【1】
「私は、アンタが好き」
そんな告白を受けて最初に感じた感情は、純粋に、照れで。
次に、目の前の藍璃を……恋人を見て、「いや、まずいだろう」と考え直し。
しかしそのコンマ一秒後には、「でも今更、藍璃に気を遣う必要なんてあるのか?」と思い直し。
それと同時ぐらいに、「でもなんで鞠亜が?」という純粋な疑問が湧き。
「もっかい言うわ。私はアンタが好き。御倉了でも、初代リョウでもない。私は……アンタが、好き」
そう鞠亜にハッキリ言い直された際に、俺は、ようやく、顔をしかめた。
不快感が湧き始めていた。
鞠亜が嫌いとか、そういう話じゃない。恋人の前でそんなことを言って来ることとか、この周囲から注目された状況でそんな話をしやがることとか、そして……。
「…………」
無言で、鞠亜から視線を逸らし、塔を眺める。
……どうせ。
どうせ、あの事件に関連して、俺を引っ張り出すために、そんなことを言ったのだろうと思い当たったこととか。
急速に浮き足立った心が冷め、そして腹立たしさが湧いてくる。
俺は苛立ちを隠そうともせず、鞠亜をキッと睨み返した。
「どこまで俺を弄べば気が済むんだよ、《製造者さん》」
「っ」
ありったけの憎悪を声に込めて、告白に対する答えを返す。……俺を……自分に、藍璃に都合のいい存在である俺を作り出しておいて。自分で、作っておいて。
その俺に、「好き」だぁ?
「……変わんねぇじゃねかよ」
「え?」
「結局、藍璃とやっていること変わらねぇじゃねえかよ、お前も!」
苛立たしさが頂点に達し、最早、周囲の客のこととかを一切無視して怒鳴りつける。
鞠亜は悲しそうに視線を伏せ、そして、藍璃は、ただただオロオロとしていた。
いい機会なので、藍璃にも告げておくことにする。
「藍璃」
「う、うん? なぁに、りょー君」
「……りょー君じゃない」
「?」
「俺は、『りょー君』なんかじゃないと言っているんだ、藍璃」
「な、なに言ってるのかな、りょー君」
さっきのオロオロとは違う。動揺したように目が泳ぎ始めた藍璃に、俺は……ハッキリと、告げてやる。
「アンタの恋人の御倉了はとっくに死んだって言ってるんだよ」
「……なに、言ってるの、りょー、君」
乾いた笑みを浮かべ、あははと笑う藍璃。……今、ようやく、分かった。壊れてる。この女は、とっくに、壊れていたんだ。
鞠亜は何も言わなかった。ただただ、ことの成り行きを見守っている。……贖罪のつもりだろうか? 誰に許しを請うているんだ。謝って済むなら警察いらないとは、よく言ったもんだ。……世の中、誠心誠意謝ったところで、どうにもならないことなんていくらでもある!
俺は、ただただ、目の前の「恋人もどき」の女と、「身勝手な製造者」に向かって、大きく怒鳴った。
「俺は御倉了の代替であって、間違っても御倉了じゃないと言っているんだ! 俺を……俺をリョウと呼ぶな! それは、《俺》を殺す言葉で……そして、ホンモノの御倉了への冒涜だ!」
『…………』
二人は……「俺に好意を寄せているらしい二人」は、すっかり、押し黙ってしまった。
二人どころか、カフェの客全員が静まり返っている。さすがに状況を見かねたのか、鞠亜は一つ溜息を吐くと、ポケットから何か妙な、ライターぐらいの大きさの機械を取り出し、カチリと起動させた。途端、今まで俺たちの動向を見守っていた客たちが、まるでなにごともなかったかのように、いつもの喧騒に戻っていく。……大方、彼女オリジナルの結界でも張ったのだろう。神無家との付き合いも長い。驚くようなことではなかった。
『…………』
しかし、三人の時間は、戻らない。
「りょー……君」
藍璃が、何かにすがるように、俺を涙目で見つめてきた。……やめろ。そんな目で俺を……《了でも誰でもない俺》を見るな。
「俺は、了じゃない」
「りょ――」
「了じゃないって言ってるだろ! お前は……お前はいつまでそんな!」
テーブルを強く叩いたところで、鞠亜が俺の肩を抑えて制する。しかし、俺は止まらなかった。
「どうして分からない! お前達のやっていることは俺や、あの初代どころか、オリジナルの御倉了のことだって激しく冒涜しているんだぞ! お前はっ! 藍璃! お前は、恋人想いなんじゃない! 了のことなんか何一つ考えてない! 俺のことも、初代のことだって、なに一つ!」
「そんなこと……」
「ないって言うのかっ! 言うのかよ!」
「りょー君は……生きてるじゃない。ほら、私の目の前に……」
