【1】
真っ暗闇の中。
御倉了という人間について考える。
残念ながら、俺の中にある彼の記憶、経験は、恐らくパーフェクトなものじゃない。ある程度、鞠亜や藍璃さんに補足され、自分でも勝手に空想で補って、作り出されたものだろう。
それでも、彼の友人程度には、彼を正しく認識もしているはずだ。
だから、それを信じて、彼を想う。
そもそも彼は、性格に反して、体が弱かった。病気を抱えていて、割合、子供の頃から「死」を身近に感じていた……ように、思う。
でも、あまりに最初から身近にあったせいだろうか。彼は、そのことについて然程悩んではいなかったどころか、それはそれとして、じゃあいつ死んでも悔いがないように生きようと、そう考えて生きている人間だった。
前向きで、いいヤツだったんだと思う。自分のことを褒めているみたいで、若干気は引けるが、それでも、素直にそう思える。藍璃さんがあんなに愛しているのが、いい証拠だ。
なのに、どうして。
そいつから生まれたはずの俺や初代は、こんなに、歪んだのだろう。
過酷な病気を、明るく受け容れて、前向きに生きた御倉了。
そのはずだったのに。
その割には、俺や初代の心は、ちょっとした過酷で、あっさり、折れた。
個性が無いとか、作られた命だとか……そういう……今なら、瑣末と思える問題で。
俺達は簡単に、自暴自棄になって。
俺達と御倉了……何が、違ったんだろう。
立ち直った俺と、最後まで打ちのめされていた初代。何が、違ったんだろう。
仲間、とか。友人とか。絆とか。多分、結局はそういうことに収束されるのだろうけど。
それだって……殆ど、運みたいなもんだ。俺や御倉了は、多分、運が良かった。いい人たちが、周囲にいてくれた。そういう環境に最初から身を置けるっていうのは、なんだかんだ言って、結局のところ、運だったんだと思う。世の中……やっぱり、どうしても、理不尽だから。
……駄目だ。
初代の考え方を覆せる言葉が、俺の……神無空の中にも、御倉了の中にも、そして……式見蛍の中にも見つからない。
俺や、御倉了、式見蛍は、仲間に恵まれていた。
本当に……恵まれていた。恵まれ、すぎていた。俺たちには勿体無いぐらい、素敵なヤツらが、皆、傍にいて。だから俺達は、過酷に耐えたり、乗り越えたりしてこれて。
だけど……そんなヤツらの、正義ぶった言葉が、どうして、初代の心に届くだろう。
俺は弱い。式見蛍のように、力づくで、タナトスとかいうヤツの根性を叩きなおしたような、ああいうことは、出来そうに無い。
それに、俺は……今はもう、とても、初代に拳を、武器を、向けられない。戦えない。あいつに対して……戦意が、湧かない。
守らなきゃって、思う。世界を、大切な人を。だけど……俺の「大切な人」の中には……。
もう、初代も、入ってしまった。
……闇が、深まる。
確か……撃たれたんだっけな、俺。真っ暗だ。何も見えない。意識が、混濁する。
空っぽ。空っぽの空。
誇れる信念も、説得力ある言葉も、何も持たない。
借り物の戦闘力も、初代には、及ばない。
……もう、俺の役目は、終わったのかもしれない。
…………………………。
…………………………。
《――……俺は、出来損ないの、代替物にさえなれない、欠陥品かよ……――》
?
なんだ、この、記憶……。式見蛍のじゃない……。御倉了のでもない……。
なんだ……これ
《――……「ねえ、リョウ君。私と一緒に、ちょっと遊ばない?」……――》
零……音? なんだこれ……俺は、アイツにこんな誘いをされたことなんて、一度も……。
……!
