【1】
「りょー君、早く早くぅー」
「……ああ」
ファンシーグッズショップの前で、藍璃が急かすように手招きしている。俺はしかし駆け足になることもなく、ゆっくりと、彼女に追いつく。
「遅いよぅ、りょー君!」
「……悪いな」
顔を逸らしながら答える。一瞬「むぅ?」と唸ったものの、藍璃は気にした様子もなく、ショップの中へと入っていった。
俺も一つ嘆息して、その後を追う。
……藍璃の前でどういう顔をしていいのか、分からなかった。
今日は藍璃とのデートだ。いつもなら、ワクワクして前日眠れないくらい、幸福なイベント。俺の至福の時。そのはずなのに……藍璃と約束した昨日は、違う意味で、全く眠れなかった。マテリアルゴーストだから、睡眠を欠いても問題は無いのだが。それでも……精神的に、疲れていた。
「りょー君! このキーホルダー、お揃いで買おうか?」
藍璃が、目をキラキラさせてそんなことを訊いてくる。俺は……歪な笑顔で、それに返した。
「ああ、いいんじゃないか」
「そう? じゃ、レジ行ってくるね!」
「あ、金は俺が……」
「いいのいいの!」
俺に元気が無いことでも悟っているのだろうか。藍璃は珍しく俺に気を遣うように、レジに走っていった。
「……いい子だな」
そう、思う。
今でも、そう、思っている。藍璃は、いい子だ。
そのはずだ。
そのはずなのに……。
「…………っ」
気を抜くと、すぐに憎悪が湧いてくる。
藍璃が俺に笑顔を向ける度に、イラつく。
藍璃が楽しそうにしているのを見る度に、どうしようもない気分になる。
藍璃が生きているだけで……世の不公平を呪ってしまう。
「……っく」
藍璃がレジに並んでいる間に、ショップから出て、入り口脇の壁に背中を預け、大きく息を吐く。
落ち着かない。全然落ち着かない。危惧していた以上の事態だった。藍璃の顔をまともに見られないのは分かっていたが……まさかここまで、負の感情が湧いてくるとは。
「……くせに」
俺がホンモノじゃないと知っているくせに。
俺という存在を自分のエゴのためだけに作り出したくせに。
御倉了を愛していたのであって、俺を愛しているわけじゃないくせに。
俺と違って……生きている、くせに。
「……俺は……」
俺は、人間でさえ、ないのに。
俺は、ただの、残りカスなのに。
先日、呆然と聞いた、鞠亜の説明を思い出す。
『最初のリョウは……とにかく実体化だけを目的に作った。御倉了の身体から《心》……つまり、彼のキャラクター性を中心に抜き出して、素となる霊体を形成させたわ。その頃のリョウは、今の貴方に……本当にそっくりだった。爽やかな男だった。藍璃を愛している男だった。
当然、貴方と同じ選択肢をとる。藍璃のために、体を手に入れたいと。私も最初からそのつもりだった。だから……貴方と同じ道を辿った。悪霊を、大量に、取り込んで、霊力を高めて。
そして……その上で。貴方と違って、人為的な干渉を行った。私の研究を、片っ端から、つぎ込んだ。霊体を実体化するための、あらゆる実験を行った。あらゆる方法を試した。
でも……結果、リョウは、壊れた。悪霊を取り込みすぎて、自制が効かなくなり。私の実験によって、自己さえ揺らいだ。
……当然よね。式見蛍の能力と違って、それは、《健全な実体化》じゃなかった。歪みに歪んだ手法だった。
当然、ガタが来た。リョウはある日……この家も鞠亜も捨て、忽然と姿を消した。今考えれば、式見蛍のような人間を探しに行ったのかもしれない。結果として、彼は物質化能力を手に入れて、帰ってきたようだけど』
初代リョウの気持ちが痛いほど分かる。……世の全てが憎い。歪んだ命を生み出したヤツら全てが……そして、のうのうと平和に過ごしているヤツ全てが……憎い。
