【1】――式見蛍――
「これは……」
眼下に広がる、塔の屋上の映像。先程まで初代と空の壮絶な戦いを映していたそれは、しかし、今は……。
「あらら。ダブルノックダウンだね♪」
零音が愉しそうに笑う。二人の、命を賭けた戦いをそんな風に軽く扱う態度に腹が立ったが、それを注意している場合ではない。
初代と空。二人が、殆ど霊力を使い果たし、その場に倒れていた。あんなの……どちらも、もう、いつ消滅してもおかしくない。
そして、もう一つ、気になること。
僕は……零音に向き直って、訊ねる。
「これは、《引き分け》じゃないのか?」
「ん?」
とぼけるように笑う零音に、僕は怒鳴りつける!
「だから! 賭けは、無効なんじゃないかって言ってるんだ!」
そう。
これなら……これなら、全て、ノーカウント。それどころか、初代が倒れた今、世界を滅ぼす理由も無い。零音は元々、今回の件に《介入している》だけだ。力を貸し与えているだけ。彼女の本来の思想からも、積極的に世界を滅ぼしにかかる理由は、まだ無いはずだ。
こんな風になるとは、思いも寄らなかった。初代と空は、零音の想像をも、凌駕したのだ。
しかし……零音は、余裕の態度を崩さなかった。
「ケイ♪ 焦っちゃ駄目だよ。ほら、結果は、ちゃんと出ているじゃない」
「な……に?」
僕は、慌てて二人を見る。
と……今まで倒れているだけだった二人に……いや、空に、変化があった。
「…………」
よろよろと、空が、立ち上がる。
倒れる初代を見つめ、何か複雑そうにしながらも、しかし……しっかりと、その場に立っている。
嬉しかった。仲間が、空が、勝ってくれて。無事でいてくれて。素直に、心から、嬉しいと。
そう、思った。
そして――
「さぁて、ケイ♪ こっちの勝負は私――零音の勝ち」
「…………」
零音の顔が……今まではユウと瓜二つだったその顔が、しかし、ユウならば絶対にそんな表情はしない……邪悪な笑みに、代わる。
「契約は絶対。ケイは、もう、私のもの」
「…………」
僕は。
…………空を。初代を。二人の様子を、ジッと、数秒、眺めた後。
拳を、握り締め。
こくりと、零音に頷き返した。
【2】――神無空――
「……なあ……」
目の前で、俺の最後の銃撃によって倒れている初代に向かって、ぽつりと、呼びかけてみる。反応は返ってこない。それでいい。兄だなんだと呼ぶのは、あれっきりでいい。
「さて……」
とりあえず、式見蛍と零音を探して、この塔自体をなんとかしなきゃらないない。
「でも、初代が倒れたんだし、もう、世界がどうこうという事態は回避され――」
と、そこまで呟いたところで。ぐらりと、足元が揺れた。
ガガガガガガガガガガガガと、床が振動する!