……そうか。そういうことか。
霞む意識の中、胸に、手を伸ばす。
……胸に、穴。
銃弾を、まともに喰らった……穴。
だけど。
打ち抜かれたと思っていたけど。
ある。
銃弾が……《初代の放った銃弾》が、《空っぽの空の中》に、ある。
…………。
なら、まだ。
寝るには、少し、早いかもしれない。
【2】――初代――
ぴくりとも動かない二代目……考えようによっては俺の弟たる、今は神無空とか名乗っているニセモノを見下して、俺は、はぁはぁと息を切らせていた。
疲れては、いない。確かに一瞬押されてはいたが……しかし、強い相手ではなかった。残念なことに、どうしようもなく、このニセモノは……弱かった。弱くて、弱くて、憐れなほどに、弱くて。
息を切らせるような要因は、殆どないはずだ。
なのに。
「はぁ……はぁ……」
俺は、心臓なんて無いはずの胸を押さえて、その場に立ち尽くしていた。
頬を、何か、液体が伝っている。それが涙だと分かるまで、数秒かかった。
「くそっ……なんだよ……ちくしょう」
言いようの無い虚無感に襲われる。
色んな……鞠亜やら、俺の知っているヤツ、知らないヤツ、色んなヤツになった、神無空。
そいつの胸を撃ちぬいた瞬間……なぜだか俺は、「世界を滅ぼす」っていうのは、こういうことかと、感じた。笑顔を見せたヤツ、優しいヤツ、元気なヤツ、勇猛なヤツ。色んなヤツを……一まとめに、消し去った。
……沢山の悪霊を狩ってきた。
存在していて、意味のないヤツらなら、沢山……沢山、狩ってきた。
こいつだって……目の前で倒れているこの、いちいち癪に障るニセモノだって、その一人だったハズだ。
なのに。
なんで。
「くそ……くそっ! いてぇ……!」
こんなに、胸が痛い。
良心? ハッ、反吐が出る。そんなものは、余裕があるヤツだけが持っていていいものだ。他人に情なんて抱けるほど、俺は、余裕なんか無い。
誰かを気づかえるような状況じゃ、ない。なんせ、もう死にかけだ。ちょっと前だったら、おちゃらけて、悪ぶって、悪役やサイコ気取りも出来た。だけど……そんなことさえ、今はもう、出来ない。それほどに、もう、余裕なんか無い。消滅を前にして、俺は、もう、俺でしかいられない。
剥き身の俺。名前の無い、俺。御倉了のなりそこない。そんな俺に……敵を殺して傷む良心など、あるはずがない。
なのに。
「なんだよ……ちくしょう!」
動けない。
藍璃のところに行って、式見蛍を殺して、そして、塔の本当の機能を起動させ、世界の滅亡を見て、満足して、消える。
それが、俺にとっての、ベストエンド。
ああ、ハッピーなんかじゃあないわな。それぐらい、俺にだって理解出来る。そういう感性までは、歪んでいない。歪んでいないからこそ……俺は、皆を、道連れにしたいんだ。狂ってないからこそ、こんなに苦しいからこそ、俺は、世界を、滅ぼしたいんだ。のうのうと生きているヤツらに、一緒に絶望を味わってほしいんだ。
なにがいけない。
力ある者が、願いを叶えるために力を振るって、何がいけない。
「くそ……早くしねえと……!」
俺の体は、もう、長く持たない。こんな……ニセモノと一緒に倒れるのなんて、まっぴらごめん――
「よお。随分焦ってんじゃねーか、俺」
「!?」
唐突な声に、ハッと視線を上げる。今まで、ニセモノが……神無空が倒れていたはずの場所。
そこに。
今は。
俺が、立っていた。
血のように紅い真紅のレザージャケットとレザーパンツ。手に持った、俺の、二丁剣銃。そして、自分でも嫌いな……歪んだ、微笑。
鏡写しのように、そこには、俺が――
「……ハッ。なんの小細工だよ……ニセモノッ!」
俺は、すぐに状況を察し、目の前の存在に対して、銃を構える。……胸糞悪ぃ。
《俺》は……神無空は、ケラケラと、俺みたいに笑った、
「流石にすぐ気付いたな、俺。そうだ。俺は、神無空だ」
「悪趣味なモノマネ、ここに極まれリだな、てめぇ」
ザッと相手を観察する。……よく見れば、その自信満々な立ち居振る舞いとは相反して、霊気は弱々しかった。……死にかけだ。もう、立っているだけで、精一杯のハズだ。
しかし、それでもニセモノは、俺に笑いかける。
「確かに俺は神無空ではあるが……同時に、やはり、お前でもあるよ、オリジナル」
「なに言ってんだ、てめぇ」
「俺は、お前の放った銃弾に込められた霊気……飾らない、お前の本心そのものの顕現だからな」
「っ! なにが……本心だ。くだらねぇ。さっさと死――」
「演じるのもいい加減にしようや、《俺》」
「っぅ!」
ぶるぶると、腕が震える。……なんだよ、おい。なに動揺してんだよ、俺。
撃て! あのヤロウを、黙らせてやる!
「人類滅ぼすのがベストエンドだぁ? 嘘つけ。お前、そんなこと全然思ってねーだろ、本当は」
「黙れ! 俺の本心だって言うなら、俺の邪魔をするなぁああ!」
「なに言ってんだ。本心だから、邪魔してやってんだろうが、この『空っぽ野郎』」
「!? な、なに言ってんだ、てめぇ……。空っぽなのは、お前の方だろうが……」
なんだ。足が、がくがくと震えている。
照準が、きちんと、つけられない。
引鉄を引く指に、力が、入らない。
目の前に居る《俺》は……ニィッと、我ながら邪悪に、俺に微笑みかける。
「本当は空っぽのクセに。空っぽで、空っぽで、空っぽで、空っぽすぎて。そもそも、願いなんて、ありゃしねークセに」
「黙れぇええええええええええええええええええ!」
無理矢理引鉄を引く!
しかし、銃弾は空の髪を数本散らしただけだった。……照準が、定まらないどころじゃない。
違う。
照準を、定めて、ない。俺の手が、こいつを、全然殺そうとしていない!
