畳の上に敷かれた布団で、死んだように眠る……いや、実際「死んでいる」「停止している」水月鏡花を見つめ、また、やり場の無い感情に襲われる。
彼女がいる身だが、それでも、俺は鏡花の手を……体温の全く無い手を握り締めていた。
「看病したところで、どうにもならないわよ」
鞠亜がそう告げながら客間に入ってくる。さっきまでは幽子やリエラもいたが、彼女は既に休憩に入ったようだ。
鞠亜は嘆息しながら、部屋の隅に重ねてあった座布団を一枚とり、俺の隣にそれを敷いて正座する。
俺は、それでも鏡花の顔を見つめながら、呟く。
「鏡花は……大丈夫なんだよな?」
鞠亜は呆れた様子で、もう一度深く嘆息。
「さっきも説明したでしょ。全部彼女次第よ。そもそも、マテリアルゴーストっていうのは、本来は0か1なの。致命傷なら消えるし、普通の怪我なら即修復できる。でも……彼女は今、その、本来ありえない『0と1の境界線』にある。
……まあ、通常のマテリアルゴーストなら、とっくに消滅しているところね。心臓撃ち抜かれているわけだから、こう以上ないってぐらいに、急所突かれているわけだし。
でも、そこは水月鏡花。元々の能力が他と桁外れなのか、誰かに守られているのか、それとも、まだ死ねない……消えられない理由でもあるのか。とりあえずは、存続しているようね。
ただ、依然として境界にあることは変わらない。どっちに転ぶかは……彼女次第」
淡々と、冷たく説明する鞠亜に、俺はすがるような視線を向ける。
「じゃ、じゃあ、ほら、俺の霊力を分け与えるとか、そういうことは……」
「そういう問題じゃないのよ、リョウ。彼女がこの体でありながら『意識不明』なんていうとんでもない状態になっているのは、霊力で解決できるような性質の問題じゃない。
つまり……そうね。今の状態で霊力供給っていうのは、疲労で倒れた人間に輸血するようなものなの。解決のアプローチとして間違っている。『そういう問題じゃない』という状態」
「……じゃあ、打つ手、ないのかよ」
「最初からそう言っているでしょ? 全部総合しての、『彼女次第』。まあ……私なんかは、十中八九復帰すると思うけどね。この程度の修羅場、彼女がいくつくぐってきたと思ってるのよ」
「…………」
その説明で、俺はようやく鏡花の手を離した。……息もせず、体温もんなく、ぴくりとも動かない「停止」した水月鏡花。その姿を見ていると……まるで死体以外の何者でもなく、自分をかばって撃たれたことを思い返すと、焦燥ばかりが心に滲む。
しかし……いつまでも無意味に心配ばかりしていても仕方ない。それに……俺には、まだまだ、やることがある。
俺は、鏡花から視線をはずし、鞠亜に向き直った。彼女も、俺を真摯な瞳で見つめ返している。
状況の説明は、俺が鏡花を慌ててここに運び込んだ時点で、もう済ましてある。その際に、鞠亜は「あの男」の話を聞いて、何かを「覚悟」したようでもあった。だから……この部屋に来た時点で、彼女の目的はもう鏡花ではなく、俺と「決着」をつけることだったのだろう。
対して。
俺の方も……驚くほど、落ち着いている。なぜだろう。ここに来てすぐは、まだ、頭が混乱していた。鏡花のこともそうだし、アイツのことも、俺を一層混乱させていて。
だけど……鏡花の手を握っている間に、なぜか、そういう弱さが全部消え去った。混乱……なんて、「甘え」だと悟った。
少なくとも、身を挺して命を救ってくれた鏡花に、恥じない人間でいなければいけないと、思った。責任感なんかじゃない。自然に、そして当然のように、そう思っていた。
だから……俺は、鞠亜の瞳を強く見つめる。彼女も、俺を見つめる。
そうして……鞠亜は、ようやく、口を開いた。
「結論から言って。リョウ、貴方の会った……彼女を撃ったその男は、《御倉了》よ」
その言葉を……きちんと、受け止める。
それから……それでも、鞠亜を見つめ続ける。
「説明する気、あるか?」
「……そうね。こうなってしまった以上、隠すのにはもう限界来ているのは分かるわ。私も、覚悟はしている。でも……」
そう言って、少し迷う素振りを見せる鞠亜。
……どういうことだ。覚悟しているなら、なぜ、今更迷う。俺も、鞠亜も、覚悟してこの場に臨んでいるのではないのか。それでも躊躇うというのならば……。
「……まだ誰か、《覚悟を決めるべき人間》が、舞台に上がってないのか?」
「…………」
目を逸らす鞠亜。
……分かっていた。彼女が俺を何か騙していたのだとしても……少なくとも、悪意や自分の利益のためにそんなことをする人間でないことくらい……俺だって、分かっていた。
だとしたら……もう、俺は、これ以上糾弾するわけにもいかない。