鞠亜の説明の続きを回想する。
『そして貴方は……二代目のリョウは、前回の失敗を踏まえて、《記憶》を中心に形成した。藍璃との記憶。それがあれば、ちょっとやそっとじゃ揺らがない《心》も手に入れられると考えたのよ』
そう言われた際に、俺は、一つの質問をした。「俺や……初代のリョウは、一体、『何パーセントほどが、ホンモノの御倉了』なのか」と。鞠亜は……顔を伏せ、答えた。
『……2パーセント、ってところかな。あくまで、核の核が御倉了ってだけだから』
ハッ。笑える。
俺はつまり、残りカスなんだ。御倉了の残りカスに、悪霊やらなにやらが歪に結合して成り立っているだけの、どうしようもない劣化コピー。
『……貴方は、歪まないように、あくまでスローペースな悪霊取り込みだけに絞った。その頃には、式見蛍という人間の存在も確認されたしね。実体化に関しては、そっちの線から《健全なカタチ》で行ける可能性があった。結果として、貴方は実体化できたわけだけど。……だから、初代のリョウにはとにかく《自己を成す》能力を付加し続けたけど、貴方には、《他者を支配下に置く》能力を要求した。リョウというキャラクター性が揺らがないために』
つまり俺は、寄生虫だ。リョウという名の、寄生虫。自分自身は弱いくせに、悪霊を支配下におくことだけには長けている。だから、強い霊を取り込んで自分を成し続けている。……今まで悪霊に勝てていたのは、俺の気力なんかじゃなかったわけだ。『そういう能力』だったってだけだ。……なんだ、これは。
アイデンティティーの崩壊、どころの話じゃない。俺は……なんだ。悪霊の固まりが、たまたま、自分を御倉了だと思い込んでいる。それだけの存在じゃないか。
「お待たせー」
藍璃が、小さな紙袋を手にショップから出てくる。
「…………」
……憎い。こいつが、憎い。
なんで俺を作った。なんで、俺みたいなものを作り出した。お前のせいでお前のせいでお前のせいで――
「お揃いだねー♪ えへへ」
「…………っ」
……最悪だ。
2パーセントが邪魔をする。
2パーセントの御倉了が。
2パーセントのクセに。
こいつのことを、全力で、愛しているものだから。
「……もう、許してくれ」
「?」
藍璃が首を傾げる。俺は、泣き笑いのような表情で、誰にともなく呟く。
「もう、許してくれよ……神様」
「? りょー君?」
コイツを憎みきることも出来なくて。
悪霊にもなりきれなくて。
初代のように吹っ切れもしない。
「俺は……なんで、ここにいるんだ……」
「?」
不思議そうにする藍璃の前で。
俺はただただ俯き、そして、水月鏡花の問いかけを思い出し。
呟く。
「……死にたい」
【2】
「鞠亜~! 食器洗い終わりましたわよ~!」
「はい、ご苦労様。遊んでいていいわよ」
昼御飯が終わり、幽子に指示を出して、私は自室に下がる。ベッドにダイブし、ちらりと、自分の部屋を眺めた。
「…………」
霊体をいじくるためだけの、器具の数々。リョウを……弄んだ機材の山。
「…………」
彼を作るまで、私は、自分が間違ったことをしているなんて、一度も思ったことがなかった。神無家から『異端』として追い出された時も、『馬鹿なヤツら。この高尚な研究が分からないなんて』としか思わなかった。
しかし……藍璃のために、リョウを作り。そして、彼が日々歪んでいくのを目の当たりにした時。
私はようやく、自分が神無家から追い出された理由が、分かった気がした。
人が手を出していい領域じゃない。そんなことを、初めて、思った。