「消えるのが辛い? 代替だったのが辛い? 復讐したい? 人類がうざい? 嘘つけ。そういうのは全部、《零音にそう言われたから、そう思い込んだだけ》だろう?」
「黙……れ!」
銃口が、下がっていく。
「俺は。お前は。結局、何も望んでねーよ。御倉了の代替だって分かって、自暴自棄になって、とりあえず神無鞠亜の元から去って。でも、そんな激情なんて、数時間もすれば、冷める。憎しみなんて、とうに、消えている」
「だま……れ、よ」
言うな。それ以上、言うな。
「神無空は、結局その後、藍璃や鞠亜と和解して、自分を手に入れた。目標を手に入れた。……で、俺。お前。お前はその場面で、何に出会った?」
「……………………」
悪霊だ。俺を襲ってきやがった。俺を、取り込もうとした、悪霊。低俗な……本当に低俗な、悪霊。
だから、俺は……。
「戦った。腹いせでさえねぇ。ただ、生きるためだけに、相手を狩った。ただそれだけだ。そう、ただそれだけ。……それだけしか、お前には、なくなったんだよ、その時からな」
「やめ……ろ」
「ぐれてさえいねぇ。拗ねてさえいねぇ。何もないお前は、結局、悪霊を狩ることだけに無心になった。そして、後付で、『俺は全てに絶望して、こうなってしまったんだ』と、結論付けた」
「違う! 俺は、俺の意志で――」
「意志? ハッ、意志なんてご大層なもん、まだてめぇにゃねえよ、《悪霊》」
「!」
ぐらりと、体が揺れる。あく……りょう? 御倉了でもない、ニセモノでもない、初代でもない。
ただの……あく……りょう。
本能だけで、人を襲う。
あの、低俗な。
なんの悩みも、心も、ありはしない。
悪霊。
「ああ……あああああ……あああああああああ!」
がしゃんと、銃を、落とす。
嘘だ。
違う。
違う。
違う!
俺は、俺は、世の中が許せないんだ!
鞠亜が許せないんだ!
藍璃が許せないんだ!
理不尽なこの体が、消えるこの体が、許せないんだ!
だから、人類を滅ぼして、そして、一緒に消える!
それが、俺の、最後の望み――
「本当は、ただ幸せになりたかっただけだろうが、俺!」
「っ――」
なんだ、これ。
なんで……涙が、止まらない。
「破壊が望み? そんなの、『一週回ったヤツ』の考え方だ。世の中の様々なことを知って、その上で、結論を出したヤツが掲げる思想だ。……でも、俺は。お前は、違う。まだ、何も、知りはしない。世の中が、腐っているのかどうかさえ、知りはしねーだろうが」
「……理不尽だろうが……世の中、こんなに……理不尽、だろうが」
「そうか? 少なくとも、俺に……お前に、幸福になるために道がなかったとは思えねーな。あの時、すぐに神無鞠亜の元に戻っていたら? その怒りを、ちゃんと藍璃相手にぶつけられていたら? 悪霊狩るなんて阿呆な逃避行動に走らず、誰かに歩み寄ることを選択していたら? お前は、今みたいになっちゃいねーよ」
「…………」
「全部、てめぇの責任だ」
「違う……。……でも……結局、俺はこうなって……。だから……世界に、復讐を……」
「それで? お前、それで、満足かよ? ハッピーじゃなくてベスト? ハッ、みみっちいこと言ってんじゃねーよ。ハッピーになりたくないヤツが、いるわけねーだろ。ごまかすんじゃねえ。そんなこと言うってことは、てめーにとっての『ハッピー』は、別にありますって、言ってるようなもんじゃねぇか」
「…………」
俺は……本当は何が、したかった?
…………。
目の前の、ムカツク……本当にムカツク、ニセモノ野郎を見つめる。
いつ見ても、腹の底から、ムカムカしてくるヤロウだ。
ホント……。
……ああ、そうか。
そうか。
俺は……御倉了に……。
そして。
神無空に、成りたかったのか。
「終わりにしようや、俺」
目の前の《俺》が……いや、神無空が……俺に、剣銃を、つきつける。俺はそれを、もう、かわす気も無い。分かっていた。本心だなんだと言っていたが……今のこいつは、もう、殆ど、神無空だった。本心の俺は、あんなに綺麗じゃない。もっともっと汚れている。俺の説得なんか、しようとさえしないだろう。……全部、どうでもいいんだから。本質が、悪霊、なんだから。
でも、相手がなんであろうが、もう、関係ない。……関係、無い。
ぐにゃぐにゃと、俺のニセモノの体が変質し、神無空に戻っていく。かろうじて剣銃だけは顕現させているようだが……どうやらこのニセモノも、もう、限界らしい。
剣銃以外、完全に元に戻った神無空は……ふらふらしながら……青褪めた顔をしながら……。
しかし、満面の笑みを、俺に向けた。
「へへっ、俺の勝ちだな、《兄貴》」
「うるせーよ……《弟》」
俺達は、歪に、笑い合い。
そして。
《ドン!》
空の剣銃から放たれた弾丸が、俺を撃ち抜くと同時に。
空自身も、ふらりと、その場に、倒れこんでいった。
…………。
意識が消える間際に仰ぎ見た青空は、ムカツクほどに、綺麗だった。
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