機嫌で朝食を再開する。
俺は霊体なので食事をすることもなく、ぼんやりと鞠亜を見つめた。彼女が、憔悴しきった顔で「なによ」と睨みつけてくる。……怖っ。
「ええと……で、俺はいつ実体化出来る?」
「さあ。タナトスと式見蛍次第ね」
「はあ?」
わけのわからない登場人物が出てきた。鞠亜が「あー」と面倒そうな顔をする。
「いいわ、別に。そっちは理解する必要ないわ、リョウは」
「また隠し事か」
「隠し事っていうか……面倒なのよ、単純に。式見蛍関連はね」
「はぁ」
「あっちの物語はあっちの物語。リョウが知る必要のある話じゃないってこと」
「でも、俺に関係するんだろ?」
「あー……。そうね。ええと、例えば、私はビスケットが好きで、それがなければ生きていけないってぐらいに好きだけど、かといって、別にビスケットを初めて作った人の人生やら、市販のビスケットの製作過程を詳しく知りたいとは思わないし、知ってもあんまり意味が無いでしょ。そういう感じ」
「うーん?」
分かるような分からないような例えだった。まあ……シキミケイとやらの人生は、俺の今後に関わってはくるものの、かといって彼を俺が詳しく知っておく必要は、現状無いといことだろうか。
「っていうか、リョウ。アンタは、彼のことを気にしていられる状況じゃないの。むしろ、彼を――いや、なんでもないわ」
「はあ?」
「まあ、全てはタナトスにかかっていると思いなさい」
「ふむ……。で、俺はいつぐらいに実体化?」
「だから、彼ら次第だけど……。そうね。まあ、そんなに遠い未来じゃないと思うわよ。家でタラタラしていれば、8月中には決着つくんじゃないかしら。まあ……実体手に入れても、それから数日間は、今度は世界の方がドタバタするだろうけど」
「はぁ?」
「まぁ……この場合は、タナトスが勝とうがどうしようが、リョウの願いは叶えられるわね。……彼女の願いも」
「彼女?」
わけのわからないことだらけだ。鞠亜はどうやら、まだまだ俺に隠し事があるらしい。……そういやコイツ、異端で神無家から追い出されたマッドサイエンティストだったな……。すっかり忘れていた。普段が天然すぎて。
鞠亜はわしゃわしゃと頭を掻いて、キッパリと告げる。
「と・に・か・く! 整理するわ! 貴方は、『タナトスがある行動を起こしたら、自動的に実体化する!』。そういう契約を、私とタナトスは既にかわしているの」
「ああ。ちなみに……タナトスの方の見返りは?」
「『リョウ君が面白いから』と、私が彼のある計画を理論的にちょっと手助けしたから」
「……なんか世界がどうこう言っているが、それは、かなりヤバイことなのでは?」
なんせあのタナトスだぞ?
鞠亜は額に汗をかきながら、ひゅーと口笛を吹いた。
「……ダイナマイトを開発した人間に、罪はなし。悪いのは、それを悪用した人間よ」
「うわー」
「と、とにかく! 世界なんてどうでもいいの」
「問題発言ですな」
「悪霊が何を言うのよ」
「ひでぇ」
「話しを進めるわよ。それで、実体化した後だけど……。もう言っちゃうけど、『場合によっては』、貴方は強大な敵と対峙しなければいけなくなる可能性がある」
「は、はぁ? 本格的に意味がわからなくなってきたぞ、おい。なんだ? 悪の親玉とでも戦えと」
「……むしろ逆よ」
「はあ?」
「まあいいわ。とにかく、それは実体化した後……もっと言えば、タナトスの計画が失敗した場合の『未来の可能性』だから」
「……あの、鞠亜さん。何を喋っておられるのでしょう?」
ちんぷんかんぷんにも程があった。
鞠亜は「とーにーかーくー!」とキレる。
「貴方が頑張らないと、この計画は台無しなの! 私と、アイリ――あ」
「あい……り?」
「…………なんでもないわ」
鞠亜が苦虫を噛み潰したような表情をする。
また……。
ないはずの心臓が……。
《ドクン、ドクン、ドクン》
なんなんだ……なんなんだ、これ。
頭の中に再び警告が響く。まだその領域には思考を踏み込ませてはいけないと……俺の本能が、告げる。
俺の様子に気付いたのか、鞠亜は、ゾッとするほど無感情な目で、俺に……《命令》した。
『忘れなさい、リョウ』
…………。
…………。
…………?