まるで死人のように虚ろな手つきで、俺の頬に触れようとする藍璃。俺は……やりきれなくて、その手を弾いた。
そして……心の中で彼女と決別し、言い放つ。
「アンタ、最低だな」
「っ!?」
「これじゃあ……本物だって可哀想だ。自分のことを忘れて……自分にそっくりの作り物に、恋人が入れ込んで……」
「りょー……君……」
「黙れよ。俺はもう……御倉了でもなければ、アンタの恋人でもないよ、藍璃『さん』」
「…………」
「そして……」
藍璃から視線を逸らし、今度は、鞠亜を見つめる。
「お前の恋人になる気もない」
「……そう」
「ああ。そういうのは、『人間相手』にやってくれ」
「…………」
鞠亜は、悟ったように目を閉じる。数秒間、ただジッと、目を閉じる。
諦めたのだろう。
俺は、もうこれ以上こいつらに付き合わされる必要は一切無いと判じ、席から立ち上がろうと――
して、また、鞠亜にぐいっと止められた。
「おい――」
「私は、アンタが好き」
「いや、だから――」
「けど、付き合えとは一言も言ってない」
「ああ、じゃ、振って悪かった。じゃあな――」
「待て」
「おい」
席から立てない。
……意味が分からん。何がしたいんだ、この女は。一緒に生活していた時からワガママなヤツだったが、ここまで空気の読めないヤツだとは思わなかった。
俺は嘆息して、訊ねる。
「お前、何しに来たんだ?」
すると、鞠亜は少し考え……そして、自身の中で何かの答えを見つけたのか、今度は微笑んで俺を見る。
「私は、アンタが好き」
「お前は告白ロボットか。好き好き言ってれば相手が心を開くなんていうのは、少女漫画の中だけだぞ、おい」
「何度でも言う。私は、アンタが好き。何者でもない、アンタが好きだ。リョウじゃない。『アンタ』が好きだと、言っている」
「だから、それが何……」
「その時点で、お前は、お前だ」
「…………」
ぴたりと止まる。藍璃も、泣き腫らした目で鞠亜を見つめていた。
彼女は、今まで見せたこともないような笑みを湛えたまま、言い続ける。
「御倉了じゃない、初代リョウでもない、私は、アンタに、恋をした」
「…………」
「御倉了は、凄く爽やかな男だった。藍璃にお似合いのさ。そして……いつ死んでも悔いのない生き方をしている男だった。どんな死に方をしても、なるほど、それをちゃんと受け容れられる、器のでかい男だった」
「…………」
「初代リョウは、とにかく身勝手な男だった。藍璃と自分のこと以外、どうでもいいと思っているヤツだった。だけど、だからこそ、自分の大切なものは、何がなんでも守り通す男だった。……結局、今は、自分以外を大事だとは思えないヤツになっちゃったけど」
「…………」
「そしてアンタは……リョウじゃない……御倉了じゃない、『今はまだ名前の無い』アンタは、楽しい男だった」
「なんだよ……楽しいって」
自嘲気味に笑う。しかし、鞠亜は続けた。
「一緒に居て、とにかく、楽しいヤツだった。一緒に生活出来るのが幸福だった。悪霊退治をする日常が、あんなに愛おしくなるとは思わなかった。アンタと一緒なら……私は、何をしていても楽しかった」
「……だから、なんだよ」
「分からない? 私は、アンタだから、好きなんだ。例え生まれがどうであっても。御倉了によく似ていても、私は、御倉了でも、初代リョウでもなくて、アンタのことを好きになったんだ」
「…………」
「アンタは、アンタだ。そうじゃなかったら、私は、御倉了のことも、初代リョウのことも好きになっている」
「……っ。……綺麗ごとだな。事実、藍璃は、逆じゃないか。御倉了を好きになり……その残りカスの俺を、恋人だと言い張る。コイツの中じゃ……俺は、御倉了なんだ。俺は、俺じゃない。俺に、アイデンティティーなんて無い。そもそもお前がそう作ったんじゃないか」
「そうよ。私は、御倉了に似せてアンタを作った。でも……それが何?」
「なんだって?」
「アンタは今こうして、御倉了にはなかった悩みを抱き、御倉了にはなかった怒りを抱き、御倉了にはなかった人生を体験している。生まれは確かに、御倉了からよ。だけど……その後の人生は……私と過ごしたあの時間まで、《代替のきくニセモノだった》なんて言わせない。だって……」
「…………」
「私の中に宿ったこの気持ちは、紛れも無い本物だもの。たとえアンタに《自分》がなくても。私の中に、《アンタだから》がある。私の中に、アンタの、確固たる、存在意義がある」
「――――」
安い言葉だ。
そう、思っているはずなのに。
いつの間にか、頬を、涙が伝っていた。
俺……だから?
