「なかなか美味しいパフェでした」
アスファルトを照らす街灯の下、鏡花が満足そうにそんなことを言う。
人気の無い閑静な路地。俺は満月を見上げながら、どこからか聴こえてくる鈴虫の声に耳を澄ましつつ、その隣を歩いていた。
「アンタみたいな大人っぽい人が、パフェに目をキラキラさせるとは思ってもみなかったよ」
鞠亜の家に行った帰り、鏡花が「デートしましょう」とか言い出したので、俺達は近くのショッピングモールをテキトーにぶらつき、夕飯をファミレスで食べてきた。藍璃という彼女がいる俺だが、鏡花が言い出すことは大抵「試験」とやらのためらしいので、デートというのにも今更動じなかった。
不思議だが、俺も決して女の子慣れしているわけではないのに、この鏡花とは、あまり気兼ねなく付き合えている。少し男っぽい性格だからだろうか。そりゃ風呂云々言われたらドキドキしてしまうが、普通に接していると、男友達と一緒にいるようにさえ錯覚してしまいがちだ。彼女が常に落ち着き払った人間であることも影響しているかもしれない。
そんな鏡花だけに、まるで女子中学生のようにパフェでテンション上がったことに、俺は少し面食らった。
鏡花は、少し足早なペースを崩さぬまま、ニコリとこちらを振り返る。
「ここ数年世界中を飛び回る生活しているんだけど、各国各地のパフェを食べてみるのが、私の密かな趣味なのよ」
「へぇ。意外だな。なんていうか、アンタ、和食派だろう、どちらかというと」
「まー、そうなんだけどね」
「甘党?」
「甘いものは嫌いじゃないけど……甘党って言うほどじゃあないわね」
「? じゃあ、なんでパフェ?」
俺が首を傾げると……鏡花は、少しだけ、寂しそうに笑った。
「ん。ちょっとね。あっちにいる後輩の分まで食べてあげたくてね……。土産話にもなりそうだし」
「??」
「ん、なんでもないわ。忘れて」
鏡花はそう言って、もう一度だけ切なげに笑い、そうして、俺と一緒に月を見上げた。……ただ、俺とは違い、彼女の眼には、月以外の何かが写っているように、俺には感じられた。
ちょっとしんみりした、しかし不快なわけではない空気になり、二人、無言で夜道を歩く。
……変な日だった。
昼間のあの会合もそうだし。水月鏡花についてもそうだ。
なにかが少しずつ、しかし確実に、切り替わっている気がしていた。こんな平穏の中にいても……どこかで、これが、今までの日常とは意味が違うように感じている。
スイッチは切り替わった。
この感覚、何かに似ている。そう感じて、記憶を辿ってみた。
……昔、友達から進められてアドベンチャーゲームをやったことがある。軽く恋愛要素が入ってはいるものの、メインはあくまでシナリオ……そんな類のものだ。全く俺の趣味ではなかったのだけれど、その友人があまりに強く薦めるので、渋々プレイしたのだ。
結局、友人が言うほど俺はそれが楽しめはしなかった。多分、そもそも俺のスタンスと合わなかったのだろう。
まず、ただ少しの選択肢の違いで複数の女の子に軽々しく愛を囁く主人公に共感出来なかった。俺と藍璃は、少しずつ、ゆっくりと、愛を育んできた二人だから。例え俺の周りに……そう、鏡花のような美女が来たところで、そしてどんな経緯があったところで、俺は、藍璃だけを好きでいられる自信がある。それなのに、あの主人公ときたら……。
まあ、そういうのは「こういうものだから仕方ない」で済ませられる部分だ。実際にそんな文句を言って重箱の隅を突くような無粋な真似がしたいわけじゃない。
俺があのゲームで本当にイヤだったのは……。
「非日常と……悲劇」
「?」
「いや、なんでもない」
俺の呟きに、鏡花が反応するが、俺は曖昧な笑みで誤魔化す。
……あのゲーム。俺は、てっきり、普通に恋愛して、それで終わりなんだと思っていた。だけど……違った。
どのヒロインと結ばれるにしても、確実に、どこかで障害が立ちはだかった。悲劇が、二人に襲い掛かった。
物語は、そうしなければ面白くないと分かってはいる。だけど……全ての恋愛に障害があることに、俺は、疲れてしまった。
恋は、そんなに辛いことか?
