【1】
ショッピング、映画、食事、カラオケ。
デートらしいデート。
幸福の象徴のようなシーン。
休憩のために入った喫茶店。
今日一日を振り返りはしゃぐ恋人を眺めて。
――いつ死のうかな――
と考える。
決断したつもりはなかった。この世に絶望はしていたし、死にたいとも思っていたが、「自殺の決断」なんて重々しいことをした覚えはなかった。
でも。
ただただ、自然に――
(死ぬんだったら、どういうタイミングがいいだろう)
とか、
(周りに迷惑かけないようにしなくちゃいけないな)
だとか、そんなことをシミュレーションしている自分が居て。
藍璃を眺めながら、コーヒーを口に含み、霊体にもカフェインの効果があるのかと疑問に思いながらも、これからのことを考える。
驚くほど、心は静かだった。
激情に身を任す期間を過ぎたのだろうか。
目の前の恋人を。
暗く、冷ややかに、今は憎悪している。だから――
「今日は楽しかったね!」
と言われて。
「ああ」
と、ニッコリと笑みをもって答えられた。
演技をするのは簡単だった。俺には、演劇の才能があるのかもしれない。
空っぽだから。
俺は、とても、空っぽだから。
だから。
《爽やかな御倉了》に身を任すのは、とても楽で、むしろ、そちらが本質なんじゃないかと勘違いしてしまいそうなほど、自然で。
藍璃と談笑しつつ、暗い気持ちで、外を見やる。
誰も気付いていない、街の異変を、見やる。
(世も末だな)
数時間前、街の中心に、妙な塔が現れた。しかし、藍璃を始め、街を闊歩する人間達は誰一人気付いていなかった。
俺にもアレがなんなのかなんて分からなかったが、ただ、なんとなく、「初代」を名乗ったアイツを思い出したし、「ヤバイものだな」とも感じたので、まあ、そういうことなのだろう。
あれだ。世界の危機ってやつなんじゃないか?
しかし俺は、それが分かっても、普通に藍璃とデートを続けて、今、この喫茶店で、まったりとコーヒーを啜っている。
騒がない理由はいくらでもある。そして、あれを止めたり世界を救ったりする理由は、一切無い。
そういうことだった。
むしろ、あれは俺にとって救いでさえあった。世界を滅ぼしてくれるなら、それもいい。別に人類なんて滅びればいいと思うほど性格が悪いわけではないが、「俺が出張ることじゃねえし、そうなるなら、仕方ない」ぐらいには思っている。
そして、「アイツ」のやりたいこともよく分かる。アイツが俺と同じ境遇だっていうなら……そして、俺と違って、「相応の力」を持っているっていうなら、ああいうことをしても何も不自然じゃない。俺だって、今、目の前に核発射ボタンを用意されたら、押さない自信は無いからな。
俺は今のところ「死にたい」……つまり、「自分がここからいなくなってしまいたい」ってレベルだが、アイツの場合、もっと深い段階にいるのかもしれない。それこそ、俺と同じ真相を知ってから、長い時間を過ごしているのだ。その間の出会いとか人間観察で、より一層この世界に絶望したってことだろう。それも、なんとなく、推し量れる。……アイツと同様に、人間の悪意ばかり……悪霊ばかり取り込んだ経験のある俺には、よく、分かる。
人間なんて、ろくなもんじゃない。
ああ……そうか。
中でもアイツを一番失望させたのは。
――この俺の存在、か。
今なら分かる。
だからアイツは、俺を消そうとした。表面上はふざけていたけど。本当は、「見てられなかった」んだ。
自分が散々苦悩した道を、また、歩んでくるモノがいることが。
自分と同様の存在が、まだ、作られていることが。
だから俺を消そうとして。
だけど、水月鏡花の行動で、一応冷静さを取り戻して。
そして――
でも――
「結論は、アレだったんだな」
塔を見ながら、ぼんやりと呟く。
「何?」
藍璃が首を傾げる。
「いや、なんでもない」
「?」
俺は首を振ると、残りのコーヒーを全て喉に流し込み、大きく息を吐いた。
世界、滅ぶのかな?
だったら、それを待つのもいいか。
失敗するかな?