たった今、御倉了のニセモノの役割さえ放棄した俺に。
まだ……役割が……存在意義が、あるって?
涙を拭い、笑う。
「ハハ……なんだそれ。なんて……勝手な理論だよ。自分で作っておいて……」
「そうね。私は、最低」
それは認めるらしい。鞠亜は、悲しそうに目を伏せる。
しかし……それを、否定する声があった。
「違う!」
「……藍璃?」
鞠亜がキョトンとする。俺の目の前では……藍璃が、俺の目をジッと見ていた。
「違うよ……りょ……ううん。りょー君じゃない、誰かさん」
「藍璃……お前……」
「最低なのは……鞠亜じゃないよ。分かってる。私なんだ。弱くて弱くて弱くて弱くて……その弱さに周囲まで巻き込んだ、私が、一番最低なんだよ」
「…………」
否定してやることは出来なかった。俺は……やっぱり、この女を憎んでいるから。
だけど……。
「でもっ! お願いだから、鞠亜を責めるのはやめて! 貴方が私の被害者だと言うなら、鞠亜だって、被害者なんだよ! こんな……こんな脆い友人を持ってしまった、被害者なの!」
「…………」
「だから……だから……。私のことは、いくらでもなじっていいから……だから……。鞠亜の言葉だけは……ちゃんと、聞いてあげて……。私と違って、ちゃんと貴方を見ている彼女の言葉ぐらい……聞いて……あげて」
藍璃は、ぽろぽろと涙を流す。
……分かっていた。この子が悪い子じゃないことなんて、とっくに、知っていた。
ただただ、弱い子なだけで。
弱いことは……時に、人を傷つけるけど。
でも、悪意をもって傷つけたのとは、全然違う。全然……違う。
そんなことは、とっくに、分かっていて。
鞠亜がそっと、藍璃の隣に座り、肩を抱いている。
恋人を失った悲しみを乗り越えられなかった女。
親友が悲しむのを見ていられなかった女。
……どこに、悪人がいる?
そんなことは分かっていた。
圧倒的に悪いヤツがいて、そいつが悲劇の要因だったりするわけじゃないって。
でも。
だったら。
俺は、このやりきれなさを、どうすればよかったんだよ。
誰にぶつけても仕方ない怒りは。
いったい。
どこに、持って行けばいいんだよ。
「分かんねぇよ……もう……分かんねぇよ……俺……」
元恋人が泣く目の前で、俺も、頭を抱えて涙を流す。
「…………」
鞠亜が、俺に何か声をかけようとして、ふと、俺に「名前」が無いことに気がついたように、手をひっこめた。
「俺は……」
自分の手のひらを見る。
俺は今、ここにいる。だけど……そもそも「俺」って、誰だ?
御倉了? 違う。
御倉了の代替? それも否定した。
じゃあ……。
俺は……誰だ? こんなわけの分からない苦悩を感じている俺は……なんだ?
「アンタはアンタよ」
「っ」
ハッと顔をあげる。そこには、鞠亜が微笑んでいてくれた。
「名前はないかもしれない。だけど……今こうして涙を流していて、そして、私が好きになったアンタは、アンタとして、今、ここに、ちゃんと居るの」
「俺は……人間じゃ、ない」
「だからなに? 世の中、色んな生き物がいるわ。人間なんて、それの一種に過ぎない。死んだ人間の記憶から生まれた生物がいたって、いいじゃない」
「俺は……生きてさえ、いない」
「生きてるってなに? 心臓が動いているっていうこと? 違うわ。アンタが今ここで考えていて、そして、私はアンタをアンタと認識し、好意を抱いている。これ以上の《生きている》証明が必要?」
「俺は……俺は……リョウじゃ、ない。ニセモノでさえ……ない」
「そう」
そこで一区切りし……鞠亜は、もう一度、ハッキリ告げる。
「アンタは、アンタ。ただ……生まれたばかりで名前がないだけ。そんなことを悩む必要なんて、一切無い。この世に生まれてくるものは、皆、最初、名など無い。それでも皆、生きている」
「俺は……赤ん坊……」
「そう。ただちょっと出生届の提出が遅れただけの、赤ん坊。父親は御倉了。母親は右坂藍璃。助産婦が私。ただ、それだけのこと」
「…………」
ぽろぽろと、涙が、こぼれ落ちる。
「う……うぅ……うぅぅぅぅ」
まるで産声のように。涙を流しながら、喉の奥から声が漏れる。
「うぁ……ああ、あああああああ」
「…………」
俺は……俺で、いいのか?