テレビドラマを見てもそう思う。お前ら、なんで泣いてばっかりなんだよって。どうして、そんなに「悲恋」ばっかりが好きなんだよって。「二人で幸せに過ごしました」じゃ、そんなに気に食わないかって。
序盤が楽しい日常で。中盤で翳りが見えて。後半で辛いことが起きて。最後にはどうにかハッピーエンド。
そう……今の状況は、忌々しいことに、全く持って、あのゲームのようだった。
まさに転換点。喜劇と悲劇の転換点。それが、今日のように感じられる。
「っ」
嫌な予感を振り払うように頭を振り、立ち止まる。
そんな俺を鏡花は心配そうに振り返り、そうして――
「どうしました、リョ――」
彼女の、
右手首が、ゴトリと、地面に、落ちた。
『――――』
一秒目。混乱。
鏡花が一瞬苦痛に顔を歪め、しかし次の瞬間には、緊張した表情に戻る。早い判断。
俺はと言えば、鏡花と同じように『未知の何か』に警戒はしたものの、しかし、彼女と違ってまだ意識が落ちた右手首の方に言っていた。
二秒目。発見。
落ちた手首が物質化能力の制御を失い、空気に掻き消える。そこでようやく、俺も手首の方から意識を切り替えることが出来た。
鏡花の背後……いや、既に振り返っている鏡花の、現在は正面に当たるその方向に、視線を定める。
そこには――
「こんばんわ」
ニコニコと、奇妙な刃物を持った、青年、一人。
三秒目。邂逅。
「随分ユニークなご挨拶で」
鏡花は、この一瞬で既に平静さを取り戻し、それどころか、もう右手を再生させている。あまりに素早すぎるその対応。俺は、まざまざと、くぐった修羅場の数の違いを見せ付けられた。
そして……その正面で、微笑む、青年一人。
顔は……丁度街灯が逆光になっていて、よく見えない。しかし、どこかで見たような気もする。妙な違和感。
しかしそれ以上に、服装に目が行ってしまっていた。
血のように紅い真紅のレザージャケットとレザーパンツ。手に持った異様な凶器と言い、何かのコスプレにしか見えなかった。
青年は、鏡花に対峙したまま、特に構えもせず、くるくると、凶器を回す。
二つ。両手に、一つずつ。
よく見ればそれは……拳銃のようだった。真っ赤な、拳銃。しかし異様なのは色だけじゃない。その銃身は中心円を除いて刃で形成され、この闇の中でギラギラと、遠くの街灯の光を反射させている。
二丁拳銃。否。『二丁剣銃』。
くるくる、くるくると、手馴れた手つきで青年はそれを回転させ、そうして、腰に据えつけられた真紅のホルスターにカシャッと仕舞いこんだ。
そうして。
数秒の、沈黙。
空気の「意味」が分からなかった。恐らく、それは鏡花もだろう。
これは、緊張なのか、驚愕なのか。
この青年は、敵なのか、なんなのか。
いきなり手を切り落としておいて、しかし次の瞬間には、武器をしまう。全く、相手の意図が見えない。まさか、本気でただの「挨拶」だったのだろうか。
妙な沈黙の後……青年は、ようやく、口を開いた。
「アンタ、強そうだな。それに、ちょっといい女だ」
「ナンパ? だとしたら、前代未聞よ。手首切断ナンパって、渋谷あたりで流行なのかしら?」
「ああ、ごめんごめん。ほら、この化物だらけの世界、先手必勝だからさ。アンタが、こんなに人間っぽいヤツだとは思ってなかったんだよ」
「まるで通り魔ね」
「違いねぇ。俺の仕事は、実際、そんなもんだ」
「仕事? 人の手首切り落とす仕事って、なにかしら」
「
マテゴ狩り」
ごくりと、俺は、息を飲んだ。逆光で見えないはずなのに……青年の目が、ぞっとするほど、殺意を迸らせているように感じられたからだ。
鏡花も同様の危機感を抱いたのだろう。余裕のある態度を掻き消し、その場で、構えをとる。
青年はクスクスと笑っていた。
「やだなぁ。俺は化物専門だよ、おねぇさん。話の通じる女をいたぶるのは、若干、趣味じゃない」
「……お前、何者だ?」
「おや、おねぇさん、目つきが変わったね。『そっち』が本質かい? なるほど、『その姿』といい、今のおねぇさんはとことん道化に徹しようとでもしているのかな?」
「こちらの質問に答えてもらいましょうか」
鏡花に余裕が無いように見えた。それは、俺にとって、とても意外で。コイツは……もっとこう、いつだって、毅然としているように思えていたから。この世界には、もう、こいつに「敵」はないようにさえ、感じていたから。
しかし、その鏡花が動揺しているのを見て、俺は、今頃、「ああ、やべぇんだ」と気付かされてしまった。
ああ、そうか。なるほど。理解した。
この青年、俺達より数段強ぇんだ。
鏡花の焦りは当然の結果。強いからこそ……相手の強さも分かってしまうのだろう。
ならば、青年の余裕は、格下のものに対する余裕か。
青年は、まだクスクスと笑みを絶やさなかった。
「そんな目で見ないでよ、おねぇさん。おっかないなぁ。俺、そこまで『悪』じゃあないぜ? 手首いきなり切り落としておいて説得力ない気もするけどさ。別に一般人襲いまくってるわけじゃねえんだから」