だったら、俺はとりあえず旅にでも出て、どっかで、ひっそり消えようかな。
なんにせよ、俺には関係ない事件だ、アレは。アイツとちょっと喋りたい気はするが、それだけだ。わざわざ苦労してまでやりたいことでもない。
だから――
「はぁ――はぁ――」
喫茶店の扉を物凄い勢いで押し開き、客や店員が静まり返る中ずんずんと足音を立ててこちらまで競歩し、そして、今、俺と藍璃が向かい合う席を見下ろすマッドサイエンティスト霊能力少女がいようが。
「はぁ……はぁ……見つけた……」
俺には、関係ない。
「ま、鞠亜ちゃん?」
藍璃が彼女の形相を見て思わず反応してしまい、直後、「しまった」という風な表情でこちらを覗った。……ああ、自分と鞠亜が友人関係にあったことを、俺に知られてないと思っているのか。
俺は特に気付かなかったフリをしながら、冷静に鞠亜を見上げ、そして、告げる。
「話あるんだろ? 場所変えようぜ。なんか注目されてるし」
冷め切った態度でそんなことを言う。
分かっていた。
どうせ、あの塔に関する件だろう。
「止められるのは貴方しかいない」
だとか。
「世界を救うために」
だとか。
そんなことを。
そんな……下らない話を。
どうせ、俺に、しに来たんだろう。
俺はテーブルの伝票を取り、席から立ち上がろうと――
「ここでいいわ」
して、鞠亜にグッと肩を押され、強制的に着席させられた。
意味が分からず、鞠亜を見上げる。彼女は……驚くほど、真剣な目をしていた。
「なんでだよ。どうせあの塔のことだろう? こんなところでする話でもな――」
「私は、アンタが好き」
「…………」
「…………」
唐突に。
なんか。
世界終わるって時に。
人生に絶望している時に。
恋人とデートしている時に。
「もっかい言うわ。私はアンタが好き。御倉了でも、初代リョウでもない。私は……アンタが、好き」
告白されました。
【2】
「ドツボにハマったなぁ」
塔の34階まで進んだところで、式見蛍は嘆息していた。
「これは初代リョウの趣味なのか、零音の趣味なのか……。零音の趣味である確率、80パーセントってところかな」
塔の中。一瞬で創造された割に、そこは、一階からして、妙に作りこまれていた。
一階には受付。……と称して、女性の悪霊(マテリアルゴースト)が二匹居て、急にこんなことを言い出す。
「上に行くためのキーは二人の内一人が持っています。さて、つかまえてごらんなさい。おほほほほー」
で、びっくりするほどの高速移動。戦闘力は一切無いのだが、素早さだけは超一流という霊体。式見蛍も普段の実力が出せればそんなに苦労する相手ではなかったのだが、先日の銃弾のせいで力を制限されている式見蛍は、かなり手こずらされた。
二階では、霊体かくれんぼ。か弱すぎて存在さえあやふやな霊体5匹を、フロアの中から見つけ出して消滅させなければ、次の階への階段が現れず。
三階では、今までのゲーム的展開を裏切るように、悪霊だらけのフロア。《中に居る》クラスの悪霊がうじゃうじゃしている部屋の前に、零音のふざけた文字で「悪霊無双」と記されており。式見蛍はここで既に大分気力を削がれ。
苦労して辿り着いた四階では、「ババ抜き勝負」。カードゲームし続けて200年という悪霊に、ババ抜きで勝つまで上には行かせて貰えず。
……そんな、体力も気力も削がれる塔を、とにかく、仕方なく一人でたらたらと上り続け。
そして、34階。
「迷路て」
迷路フロアにて、式見蛍、現在、完全に遭難中。
「たーすーけーてぇー」
左手の法則が失敗して数十分。
誰か来てくれるかなと助けを呼んでみるも、救助隊は来る気配もなく。
「って、おわっ!?」
急に目の前の空間から湧き出て襲ってきた悪霊を、一撃で軽く捌く。
「……なんとこの迷路、余計にうざったいことに、エンカウント有りらしい」
独り言で気を紛らわせる。