悔しいが、ここは一旦引く――
「右坂藍璃のことを気遣っていられる段階は、とうに過ぎているんじゃないかしら、神無鞠亜」
『!?』
意図せぬ方向から聴こえてきた声に、俺と鞠亜は心臓を跳ね上がらせる。
声の方向に慌てて振り向く。と、そこには……。
「鏡……花?」
「ええ。どうやら、心配をかけたようで」
そこでは、さっきまで死んでいたハズの水月鏡花が平然とした様子で、上半身を起き上がらせていた。鞠亜まで、唖然としている。
「いくらなんでも……あの状態から、こんな短時間で復帰とはね……」
「ああ、まあ、死ぬのには慣れているからね。起き方のコツみたいなの、最近つかんでいてね」
屈託なく笑う鏡花。とても、心臓を撃ちぬかれた人間とは思えない。
俺はようやく彼女が無事なことを認識して……大きく安堵の息を漏らす。
「ったく、俺がどんだけ心配したと……」
「それは嬉しいわね。でも、彼女がいながら他の女性の手を強く握るというのも、どうかと思うけど」
「……あのなぁ」
もう既に鏡花は絶好調だった。心配すること、ないらしい。
彼女は布団は足にかけたままで、「さて」と話を戻してきた。鞠亜を軽く睨みつけている。
「往生際が悪いわね、神無鞠亜」
「……水月鏡花。貴女に、何が分かるっていうの」
鞠亜が、苦虫を噛み潰したような表情で返す。鏡花は、語調を強めた。
「貴女達の事情は察せないでもない。でも、それを考慮したとしても、どう考えても、現在一番理不尽な状況に居るのは彼。そして、状況はここまで動いた。最早……彼に事情を説明しないのは、もう、最低の選択よ」
「…………」
鞠亜が顔を背ける。……それは、どうも、「自分の口からは言えないから、貴女に任せた」とでもいうような態度。
鏡花は「やれやれ」と肩から力を抜いた後。
俺の方を、キリッとした表情で見つめた。
その視線に、俺は、気圧される。
「な、なんだ?」
「
リョウ。……今から、生存試験、最後のテストを開始します」
「な、なんだよ。藪から棒に。今は、あの男の話を――」
「いえ、今するべきは、『御倉了』の話です。それが、ひいては、彼の正体を考える材料にもなるでしょうし、なにより、貴方にとっての一番の問題は、『御倉了という存在』に集束するのだから」
「…………」
鏡花の目があまりに真剣なので、俺は、言葉を失う。しかし……覚悟は既に、決まっていた。
俺は、何も言わず、ただ、コクリと、頷く。
鏡花は俺の目を、一瞬どこか優しげな表情で見つめ……そして、次の瞬間には再び感情を拝し、告げてきた。
「では、最後の問いです、御倉了。簡単な二択です。……私も過去に経験した、二択です。選びなさい、リョウ」
「……ああ」
数秒の間。
しかし。
躊躇することなく問いかけられる……《最後の二択》。
「
貴方は、生きたいですか、死にたいですか」
「……なんだって?」
あまりに突飛な質問に、面食らう。しかし、鏡花は至って真面目な表情のままだ。……逃げるわけにもいかない。俺は、意味が分からないながら、答えを返す。
「いや……そりゃ、俺は、生きたい……っていうか、まあ、幽霊だけど、生きては、いたいよ。うん。こんな体だけど、それでも、ずっと藍璃と寄り添っていければと――」
「少し待って下さい。まだ、結論を出さないで下さい」
「へ?」
「この問いかけに解答するのは、今じゃなくていいです」
「……いや、今じゃなかったところで、こういう解答はそうそう変わるものじゃ――」
「……その気持ちを忘れないで頂くと、私も、嬉しいのですが」
なぜか、鏡花はそんなことを言った。意味が分からない。そもそも彼女が試験をする意味も、よく分かってないのだ。
俺が首を傾げていると……鏡花は、一つだけ嘆息し、そして、鞠亜に視線をやった。それに対し、鞠亜は、そっぽを向きながらも……コクリと、静かに、頷き返す。
再び俺を見る鏡花。
「リョウ。これから、この《最後の問い》に返答するにあたっての、判断材料を貴方に提供します。これは、私も昔、神無深螺から受けたものですが……。あの手順は、間違ってない。今ならそう思えます。最後の選択をするためには、全ての情報を手に入れておくべきだ」
「? よくわからないが……つまり俺が、まだ何も分かってないから、生死の判断をするなと? そして、その判断材料を、これからくれると?」
「そういいうことです」
そこで区切り、鏡花は一つ深呼吸する。
俺も……ただならぬ空気を感じ、居住まいを正した。
そして。
鏡花が。
告げる。
「まず大前提として」
「…………」
「
貴方は、御倉了じゃ、ない」
「――」
…………。
……何を言われた?