「……マテリアルゴーストを対象にした、通り魔だとでも?」
「言い方悪いなぁ。まあ、そうだけど」
「……なんのために……」
「ん? おねぇさん……精神防壁硬いなぁ。まあ、でも……おねぇさんも似たようなもんじゃない」
「…………」
鏡花が黙り込む。……まずい。なんだか分からないが、押されている気がする。
俺は、喉をカラカラにしながらも、ようやく、声を出した。
「お、おい!」
「ん? お前……」
そこでようやく、青年はこちらに気付いたようだ。俺の顔をジッと見て……そうして――
素っ頓狂な、笑い声をあげた。
「くっ、あはははは! なんだ! マリアのヤツ、またこんな愚行を繰り返していたのかっ! ハッ、久々に街に戻ってみれば……なんだこの『出来損ない』わ! 全く、まるで進歩がないな、アイツは!」
「っ! な、なに言ってるんだ、お前……」
青年が俺を、心底可笑しそうに笑いながら見ている。俺は……それに異様に気圧されて、うまく言葉を発することが出来ない。……どうしたんだ、俺……。コイツには……力関係云々以上に、何か、「怖れ」を抱いてしまっている。
そのあまりの……苦痛さえ伴う恐怖に、地面に膝をつき、息を荒くする。
青年は、心底可笑しそうに俺を見ていた。
「くくく……そうかそうか。いや、気が変わった。よし……OK、続行だ」
「?」
「今ここで刈り取ってやるよ……『二代目』」
「!?」
瞬間。
現実離れした速さで、ホルスターから剣銃が抜き放たれ、そのまま、発砲される。
早撃ち。
認識間違い。
コイツは、武器をしまったんじゃない。
コイツは、構えをとっていなかったんじゃない。
居合い撃ち。
早撃ち。
それが、本質。
こいつの、十八番。
気付くのが遅かった。気付いた時には、もう、弾丸は俺に向かって放たれていた。意識と視覚だけが研ぎ澄まされ、迫ってくる弾丸が見える。
それは、真っ赤なエネルギー体だった。普通の弾丸ではない。
……そもそも、アイツはマテリアルゴーストなのか? そうでなくては、あんな「想像上の武器」みたいな形状の銃は考えられないが、しかし、だとしたら、遠距離攻撃は不可能なはずだ。物質化範囲から外れる。ボウガンのように、糸がくっついているようにも見えない。
だったら、喰らっても大丈夫……か?
希望的観測。しかし、それが、無意味な想定であることは、俺も気付いていた。
そんな当たり前の情報は、青年も承知の上のはず。その上で、あの武器を使っているのだ。ならば……あの弾丸は、確実に、「有効」と考えるべきである。どういう理論かは分からないが、マテリアルゴーストには色々な特性を持った者がいる。あの青年には、「そうういう能力」があるとしても、不思議じゃない。
弾丸がゆっくりと、着実に、俺の眉間に向かって進んでくる。
もう、俺の身体能力じゃ……俺如きじゃ、かわせない。
いくらマテリアルゴーストとはいえ、急所を撃ち抜かれれば、消滅する。鏡花が一撃で巨大な怪物を倒したように。
俺が出来ることは……もう、安らかな死を望むのみ。
そう。
『俺に出来ることは』、それだけだった。
「リョウ!」
でも。
『彼女』は、違った。
なまじ、能力の高い人間。
なまじ、お人よしの人間。
水月鏡花。
《ズドン!》
イヤな音ともに、意識が覚醒する。
目の前には……水月鏡花の背中。
「お……い?」
混乱する。いや、混乱したふりをする。何が起こったか分かっていて……分からないフリをしていたかった。
しかし、現実は、酷く、無常で。
鏡花の背中が……ゆっくりと、崩れ落ちる。
慌てて、俺は、倒れかけた彼女を受け止めた。
「おい! 鏡花!」
そうして。
彼女を受け止め、体を正面から見て。
その事実を突きつけられる。
「――――」
「あらら。失敗というか、成功というか。また面白いことになったもんだね」
青年が暢気な声でそんなことを言う。
俺は……呆然と、彼女を……
心臓を打ち抜かれた水月鏡花を、見守っていた。
「……まあ、仕方ない。ちょっと興醒めだよ。完全に悪者じゃんか、俺。ここは引くのが、なんつうか、マナー? あー、まあ、その女はそんなもんじゃ消えねーと思うぜ。中身にある『心の強度』がハンパねぇからな。ま、死にかけではあるけど。……じゃあな、『二代目』」
「…………」
「いや……二代目、なんて『もったいない』か。……じゃあな、『ニセモノ』」
「な……に?」
腕の中で力をなくしていく鏡花を抱きかかえながら、青年を見る。
丁度その時。雲に隠れていた月が現れ、青年の顔が、ハッキリと、見えた。
そこには――
俺と全く同じ顔があった。
「な……ん……。お前……は」
俺の呟きに、青年は、こちらに背を向けながら、手をぷらぷらと振り、告げる。
「俺はミクラ・リョウ。よぉく覚えておけよ、『ニセモノ』」
「――――」
満月の夜。
俺の人生という物語は、完全に、切り替わった。
奈落の方へと。
真っ逆さまに。