「な、なんだ?」
塔が消えるのだろうかと思ったが、しかし、そんな様子は無い。ただただ……何か「構造が無理矢理変わる」かのように、揺れている。
なにが起こっているのかは分からない。分からないが、凄く……凄く、嫌な予感がする。
とにかく、式見と零音がいるであろう場所に行かなくては。何かが起こっているとして、その原因は、確実に二人にあるはずだ。
俺の中に残っている初代の記憶から、その場所……恐らく中枢へと続く道を、探す。
「ここで……」
屋上の中心に立ち、よく見れば陣のようなものが描かれている床に、少量の……物質化しない程度の霊気を流し込んでみる。すると、陣は淡く発光し、そして、脳内に塔の各フロアのイメージが送り込まれてきた。
「行きたい場所に行けるわけか」
俺は、それらのイメージを順番に確認し……そして。
「いたっ!」
式見と、零音の居る空間……なぜか、この屋上が下に見える(こちらからは上空に何も見えない)場所を確認し……そこに、意識の照準を、合わせた。
一瞬の、浮遊感。
その後には、俺は――
「ようこそ、空君♪」
「っ」
零音の、目の前に居た。慌てて彼女から距離を取り、構えて、応じる。……赤色の球形の部屋。床には、屋上の映像が映し出されていたが、しかし、零音がパチンと指を鳴らすと、それは消えてしまった。……俺達の戦いでも、観察していたのだろうか。
「?」
ふと。今までは目の前の零音の圧倒的な存在感に気圧されてしまって気付かなかったが、彼女の隣に……式見が、零音に対峙もせず、むしろ寄り添うにように立っているのに気がついた。
まるで、二人が、俺に対峙しているようだ。
「おい……式見? どうしたんだよ」
「…………」
「零音は、敵だろ? なんでそっち側にいるんだよ」
「…………」
式見は、何も答えない。零音に何か精神操作でもされているのかと考えたものの……こいつの精神力の尋常じゃなさは、誰よりも記憶を分けて貰った俺が理解している。それはないだろう。事実、その目や表情を観察しても、操られているもの特有の無感情さは見てとれなかった。
しかし、それでも式見は、俺に何も言葉を返してくれない。
俺が混乱していると、嘲るかのように、零音が甲高い声で笑った。
「あははっ! 何言ってるの空君」
「なにって……」
「ケイは、私の、恋人だよ。元々ね」
「はあ? ふざけんな! 俺だって式見の記憶を分けて貰ってんだ! その姿は、確かに式見の元恋人の姿だが、お前みたいに性根の腐ったヤツじゃ――」
「ケイ。ちょっとあの空君、うざい。黙らせて」
「……ああ」
――と。
唐突に。
式見が。
タンと、俺の元まで跳躍し。
そして――
「がっ!?」
頬を思いっきりぶん殴られ、俺は、信じられない勢いで壁にまで吹き飛ばされた。
背中から壁にぶつかり、呼吸が止まる。
そのまま床に崩れ落ちたところで……俺は、初めて、事態の異常さを認識した。
……なんだ?
今、俺、何された?
いや。
誰に、何を、された?
信じられない思いで、床に腕を着き、どうにか、ふらふらと立ち上がる。
「式……見?」
俺の表情に、式見は一瞬口を開きかけたものの、しかし――
「ケイ? ケイは、もう、私のものだよね? 勝手に誰かと口を利いたりするのまで、許したっけ?」
「っ…………」
式見は一瞬だけ苦々しい表情をすると、しかしすぐに、再び零音の傍へと戻っていった。
…………。
……そういうことか。詳しい事情は全く分からないが、とにかく式見は今「あっち側」で、そして、なにより、その状況を好ましくは思ってないらしい。……元々裏切られたとは思ってないが、しかし……これはこれで、厄介なことになった。
俺は零音を睨みつける。しかし、彼女はやはり、笑顔だった。
「そんな風に見ないでよ、空君。私は、もうキミの敵じゃないと思うけど?」
「なにを馬鹿な」
「馬鹿? そんなことないよ。この戦いは結局、リョウ君……キミの言う、初代君の戦いだよ。彼が倒れた今、私は、特に空君と敵対する理由はないと思うけど?」
「じゃあ、とっととこの塔を消せ!」
