「生徒会の一存」は基本的にギャグ作品ですが。
これに限らず、何かの作中でギャグをやる時、自分では激しく面白いと思っているのですが、元々「他人に伝わる自信」はあまりなかったりしました。
というのも。
私が小学校から中学校に上がった時。自分の出身小学校以外からも大量の学生が集まっていて、それらはどちらかというと、自分の住んでいた場所より「街」方面の子供たちだったのですが。
彼らの中での「面白い言葉・会話」と、自分達の中の「面白い言葉・会話」に大きな相違があることにカルチャーショックを受けまして。
街の子たちがゲラゲラ笑う会話でも、「え、今の、何が面白かったんだろう?」と、ぽかーんとすることもしばしば。
ああ、これは子供時代における「下ネタ」とかへの「ぽかーん」と同種かも。
それは中学から高校の時も少なからずありましたし。また、自分の住んでいた地域が本当に田舎の、小さなコミュニティだったので、余計に不安になったのでしょうね。どちらが正解かと言えば、多数派である「都会(私からすれば)派」が正解なんだろうなーと思ったりしていたので。
そんなわけで、私は常々、「人の笑いのツボは千差万別」だと思ってきました。前も言いましたが、担任教師のモノマネが伝わるのは、その担任に接したことがある人間のみであるということです。
つまり、笑いを共有しようと思ったら、ある程度知識や経験も共有しないといけないようで。
「あるあるネタ」なんて、まさにその極みですけど。
なので、小説内でギャグやる時も、「ううん、私が『面白い』と思っていること、伝わるのかなぁ」と常に不安はありました。
しかし、「生徒会の一存」に関しては、「笑った」という感想が多かったため、なんだか凄く安心。あ、勿論、笑えなかった方もいらっしゃるとは思うのですけどね。それでも、多くの人と笑いの感覚を共有できたことは、素直に喜ばしいです。
ただ、今回はインドア知識方面での「共有」だったので、やっぱり一般ウケする笑いではないんだろうなぁ。
そういう意味では、お笑い芸人さんは本当に凄いと思います。特に、新規のジャンルを開拓する人は。
そのうち、北海道人だけ笑えるネタとかやりたいところですが、商業である以上、変に局所すぎても駄目なところが、難しいところ。
でも、うん、良かった。意外と笑いのツボが似ている人が多く居てくれて。
あの作品の性質上、笑いをハズしてしまったら、ほぼ何も残らないですもんね……(笑)。思えば、怖い賭けをしたもんだ。
ちなみに、よくこのブログにも「弟」が出てきますが、ある意味一緒に育ってきたことで彼とは「笑いのツボ」がどんぴしゃのため、妙な会話が成立するのかも。いっつも、変なネタで笑い合ったあと、「今の会話盗聴されても、盗聴主は全く意味分からないよね」というようなことを言うぐらいで。
……そのうち、作中でも「それは誰もわからねーよ」というネタを無意識に入れてしまいそうで、なかなか怖いです。
よく考えないとなぁ。