ちょっと違うか。人工生命の創造。それは……そう、「人が責任をとれる領域じゃない」のだ。リョウが歪んでいくのを止められなかったあの時……私は、恐怖を感じていた。自分のせいで、一個の命が、歪みに歪んでいく。なにをしても償えない所業だと思った。
しかし……それでも私は、リョウを……二代目を、作った。だって……傍で親友も……藍璃もまた、歪んでいっていたから。死んだ御倉了を生きていると言い張り、了を死んだと言う人間には敵意さえ剥き出しにして。
そんな親友を……見ていられなかった。彼女のために出来ることがあるなら、罪人になるぐらい、仕方ないと思った。
しかし……。
「私はまた……間違ったんだね」
ここ数年、リョウも藍璃も幸せそうだった。私は、ひっかかりを感じながらも、それでいいいと思っていた。私は、成し遂げたのだと。
だけど……。あのリョウを見て、それでも成功だと言えるのか。あんな……あんな苦悩を抱かせておいて、なにが、成功か。
でも、リョウと会えた……あの二代目のリョウと過ごした日々を、楽しかった記憶としていつまでも覚えている自分も居て。そのせいで、彼の誕生が間違いだったなんて言いたくない自分も居て。
「私は……どうしたら、いいのよ……」
今更気付く。
人工生命を作る以前に。
私は、私のことさえ、まともに分かっていなかったのだ。
完璧な人工生命なんて、生み出せるはずはなかった。
*
少し眠ってしまったらしい。気付けば、一時間ほど経過していた。
「……今頃、リョウと藍璃はデート、か」
ベッドから起き上がりつつ、そう呟く。……リョウは、どんな想いでいるのだろう。それを考えると、胸が締め付けられる。
コンコンとノックの音がする。「どうぞ」と答えると、ガチャリと、ドアを押し開いて青年が入室してきた。
「今、大丈夫かい?」
「あら。今日は水月鏡花じゃないのね」
そう答えると彼……式見蛍は、苦笑する。
「完全に回復に専念することにしたから。初代リョウから受けたダメージが……未だに体に残っているみたいなんだ。なんなんだろうね、あの能力は」
「……そう」
式見蛍はそう言いながら、入室してくる。私はベッドに座ったまま、彼に座椅子を薦める。彼は「どうも」とそれに座ると、ふぅと息を吐いた。疲れている様子だ。
「本格的に、駄目みたいね」
「ああ、うん。本調子の……2割ぐらいかな」
「初代リョウには、《自己を成す》という能力を与えていたから……自分を形成したり、物質化能力を使うことにおいて、誰よりも長けているのかもしれないわ」
「そうかもしれない。そう考えれば、遠隔物質化や、この、常に毒が体に回っているような攻撃が出来る理由も説明がつく」
「毒って……貴方、今、そんなに酷いの?」
「気を抜けば死ぬね」
式見蛍はサラリとそんなことを言う。私は呆気にとられていたが、彼は「ああ」と苦笑した。
「大丈夫だよ。こんなのには、慣れているから」
「慣れているって……」
どれだけの修羅場を掻い潜ってきたのだろう、この人物は。
私は呆れながらも……避けては通れない話を、切り出す。
「リョウを……殺すの?」
その質問に、彼は複雑そうに表情を歪める。
「場合によってはね」
「場合って?」
「彼が悪霊として暴走した時とか。それに……彼が、自分で死を選んだ時」
「自殺幇助をするっていうの?」
「……僕としても複雑なんだよ。でも……彼の状況は、あまりに、酷い」
「…………」
「あ、ごめん」
彼をそんな状況に追いやったのが私だと気付いて、式見蛍はペコリと頭を下げる。しかし、本気で謝っているようには見えなかった。分かっていて、言ったのだろう、彼は。私を責めるために。……厳しい人間だ。
……話を変えよう。
「ところで、貴方の今の目的ってなんなの? なぜ、未だに成仏してないの」
「マテリアルゴーストに関する問題を全部片付けないといけないから」