俺の命令に、しかし、零音はクスクスと笑うのみだった。
「どうして? 私はもう、あらゆる意味で《無関係》だよ。この塔をどうにかする義理もないよ」
「てめぇ……自分で種を蒔いておいて!」
「種を蒔いたのは私。だけど、水をやって、育てたのは人類じゃない。諸悪の根源、っていう言葉があるけど。確かに根源は、私かもしれない。だけど、だからと言って、全責任を押し付けられる謂れはないと思うよ?」
「詭弁はいい! とにかく初代は負けたんだ! だったら、この塔だってもう不要だろう!」
「違うよ。もう、私はこの塔には手を出さない。だけど、この塔がこれから何をしようと、それも、私には無関係。私は……ケイを手に入れらただけで、《今回は》もう充分だから♪」
上機嫌に、式見に抱きつく零音。……胸糞悪ぃ。ユウっていう式見の恋人が、どんなヤツだったか、今の俺はよく知っている。知っているからこそ……式見の、零音に対する憤りも、よく理解出来た。こんなのは……酷い冒涜だ。ユウだけじゃない。式見の心も、踏みにじっている。
と、塔がまた鳴動する。俺の中の不吉な予感が、更に膨れ上がる。
「……おい、零音。戦いが終ったって言うなら……なんで、この塔はまだあるんだ」
「? おかしなことを訊くね、空君。この塔は、もうとっくに、《完成されたもの》なんだよ。私が何か今更小細工しているわけじゃない。リョウ君の望みに呼応して、私が、彼に与えた武器」
「武器?」
零音は、「そう」と、実に愉しそうに微笑む。
「時間が来れば、この塔はリョウ君の力を媒介に、全人類に対して《全てを貫く弾丸》を放つ」
「な――」
そんなこと出来るはずがない……とは、言えなかった。零音とかいうこの女の特殊性を考えれば。初代の能力を異様なほど増幅してしまうことだって、可能なはずだ。
さっきからの振動は、弾丸の射出口でも形成されているからだろうか。
式見の表情を見る。彼は……拳を握りこんではいたものの、必要以上に感情を表に出すまいと、耐えているようだった。……何が式見をそこまでさせるのかは、分からない。分からないが……残念ながら、今は式見のことを心配している余裕など、無さそうだ。
「だったら、さっさと塔を止めろよ!」
「なんで? もうとっくに、塔は完成して、私が何かするまでもなく、時間が来れば起動するようになってるんだよ? それを、わざわざ私が止める理由って、なに?」
「責任あるだろう!」
「……そういうアホみたいな論理、私、だーいっ嫌い。あなた達だって、よく言うでしょ? 力自体に善悪は無く、力を扱う者の心が問題なんだって。この場合、武器を作ったのは私だけど、それを使ったのは、リョウ君。貴方の片割れ。責任は、キミ達にあるんじゃないのぉ?」
ニヤニヤと嗤いながら告げる零音。……違う。詭弁だ。こいつは、絶対に、最初からこうなることを考えていた。力を本当に扱ったのは、初代じゃなくて、零音だ。
しかし……説得なんて、そもそも、無駄なのだ。だったら……。
「もういい。なら、せめて止め方を教えろよ」
「あははっ、そう来ると思ったよ♪」
なぜか、零音はとても上機嫌になった。まるで、俺がこれを言い出すのを、待っていたように。
彼女は……無邪気な微笑み、俺に向ける。
「世界を救うのは、いつだって自己犠牲だよね♪」
「……え?」
「私、見たいなぁ、アニメみたいなカッコイイシーン♪ ねえ? ケイも、見たいよねぇ?」
式見に同意を求める零音。式見は、悔しそうに唇を噛むだけだった。
「自己犠牲? ……俺に、何をさせたいんだよ」
「簡単だよ。この塔は、もうじき構成する成分が全て弾丸に変換されて、世界に飛散し、人類全てを貫くの。ポイントは、ここ。飛散するから、人類全員が被害を被るの。だったら……」
「……飛散させずに、俺が全部受け止めれば解決ってことか?」
思っていたよりは、普通の解決法だ。……自己犠牲はイヤだが、しかし、マテリアルゴーストである俺の体だ。いくら銃弾を受けようが、耐え切ることは不可能では――
「ああ、ちなみに、その場合請け負って貰うのは人類全ての痛み、だからね♪」