「おっと。なんかボーっとしてた。ええと、どこまで話したっけ?」
「貴方が頑張らないといけないっていう話よ」
「ああ、そうだっけ。で、俺に何をしろって?」
「……そうね。強いて言えば、『生きろ』ってことかしら」
「はぁ?」
「気にしないでいいわ。全ては……もうすぐ、終わり、始まることだから」
「……まだ俺は、物語のスタートラインにも立ってないと?」
「違うわ、リョウ。『物語のスタートラインで死なないための物語』の中に、貴方は今存在するというだけの話」
「……もういい。意味が分からないのには、なんかもう慣れた」
「そうね。今はその認識でいいと思うわ。やがて、ちゃんと全部分かるから、大丈夫よ」
鞠亜は「そう……全部ね」と、なぜかとても悲しそうな顔をする。
幽子とリエラは、既に「我関せず」という感じで、ぱくぱくと食事をとるのみだった。食事終わりに、リエラが、ふと、
「じゃあ、私はもう悪霊集めしなくていいのか?」
と鞠亜に訊ねる。鞠亜は少し考えた後……
「いえ、こうなったら実体化までに稼げるだけ稼いでほしいわ」
「それは、私にも得となることか?」
「手ごたえのあるリョウと、微妙なリョウ、どっちが好み」
「手ごたえのあるリョウ」
「なら捕獲頑張って」
「了解」」
「うぉぉぉい!」
なんか不穏な契約がかわされていたので慌ててツッコンだが、時既に遅し、リエラは自分の食器を持って台所に行ってしまった。
鞠亜が、「さぁて!」と仕切りなおす。
「そんなわけで、リョウは今後も頑張りなさい。以上」
「……なんか、得るものが何もなかった気がする……」
俺はげんなりとして、この、わけのわからないことだらけの朝の一時を終えた。
…………。
…………。
*
このやりとりの少し後。
俺は、実体化した。
実に何事もなく。描くほどの物語もなく。鞠亜の言うように、予定調和に……なにをしなくても、実体化の要素はあちらから届けられた。
具体的には、俺は、「マテリアルゴースト」という名の、実体ある幽霊と成った。
世界の破滅の危機と引き換えに。
タナトスの起こした事象に、『一切手を出さない』という約束と引き換えに。
俺は、実体を手にいれた。
『霊体物質化能力のカケラ』とかいうものを得て、生きている人間となんら代わらない体を……手に入れた。
ハッピーエンド。
当初の目的を達成するハッピーエンド。
藍璃の前に姿を現し、「お帰り」と言われ、思いっきり抱きつかれる、まるでアニメの最終回のようなハッピーエンド。
幽子や鞠亜との親交も続き。理想の終わり方。
紛れもなく、それは、最終回だった。
御倉了という人間にとっての、ハッピーエンド。物語の終わり。語り終える場所。
《そこで語り終えれば、ハッピーエンドとにして認識されうる地点》
それが、その、瞬間だった。
しかし。
この現実に、終わりなんてない。最終回なんてない。
ふと考えることがある。
最終回の後にやってくるのは、一体、なんなのだろう。
幸福な永遠?
緩やかな破滅?
だらだらとした日常?
少なくとも、俺、御倉了にやってきたのは。
一人の女と、知りたくもなかったサイテーの真実。
そして。
絶望に彩られた最悪のスタートラインだった。
――神無鞠亜と御倉了の心霊目録 THE END――
――AND――
――オルタナティブゴースト START――