マテゴと生徒会両方読んで下さっている方には分かりやすいと思いますが、生徒会はマテゴからガラっと性質を変えてあります。
物語自体のテーマしかり、主人公の性格しかり、環境設定しかり。
そんななかでも、大きく作品印象に関わっている要素として、テンポというものがあると思います。
特に、物語的テンポというよりは、文章的テンポというか。
生徒会の場合、一話単位という意味でのテンポは限りなく早くしてはいますが、シリーズとしてのテンポはそうでもないです。そのため、マテゴと比べてトントンになりそうですが、文章的部分で圧倒的に生徒会は切り詰めてあり。あからさまですが。
空間の限定により、状況描写まで省略してますからね。
ただ、どちらがいいという話でもないです。語りたいことによるというか。マテゴにおいては、式見蛍の内面が重要なファクターでしたしね。
生徒会は「コメディ」を突き詰めているため、心の機微より、交流(会話)をとり。そして、本当に交流に特化するなら、無駄に出歩きすぎる必要もなかったという話です。
文章的にも、改行や区切りを意識的に設けています。内容が薄くなるという危惧もありますが、言葉多く語ることが表現の全てじゃないですしね。……ん、なんか、作家っぽいこと言ってます。偉そうです。
んで、この辺のことって、割とブログでの企画で学んだとこ多いです。
キャラブログとかって、「さくっと楽しませることの出来る文章」「小説ほど堅苦しくならないエンタメ」という意識でやってましたから。読者サービスなのに、読者にしんどい読み物を提供するのも変だったので。
ええと、マテゴというボリュームある料理を提供し、満腹の人に、もう一皿重たい料理を提供しても、それはサービスじゃない気がしますからね。
というわけで、飲み物的な台本形式等を書いているうちに、こういうエンタテイメントに必ずしも状況説明は必要じゃないんだなと学び。
流石に「地の文なし」ほど割り切りはしませんでしたが、そのことを踏まえて、生徒会は書かれています。
うむ、ブログ活動、無駄じゃなかった!……多分。
あと、まあ自分が不精な性格になってきてしまっただけなのですが、本を読む際に、漢字と長文だらけのはやっぱり読む気が減退することあるなと。勿論、それに魅力があるケースも多いですし、ぎっしりを好む人も多いと思うのですが。
折角ライトノベルである以上、ライトさをとことん追求してもいいんじゃないかなー、と。
そんなわけで、たまには作家ブログっぽい話でした。
「読みやすさ」って、思っているより重要かもしれないよ、という話。