「それだけ? そんな理由だけで、現世に留まれるものなの?」
私が知る霊体は、もっと強い理由を持つ。少なくとも、それがなければ、数年も存在することは難しい。
彼は「うん……」と一瞬押し黙ると、意を決したように話し始めた。
「僕も、数ヶ月でマテリアルゴースト問題はカタをつけて、成仏するつもりだったんだけどね……」
「? まあ、貴方の実力があれば、あまり難しいことじゃないでしょう。アリスも協力しているのだし」
「そのはずだったんだけどね……」
「?」
彼は窓から遠くを眺める。何か、どうも、厄介な問題を抱えているらしい。
彼は私の方を向くと、一拍置いて、訊ねてきた。
「ねえ、鞠亜。こんな時になんだけど、キミ、『零音』っていう幽霊、知らないかな?」
「れおん? なにそれ。そもそも、名前のある幽霊なんて……」
「ああ、まあ、自称だよ。でもアイツはそれが気に入っているみたいだから、出現していれば、話題になっていると思ったんだけど……。そう、聞いたことないか」
「?」
「この件にも噛んでいる可能性は高かったんだけどな……」
「一体何の話――」
そこまで、言った時だった。
《グォォォォォォォォォォオオオン!》
突然の、地を揺らす大爆音。私と式見蛍は咄嗟に立ち上がり、そして、すぐさま部屋を出て音の方向に走り出す。
――と
「な――」
廊下に、粉塵が立ち込めている。庭に面した居間の方からだ。まるで、何かが大爆発でも起こしたかのような惨状。
状況を見て判断したのか、式見蛍が一段階速度を上げる。私も必死でそれを追い、そうして……。
「リエラ!?」
居間――いや、元・居間に辿り着き、そう叫んだ。
完全に崩壊した、居間のあった空間。そこで、リエラが、瓦礫にまみれて倒れていた。
私はすぐさま彼女に駆け寄る。その一方で、式見蛍は違う方向を見ていた。リエラの様子を確認して、息があることを確かめてから、私も彼の見つめる……上空に、視線を向ける。そこには……。
「っ! リョウ!?」
「やぁ、久しぶりだね、マリア」
上空には、リョウ――初代リョウが、浮いていた。赤いレザージャケットの、特徴的な容姿。ここを出て行った頃とは全然違うが……間違いない。あの霊気は、まさしく、リョウだ。
しかし、上空に浮いていたのは、彼だけではなかった。その隣に……明るい髪色の、あどけない顔をした少女が、式見蛍を見つめてニコニコしながら浮いている。式見蛍は、それを、驚くほど憎々しげに見つめていた。
少女が、口を開く。
「はろー、ケイ」
「……零音!」
れおん。どうやら、彼が探していた人物らしい。しかし……なんだろう。あの顔、何かの資料で見たような……。
「やだなぁ、ケイ。恋人との再会だっていうのに、そんな顔しちゃってぇ~」
恋人? そこで、ようやく思い出す。そうか……あれは、「ユウ」だ。資料で見た、世界の意思から派遣された少女。でも彼女は……。
式見蛍が、怒りを顕にした声で叫ぶ。
「その姿をやめろ! ユウを……侮辱するな!」
「だから言ってるじゃんさぁー。私と彼女は、表裏一体。それに……ケイは、元から私のモノなんだから。いいかげん、素直になりなよー」
「ふざけるな! お前がいるから――」
「全てが始まったんだよ。私が、貴方に物質化能力を与えたんだから」
「な――」
私は絶句する。なに……この子。物質化能力を与えた? なにそれ。なにそれ。そんな……私やリョウ、そして藍璃が必死になって追い求めたものを……式見蛍が人生を通して苦しめられてきたものを……与えた? そんな簡単に……。
式見蛍は苦々しい表情のまま、彼女を……零音を睨みつける。詳しいことは分からないが、確かに、彼と彼女の間にはただならぬ因縁があるようだ。成程、成仏出来るわけがない。