「…………」
「約65億の死の苦痛を、全て体験して貰わなきゃいけにゃいにゃ~♪」
「…………」
ああ……そうか。こういうヤツなんだな、零音っていうのは。
彼女は、実に愉しそうに、自分の作ったシステムの面白さを解説する。
「ねえ、人類を、たった一人の自己犠牲で救おうと思ったら、それ相応のリスクがないと、私は嘘だと思うんだよ、空君♪」
「…………」
「一人、簡単に死ぬだけで、人類が守られる? なーんか、納得いかないよねぇ、それ。ちょっと、バランスとれてないよねー、うん」
「…………」
「だから。この塔は、機能を止めることは出来るけど。でも、その《止めた存在》は、65億回死んで貰わないと、割に合わないってもんだよ♪」
「…………」
「というわけで、この塔を止めた人は、代わりに、意識に《65億回の死》を叩き込まれるように出来てるから♪ とーぜん、心なんか壊れるから、幽霊だったら苦しんだ挙句消滅だね♪ 頑張って、空君♪ 正義の味方は、自己犠牲で人類を、救っちゃおー!」
実に無邪気にはしゃぎ、床から奇妙な紅い台座を出現させる零音。台座から少し浮いて、禍々しく、血のように紅黒い発光体……オーブが浮遊している。……あれに手をかさせば、恐らくそれは、成されるのだろう。
……今、気付いた。
気付いてしまった。
この女、ハナから、人類滅ぼすつもりなんてなかったんだろう。
よく考えてみれば。
この結果。
一番得をしたのは、零音だ。
俺と初代の、命を賭した戦いを存分に楽しんで。
塔を作って、人をあたふたさせて、楽しんで。
お気に入りの、式見蛍まで手に入れて。
人類は滅ばず、まだまだ、コマとして遊べる余地があって。
でも、最後に俺が《65億の死》で苦しむところは、堪能出来て。
……なにからなにまで。徹頭徹尾、この事件に関する森羅万象全てが、零音の利益。
最初から最後まで想定通り。
無邪気に笑って。
全てを手に入れた。
残酷でもなければ、歪んでいるわけでもない。ただ単純に、全知全能の遊び人。それだけだ。
…………。
死は、怖くなかった。《65億の死》は少し怖かったけど、それでも、大切なものを守ることに躊躇いは無かった。だけど。
「…………っ」
この結果だけが、どうしても、悔しくて。善人達が何一つ得をせず、邪悪な存在だけが得をしたこの結末が、言いようがないくらい、悔しくて。それが、つい、躊躇いとなって表れて。
俺がそうしていると……唐突に、零音が声をあげた。
「ケイ」
「……っ」
ふと前を見ると、式見が、台座の前まで移動していた。
零音が、不機嫌そうに式見を静止する。
「今、オーブに触れようとしたよね? 私に黙って、そういうことして、いいと思っているのかな?」
「…………」
式見は、悔しそうに唇を噛む。…………。……俺のせいだ。俺が、迷った素振りを見せたから、式見は……自分が……。
零音が、本気で苛立たしげに告げる。
「ケイがそういうことしたら、私、本気で人類、滅ぼすよ?」
「っ」
言われて……式見は、引き下がった。……そうだ。それでは、全く意味が無い。そうか……俺は、目の前のことばかりに意識がいっていたけど。本当に重要なのは、こんなことさえ簡単に出来てしまう力を持つ、この女……零音を、倒せる要素が現在は見つからない以上、何がなんでも不機嫌にさせないことなのかもしれない。だから式見は、素直に、彼女に従っているのだろう。
零音は、ぼさぼさと髪を掻いたかと思うと、「ケイ」と彼の名を呼んだ。
「面倒だから、もう、空君を、刺して♪」
「な――」
「ケイ」
「っ」
式見は、名前を呼ばれただけで、抵抗をやめる。そして……手に、ナイフを物質化した。
「おい……式見! まだ、俺は――」
死ぬわけにはいかない。そう、言おうとしたその直後には――。
式見のナイフは、俺の腹部に、抉りこんでいた。
「か……はっ」
膝をつく。……腹に、式見のナイフがめり込んでいる。かろうじて急所は逸れている。しかし、もう、これじゃまともに動くことも――。
…………。
そういう、ことか。