名前がなくても。
了じゃなくても。
リョウじゃなくても。
俺は……。
「あの……」
泣きじゃくる俺に……涙を拭いた藍璃が、声をかけてくる。
そして……彼女は、ニコッと、笑った。
「……は、初めまして。私とりょー君の……あ、赤ちゃん」
「っ」
赤ちゃんという響きに照れたように、藍璃は真っ赤になる。
俺は……とめどなく溢れてくる涙をそのままに、藍璃に、返した。
「藍璃……さん」
無理矢理、心の整理をつけて。
「えと……な、なんですか?」
「名前を……」
俺は……俺だと、言うのなら。
俺は……リョウじゃなくて、生まれたばかりの、赤子だと言うのならば。
「名前を……つけて、下さい」
「わ、私で……いいの?」
藍璃は……いや、「母さん」は、おどおどと弱気な目で俺を見る。
俺は……ただただ、「ああ」とだけ、返した。
藍璃は回想するように目を瞑り……そして、告げる。
「空……」
「そら?」
「うん。昔ね……りょー君と……冗談の範疇だったけど、子供が出来たらどんな名前がいいかなって話をしたことがあって。その時……りょー君は、『空』がいいって言っていたの。自分が『了』なんて、ちょっと閉塞した名前だから。子供は、意味もなく解放感のある名前にしてやりたいなーって」
「空……か」
俺は、その言葉を、噛み締める。
ああ……それは、なんて、俺にぴったりの言葉なのだろう。空っぽの空。空っぽ。でもそれは空虚だというだけじゃない……それは……これから、なんでも入れられるということ。
持たざる者だから。
自分らしさなんて、まだまだ、全然ないから。
でも。
だからこそ。
なんにでもなれる。
不安そうに俺を見守る藍璃と、そして鞠亜に……。
俺は……。
俺は、涙をぐっと拭い、そうして、笑顔を見せた。
「うん。……俺は今日から、空だ。御倉……いや、『神無 空』だ」
「ちょっと、なんでうちの姓を勝手に名乗っているのよ」
鞠亜が、苦笑して、そんなことを言う。
俺は、「当然だろ」と返した。
「俺の実家は、お前の家……神無家なんだから。俺は、神無家の、子だ」
「そんな理由で、名門の一族に入り込もうなんて……」
「あと、神無って、姓としてカッコイイし」
「どんな理由よ」
「駄目か?」
「大歓迎に決まってるでしょ、バカ」
鞠亜が、ニッコリと笑う。
藍璃も、隣で「あはは……」と、なぜかまた目尻に涙を浮かべながら、笑っていた。
「さて……と」
「?」
俺が立ち上がると、鞠亜が首を傾げる。俺は一つ嘆息して、くいくいと外を指した。
照れをごまかすように、頭を掻きながら告げる。
「こうなると、今度は、世界を滅ばされるのは困る立場になったからな。生まれた瞬間に生活の舞台消されちゃ、かなわん」
「リョウ……」
「じゃなくて、空な」
「あ、ゴメン」
「いいけど。俺も馴染んでないし、まだ。……そんなわけで、すんごくダルいけど、すんごーくイヤだけど、参戦するよ。神無姓を名乗る以上、ああいう事態には対処する義務があるだろうしな」
「……そうね」
鞠亜はふっと微笑むと、立ち上がった。そして、「行きましょう」と告げる。
俺と鞠亜は頷きあうと、藍璃に「避難してもしゃあないから、家でテレビでも見てな」とだけ告げ、喫茶店を出ようと……。
「待って!」
「?」
袖をぐいっと掴まれる。鞠亜も何事かと立ち止まり、こちらを見ている。
「どうした?」
藍璃に訊ねると、彼女は、少しだけ頬を赤くして告げる。
「ええと……そ、空がりょー君じゃないっていうのはいいんだけど」
「うん」
「位置づけ的には……私の子供、みたいな感じなんだよね?」
「まあ、御倉了の記憶と、藍璃……さんの願いから生まれているわけだから、なんとなくそんな感じではあるね」
随分ちっこくて若い母さんだ。
その母親は、もじもじとしながら、俺に告げる。
「えとえと……あの、じゃあ、すんごーく愛していた夫に先立たれた母親が、子供に入れ込むのは、すんごーく自然なことだよねぇ?」
「え、ええと……」
「だよね?」
「は、はい……多分」
なんか妙な迫力だったため、頷いてしまう。すると、途端に、藍璃は顔をパッと輝かせた。
「じゃあ、空君は帰って来たら、私と同棲しようね!」
「……はい?」
思考が停止した。背後では、鞠亜も、びくっと反応した気配がする。
藍璃は勝手に続けている。
「うんうん! りょー君のことはとってーも愛しているけど、死んでしまった夫の分まで、忘れ形見を愛するのは、全然浮気とかじゃないもんね!」
「う……う~んと」
なんか分からんが、藍璃の話しが進むたびに、鞠亜の居る方向から殺気が大きくなりつつあるのを感じる。なんか……まずい?