しかし……それがなぜ、初代リョウと一緒に行動しているのか。
私が混乱していると、上空から、リョウが語りかけてきた。
「なぁ、マリアぁ。お前、また同じ愚行繰り返したんだってなぁ」
「っ」
「あははは! 救えねぇ! とことん救えねぇなぁ、お前らさぁ! この前は後輩……いや、弟か? あの出来損ないをいじめちまったけど、考えてみれば、あれも被害者だったな。今度会ったら、トモダチになってもらうよ」
「…………」
「そろそろ本題に行こうか」
「……アンタ、何を……」
「思いついたんだけどさ。俺、人類滅ぼすわ」
「――――」
何を言っているんだ、リョウは。あまりに大それて、バカげた発言に、私は呆然とする。……なんだそれ。アニメの中のセリフじゃないか。ふざけているのだろうか。
傍らの式見蛍を見る。彼は……しかし、厳しい顔つきをしていた。なにを……真剣に受け止めているのだろう。いや……。
彼の視線の先には、れおんと呼ばれた少女がいる。……物質化能力を「与える」ことが出来るような存在。そんなものが本当にあるのなら……それが、リョウに協力しているというのなら……ありえないことじゃない……の?
リョウは、ケラケラと嗤う。
「いや、前から思ってはいたんだよ? 中二病っていうの? 人類なんて滅んでしまえーってな。誰にでもあるだろう、そういう気分。んで、最近気付いたんだけど、俺、そろそろその領域に達しているみたいだわ。つまり、『やろうと思えば、出来ないことじゃない』」
「なにを馬鹿な……。そんなこと、出来るはず――」
「ありえないことなんて、世の中、ねえよ。それはお前が一番分かっているだろう、マリア。人工的に幽霊を作り出して実体化させる……なんてこともある世の中だ」
「っ!」
「で、だ。一応、礼儀として、お前らには宣戦布告しにきたわ。いや、この前が奇襲になっちまったからさ。今回は、フェアにいっとこうと思って。って……おわっ!? おいおい、そっちのヤツ、女の体じゃねえのかよ! なんかテンション下がるわー。あ、俺の攻撃のせいか? じゃあしょうがねえな。ケケッ」
「お前……」
式見蛍がリョウに視線を移す。既に臨戦態勢に入っているようだ。しかし、リョウは「おおっと」とそれを止める仕草をした。
「待てよ。この場でやりあっていいのか? 俺、手が滑って、そこのマリアやら、キッチンの方で気失っているちっこいお嬢さんとか、俺に飛び掛ってきたけどアッサリやられたそこのメイドっぽいおねぇさんとか、すぐに巻き込んじまうぜ?」
「…………」
「おお、怖っ。睨むなよ。ちゃんと舞台は用意してあんだ。ほら、世界を賭けた最終決戦ってヤツ? こういうのは、それなりの舞台があっていいだろう。……数年前で言うところの……《繭》みたいなもん?」
「っ!? お前、何を――」
「というわけで、ぱんぱかぱ~ん」
リョウがふざけた様子でそんなことを呟いた途端。大きな地鳴りが一帯を包む。
そして……。
「――――」
ここかれでも見えるほど。
街の中心に。
《塔》が、現れた。
数年前のあの事件と同じように、真っ白な材質で出来た、塔。東京タワー……いや、それ以上の高さか。そんなものが、街の中心に突如として顕現する。
呆然とそれを見守っていると、れおんとかいう少女が、笑いながら式見蛍を見る。
「ねえ、凄いでしょう、ケイ! 懐かしいでしょー。ほら、あそこからまた、私達の関係をやり直しましょうよー」
「……ふざけるな」
「ああん、こわぁい♪」
少女は心底楽しそうにしている。……怖い、と思った。なんだ、コイツは。狂っている……どころの話じゃない。