覚悟なんて、一瞬で、砕けていた。
弱さが、心の奥底から、溢れ出してくる。
「な……に?」」
泣き笑いのような表情になっていたかもしれない。
なんだ……これ。
なんだ……これ。
なんで俺……こんな……。
鏡花が淡々と続ける。
「貴方の正体を明かしましょう。貴方は……《
御倉了を模して製造された霊体》であって、御倉了本人の霊ではない」
「なに……言って。はは……鞠亜、鏡花が、変な、冗談、言って――」
ぐらぐらと揺れる頭をどうにか鞠亜の方に向けて、ははと、笑う。笑う。笑う。
しかし、鞠亜は……こちらに顔をむけず……なぜか、嗚咽を漏らしていた。
それが、全てだった。
「ハッキリ言います、リョウ。あの男の言う通りです。貴方は……
ニセモノだ」
「…………」
え。
なに?
……《俺》が、崩れてく。
俺は思わず立ち上がり……しかし、足がぐらついて、壁に背を預けたまま、乾いた笑いを漏らした。
「ハハ……な、なに言ってるんだよ、鏡花。俺は……御倉了だ。そうだ。藍璃と恋人の、御倉、了、だ。悪霊を大量に取り込んで、苦労して、マテリアルゴーストになった、御倉了、その人、だ」
「違います」
ぴしゃりと遮る。
「貴方はリョウで、確かに御倉了という名前でもありますが、しかし、少なくとも《藍璃の恋人の御倉了》では、ない」
「…………なに、言ってんだよ。いい加減にしないと、俺も、怒るぜ、おい」
「……はぁ。そろそろハッキリ言いましょう。貴方以外の視点でさえ見ていれば、単純な物語です。貴方だけが、混乱している。……つまり」
水月鏡花は……恐ろしく、冷たい目をしていた。
「右坂藍璃と言う、《弱い少女》がいました。《恋人が大好きな少女》がいました。《神無鞠亜という、異端の霊能力者を親友に持つ少女》がいました。
ある日、彼女の恋人が死にました。しかもあろうことか成仏してしまいました。
でも、彼女は耐えられませんでした。
仕方ないので、
レプリカを作ることにしました。
一体目は……私の推理ですが……どうやら、事実を知って、全てを恨むようになり、ここを去ったようです。そう……昨日会った、御倉了ですね。
そして二体目は……。
割とうまくいきました。それが、貴方です。
出来に満足したので、神無鞠亜は、これに体をつけて、右坂藍璃にプレゼントしました。
めでたし、めでたし。
以上」
「…………」
…………。
……………………。
…………………………………………。
「
霊的ホムンクルス――人工代替幽霊(オルタナティブゴースト)、リョウ、ver2.0。それが、キミ」
…………。
……………………。
「さて、リョウ。もう一度、生存試験、最後の問いを確認しておきます。
《貴方は、生きたいですか、死にたいですか》
……勝手な理由で作られた代替存在。せめて、自分の進退の選択肢ぐらい与えてやりたい……それが、私の真の目的だった」
…………………………。
…………………………。
…………………………。
………………………………………………ああ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
狂った機械のように、単音を、淡々と、喉から、吐き出す。
生きるべきか、死ぬべきか。
そりゃあ……。
ああ……。
確かに。
問題だ。