「ケイ、うまいうまい~♪ 空君瀕死♪ 以心伝心だね~。これで空君、もう逃げられないし、ごちゃごちゃ言わず、オーブに触れるしかなくなったね♪」
「…………」
式見は、何も、答えない。
……式見……。…………。……っ! 不意に、腹に刺さったナイフから、式見の意識が流れ込んでくる。
……………………。
俺は、それを、受け取り。
「式見!」
彼の意図を《全て》察して、声をあげるも、しかし、もう、遅かった。
零音が式見に寄り添い……俺に、「ばいばい」と手を振る。
「あんまり長居してもケイが揺らいじゃうから、私達は、ここらで《この物語》から退場するね♪ 頑張れー、空君! ファイトー! 世界を救っちゃえ、主人公! きゃははっ!」
「ま……待てっ! 零音っ!」
俺の、呼びかけも虚しく。
零音と式見は、一瞬でその場から掻き消えるようにして、いなくなってしまった。……どうせ、まだ塔の近くで俺のことを……クライマックスを見ているのだろうが。この怪我じゃ……状態じゃ……とても追う事も出来ない。それどころか、この塔から出ることさえ、かなわない。
「ちくしょう……選択肢、根こそぎ奪ってきやがった……」
これが、零音のやり方なんだろう。結局、最後はどう足掻いたってアイツの面白いようにしかならない。式見があれほど危険視していた理由が、よく分かった。
「…………」
一人、残された、空間で。
「…………」
俺は、ただただ、呆然と、禍々しいオーブを……《65億の死》を、見つめた。
【3】――初代――
「……っう!?」
唐突に、意識が、覚醒する。
ガバッとその場から起き上がり、周囲を見回すも、しかし、混乱は一向におさまらない。
「どうなって……やがる」
見れば、そこは、死後の世界なんてものではなく、意識を失ったその場所……塔の、屋上だった。
「俺は……負けたはずじゃ……」
そうだ。俺は、アイツに……弟に、銃で撃たれたはずだ。そもそも、俺の残り時間も、あの時点でわずかだった。そんな弱った体に、最後の一撃。どう考えても、俺が存続している理由が見当たらない。
あの、青空の綺麗さも、鮮明に思い出せる。それは、死の間際の、世界のきらめきだと思っていた。
しかし……。
「……なんだ……」
ゆっくりと、空を見上げる。……相変わらず、空は、綺麗で。そして……心は、感じたことのないほどに、清々しかった。
心持が変わった? 改心したから、景色が綺麗に見える? 冗談じゃない。俺は、そんな甘ったるい考え方を受け容れられるほど、単純に出来ちゃいない。
でも、だとしたら……。
「?」
そこで、違和感の正体に気付いた。
腹の中から……妙な、温もりを感じる。これが、どうも、俺の気分を高揚させ、世界を綺麗に見せ、そして、未だに俺を存続させている源らしい。
「……なんだって――」
と、そこまで呟いたところで。
それの正体に……思い当たった。……間違いない。俺はあの時……腹を、撃たれた。そうだ。これは、撃たれた場所。思えば、痛みは感じなかった。それどころか、その瞬間は、どこを撃たれたのかさえ、分かっていなかった。
それもそのはずだ。
これは……。
「っ! あの馬鹿がっ!」
優しい霊力の……癒しの力の、塊だ。
あの野郎。
あの野郎。
自分も、ボロボロのくせして。
ありったけの慈愛を弾丸に込めて、俺に、霊力を、分けやがった。
「なに……してんだよっ、ちくしょう!」
床を一回殴りつけ、そして、その場に立ち上がる。感謝なんかより、腹立たしさがこみ上げてきていた。理由の全然分からない怒り。
俺は、アイツが居るであろう中枢に向かう陣へと向かいながら、苛立ち紛れに呟く。
「くそっ、くそっ! 馬鹿にしやがって! なんだこれ! 弱っちい弟に情けをかけられて存続して、俺が喜ぶとでも思ってんのか、あのクソ偽善者野郎がっ! ふざけんなっ! くそ、あの野郎を構成する要素殆ど全部つぎ込んでやがるじゃねえかっ! おかげで、俺の命の期限まで有耶無耶だ! これじゃあ、世界を恨む理由の殆ど、消えちまうだろうがよ! 俺から存在意義まで奪う気かよ!