「あ、心配しないでよね、ケイ。私はほら、ユウと違って優秀だから。あれ、一般人には見えないようにしてたりするんだよ。私とケイの蜜月に余計な手出しされるのも不快だしねー」
少女の言葉に続き、リョウもこちらを見下ろして、不敵に告げる。
「んじゃあ、俺、あのいかにも《ラスダン》な感じの塔の最上階で待っているわ。一日……そうだな、一日、24時間以内に最上階まで辿り着けなかったら、人類終わりね。零音と俺が協力すれば、一瞬だからさ。あ、ちゃんと下から上ってこないと駄目だよ。《そういう構造》だから」
そう告げると、リョウと零音は私達に背を向ける。「待って!」と声をかけるも、それは全くの無駄だった。
「ああ、そうそう。俺の弟にも、伝えておいてよ。一緒に腹いせしないかって。乗ると思うんだよねー、彼なら」
「っ! リョウは……アイツは、そんなヤツじゃ――」
「おうおう、二代目には随分入れ込んでいるんだねぇ。妬けるねぇ。まあいいや。とにかく、そういうわけだから」
そして、隣の零音もニコニコと笑って、こちらに手を振る。
「待ってるねぇー、ケイ」
瞬間、宙に掻き消えるように、彼女らは消えた。
まるで、白昼の悪夢。しかし、何度目を擦っても、塔はそこにしっかりと存在している。
「……な、なんですの?」
どうやら気付いたらしい幽子が、ふらふらとこちらにやってくる。私達は、誰も説明する気にもなれなかった。
しばしの沈黙。その後、式見蛍は、こちらを振り向いて、告げる。
「仕方ない……。行ってくるよ」
「……は?」
「いや、だから。僕が、なんとかしてくる」
彼はそう告げると、塔に向かおうとする。私は、慌ててそれを止めた。
「ちょ、な、何言っているのよ貴方! 勝てるわけないでしょう、こんな状況で!」
「う~ん……まあね。リョウ一人でも全然無理な上、零音がいるとなっちゃ、勝率ゼロパーセント以下かも」
「じゃあ――」
「でも行かなきゃ駄目でしょ、これ。大丈夫。ほら、これでも僕、何度か世界救っているしさ。案外、奇跡とかって起こるもんだし」
「奇跡に頼るの!?」
「それ以外、有効な手段でもあるの?」
「それは……」
反論の術がない。しかし……無駄死にしに行くのも、それはそれで、違うのではないか。そう思うものの……とにかく混乱していて、どうしていいのか分からない。
式見蛍は頭をぽりぽり掻いて、私に言う。
「じゃあ、一つだけ希望。リョウに……二代目のリョウに、ちゃんと、今の状況伝えてよ。それがキミの役目であり、僕の希望」
「……彼を……散々追い詰めた彼を、また、戦場に駆り出せって? 人類のために? 私達のために?」
「そう」
「…………」
「…………」
沈黙。式見蛍は私に背を向けて、告げる。
「もし……この状況をなんとか出来そうな可能性がある者がいるとしたら、彼しかいないよ」
「アイツは……そんなに強くない」
「そうかな。彼は、強いよ。僕よりもずっと。……多分ね」
「曖昧ね」
「なんでも分かる存在なんて、どこにもいない」
そう告げると。
式見蛍は、大きく跳躍し、塔に向かっていってしまった。
「……どう考えても、無理じゃない」
万全の状態でも勝てそうにない相手。それに、2割しか実力を出せない今の状況で挑むというのだ。
「…………そんなことされたら、私も、自分の役割を果たさないわけに、いかないじゃない」
これが目的だったのかもしれない。まったく……。
そうこうしていると、「う……」と、リエラが目を覚ました。
彼女は私を見ると、訊ねてくる。
「今は……どういう、状況だ?」
私は……それに、苦笑して、答えるのだった。
「神無家史上、最も低俗で勝手な人間に、これから成り下がってみようかってところよ」