「じゃあじゃあ、空君は、これから私と愛のある生活をね――」
「あーら、藍璃さん、それは違うんじゃありませんくて?」
唐突に、鞠亜が、変な口調で割って入ってくる。……怖い。なんか、顔が見られない。めっちゃ怖い。
藍璃が、むくれた表情をする。
「何が? 母親と子供がらぶらぶ~な生活をするのは、おかしくないよ?」
「世の中の息子というものは、これだけ大きくなってまで、母親と一緒だったりはしなと思うわよ?」
「違うよ、鞠亜ちゃん。空君は、生まれたばかりなんだよ。赤ん坊だよ、赤ん坊。だから、まだほら、べったべったしている時期だよ、うん」
「そ……空は、神無姓よ。もう、うちの子も同然なの。母親離れの時期っていうか……うん、婿入り?」
違う。そういう意味で言ったんじゃあ……。
「うちの子は、まだまだお嫁にはいかせません!」
いや、藍璃。その反応もなんか違う……。
「恋人離れしたなら、子供離れもしなさい! 藍璃! そういう弱い心は、いけないことだって知ったでしょ!」
「違うもん! 子供を溺愛するのは、むしろ、母親の強さだもん!」
「貴女は、なんか、子供と母親の一線を越えそうな雰囲気出してるじゃない!」
「こ、子供と母親の関係の定義は、それぞれ違うもん!」
「ほら、空と何かする気満々じゃない!」
「ち、違うよ! 私は、りょー君一筋だもん! その延長上の、子供溺愛だもん!」
「いいえ、そんな母親との同棲は認められないわ! 神無姓を名乗っている以上、今後はうちで私と生活を――」
「ど、どこの馬の骨とも知れない女と、息子を同棲なんてさせられません!」
「馬の骨って! 親友じゃない、私達!」
「それとこれとは話が別! 霊能力一家なんて胡散臭い家に、うちの子は嫁がせないわー!」
「あ、あの~」
『幼児は黙ってなさい!』
「……あ、はい」
……なんか修羅場だった。いつの間にか結界も解けていたらしく、また、周囲からすんごい見られているし。
「……早くしないと、世界、滅んじゃうんじゃ……」
言ってみるも、二人はなんか『俺の所有権』をめぐって言い争いの最中で、全く聞く耳を持ってくれない。
…………。
…………。
「ごめんな、鏡花さん。ちょっと、参戦遅れそうだよ……どうでもいい理由で」
『どうでもよくない!』
「こういうのだけは聞いているんだな……」
俺は深く溜息をつき。
しかし……。
目の前で『空の今後』を話し合ってくれている二人を見て、ああ、俺は……俺でいいんだなと、不謹慎ながら、少しだけ幸福な気分に浸るのだった。
*
「ろ……67階」
式見蛍は満身創痍で、よろよろと67階への階段を上っていた。
そして、ぽつりと呟く。
「まだかな……味方」
ぶるぶると頭を振る式見蛍。
「い、いや、皆、それぞれ、凄く頑張っているはずだ! 鞠亜さんも、今頃、世界の危機であるこの事態を考えて、二代目の説得に必死なんだろう! 二代目君も、今、苦悩の狭間で自分との戦いを繰り広げて……っ!」
式見蛍は、『自分以外の、外で頑張る人々』を連想して、気力を奮い立たせる!
「そう……皆が頑張っている限り、僕は負けない! 負けるわけにはいかないんだ!」
そうして、彼は、なけなしの体力を振り絞り、階段を上るのであった。
頂上と……そして、増援の到着は、まだ、ちょっと先の話である。