なんなんだよ! なんなん……だよ! ちくしょう! 記憶まで流れ込んできやがる! なんだよ! くそっ! くそっ! 俺と同じかそれ以上に、辛かったんじゃねーかよ! なに、俺にばっかり同情してやがんだよ! お前に同情される謂れなんて、これっぽっちもねぇんだよ!
……知ってんだよ! 流れこんでくんなや、このクソ記憶が! ああ、最初から、んなことは知ってんだよ! 鞠亜も……藍璃も! 誰も、悪いヤツなんかいなかったんだって! ちょっと心が弱かっただけの、ただの被害者だって、俺だって、知ってんだよ! うるせぇな!
くそっ! くそがっ! 腹立つ! なんだよっ! なんでこんなに――」
涙が、止まらねぇんだよ。
「ちくしょうっ! ちくしょう! これじゃ、俺は……俺は、なんなんだよ!」
転送陣に霊力を流し込む。中枢をイメージすると、そこに……アイツが倒れているのが、見えた。
奇妙な台座の前で、ぐったりとしながらも、しかし、這って、何かをしようとしている。
「……これは……」
そして俺は……あの野郎が、何をしようとしているのか、気付き。
その瞬間。
怒りも激情も憎悪も何もかも、すっ飛んだ。
気付いた時には。
野郎の前に、転送し。
そして。
オーブに触れる直前だったアイツの脇腹を、思いっきり蹴り払っていた。
「ぐっ!?」
野郎は……空は、何が起こったのか分からないままゴロゴロと転がり、そして、俺を見つけて……ギラリと、睨みつけてきた。
「なにすんだっ、このクソ兄貴! お前、今どういう状況か分かって――」
「うっせぇんだよっ、愚弟がっ! てめぇこそ、勝手なことしやがって! ああ!?」
弟の胸座を掴み、持ち上げる。空は……もう、抵抗する力も持たないようだった。
「放せよ! 俺は、やらなきゃいけないことがあんだよ!」
「うっせぇ! てめぇに出る幕なんざ、ハナからねぇんだよ!」
俺はそう怒鳴ると、空を、転送陣の上に放り投げる。そして、強制的に、それを起動させる。
空は、案の定、驚いた顔をしていた。
「な――。てめっ、こら、馬鹿兄貴! まだ人類滅ぼそうとか――」
なおも怒鳴る弟に。
この、ムカついてムカついて仕方ない、クソ弟に。
俺は……。
俺は、最後に。
どうだとばかりに、ニカッと、笑って、やった。
ここは、俺の勝ちだ。
「なあ、空。人類と弟救って死ぬとか……空っぽの悪霊にしては、上出来なラストだと思わねぇか?」
「な――」
空は、驚愕に目を見開き、こちらに手を伸ばそうとするも、しかし、陣は既に転送を開始している。
「てめぇでやったことの責任くらい、てめぇでとらせろよ。クソッタレが」
「っ! に……にいさ――」
何か言いかけたところで。空は、完全に、その場から消え去った。
俺は弟の消えたその空間を、しばらく見つめ……そして、ふっと、笑う。
「なんだよこれ。これから、とんでもねぇ苦痛が始まるってのに、俺……」
腹の中に感じる、弾丸の温もりを噛み締める。
部屋の機能を作動させて、天井に青空を映す。……綺麗だ。やっぱり、綺麗だ。
もう……思い残すことは、無い。上出来すぎる。
「痛ぇのは嫌いなんだよなぁ、実際」
嘆息する。いやになる。こんな機能、なくしときゃよかった。
だけど。
「空。……俺、今、残念ながら本気でハッピーだわ」
笑顔で。
オーブに、手をかざした。
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