経験上、こういう「シリアスな状況でふざけた趣向をこらしてくる敵」っていうのは、相手の苛立ちを誘っているのだということを、式見蛍は充分認識していた。零音が相手となれば、特にだ。
そういう相手に対しては、自分もヘラヘラと危機感の無いフリをしてやり過ごすことにしている彼である。相手のペースにハマるのではなく、相手のペースに合わせる。それが、ここ数年で彼なりに培ったやり方である。
しかしそれにしても……。
「34階だけで一時間はかかってるな……僕……」
流石にちょっと危機感は感じ始めているのであった。まだリミットまでの時間はあるが、この塔が何階まであるのか分からない以上、あんまり時間をとられるわけにもいかない。
「とりあえず、後を上ってくるヤツは楽出来ると思うんだけど……」
この塔は、フロアの課題をクリアする度に「階段が出現」する形式になっている。だから、彼が既にクリアしてきたフロアは、もう階段が出現済みのため、後から来るものはクリアの必要性が無い。
式見蛍が先を急ぎたい理由は、ここにもあった。もし二代目のリョウや神無鞠亜、そして他の知り合い(アリス、深螺等。助けに来てくれなさそうだけど)が来てくれた際に、それらのメンバーまで余計な課題で体力及び霊力を消費させられる必要は無い。
つまり。
「脇役は脇役なりに、頑張らないとね」
分かっていた。
どう考えても、今の自分では、上で待つであろう二人を倒せるわけがない。
完璧な状態であってさえ、零音は勿論、初代リョウにさえ勝てそうにない。そこにつけて、現在は2割の実力を出すのが精一杯。本当に、奇跡に頼るしかない状況だ。
そして、式見蛍は、あまり二代目リョウの参戦に期待していない。
それどころか、相手側についても仕方ないとさえ思っていたし、それを咎める気さえなかった。
変に自分に仲間意識が湧き、その決断を鈍らせるといけないとさえ配慮し、彼には出来るだけドライに接しさえしてきたぐらいだ。深螺のキャラクターを意識してみたが、果たしてうまくいっていただろうか……と、彼は、迷路をうろうろしながら、そんなことを考えていた。
リョウにはリョウの苦悩がある。それは、とても普通じゃない苦悩。その答えを出せるのは、やっぱり、本人しかいない。
式見蛍自身が、周囲に理解されない苦悩を抱えていたように。そして、その答えは、周囲に支えられながらも、最終的には自分で出す以外になかったように。
「さて、彼はどういう答えを出すんだろうね……」
だから別に式見蛍は、死を選んだり、世界を滅ぼしてやろうという決断を否定する気は一切無い。当人にしか分からないものというのは、必ずあるからだ。
しかし、だからこそ、敵に回った時に躊躇わず打ち倒すことも決意していた。
「ちょっと入れ込みすぎちゃったけど……ね」
さて、と式見蛍は仕切り直す。
今頃、神無鞠亜は彼を説得出来ているだろうか。炊きつけたはいいものの、はて、何を言えば彼が考え方を変えるのだろう。彼には実際よく分かっていなかった。
「でも、頑張っているのだけは確実だな。……僕も、それには報いないと」
そう、呟いて。
そして、深呼吸する。
「そこだ」
再び、何も無い空間から出現しかけていた悪霊を――
素早く目の前まで移動し、思いっきり殴り飛ばし、《元の空間へと推し戻す》
すると、《カチリ》という、何かの起動音。
次の瞬間、彼の周囲の全ての壁は消失し、フロアには、階段だけが残った。
「……意地悪問題にも程があるだろう」
この迷路のどこにも、出口や仕掛けが見当たらないのなら。
《何か》があるのは、歪曲空間の向こう側しかないと踏んで、とりあえず敵を押し戻してみたのだが……どうやら、正解だったらしい。
出現した階段を見つめ、式見蛍は「やれやれ」と嘆息し、そして、上り始める。
ふと、階段の中途で後ろを振り返る。
「……とはいえ、正直、僕個人的には来てほしいな……リョウ」
誰も居ない空間で、少しだけ、本音を漏らし。
式見蛍は再び、階段を上り始めた。
その、いつ終わるともしれぬ塔の階段を。